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2004年5月21日

何事もなかったかのように

書籍・雑誌 | 言葉

ゑぶろぐ(© ぱと兄)を再開。突然ですがわたくしは常々、「メールする」(5/22現在Googleで126000件ヒット)という表現がひそかに苦手でした。「手紙を送る」とか「手紙を書く」とは言っても「手紙する」とは言わないんだから、「メールする」も変だろう!――と。最近は、口頭でならまあまあ許容できるようになりましたが、書き言葉では今でもやっぱりちょっと抵抗ありです。

レックス・スタウトの「ネロ・ウルフ」シリーズで、ウルフが "contact" という単語は名詞限定だ、動詞として使うのは許せん、とか言い出してアーチーにおちょくられるシーンがあったかと記憶していますが(どの話だっけ?)、私もウルフ並みのヘンクツ者なのかもしれません。最近ウルフ並みに引きこもりだしな。安楽椅子探偵とOAチェア実務系翻訳屋ではえらい違いだが。

そういうわたくしですから、当然「インターネットする」(Googleで7150件ヒット)も苦手です。ぞわぞわします。オトナなので他人が言っててもにこやかに応対はしますが、自分は使いません。でも考えてみたら「コンフィグレーションする」や(←しつこい)「プロプライエタリな」ほどにはぞわぞわしてないかもしれん。ちなみに「プロプライエタリ・名詞」みたいなカタカナ表記はまだ許容範囲。「〜な」をつけてムリヤリ形容動詞化しているところにぞわぞわ。でもオトナなので、仕事でお客さんに使えと言われれば自分だって使います。嫌だけどな。

しかしそんな私をして「インターネットする」なんて可愛いもんじゃないの、と思わしめてしまうようなフレーズを、先日発見いたしましたので、謹んでここにご報告する次第です。昨日までちびちびと読んでいた、金井美恵子・金井久美子『待つこと、忘れること?』(2002年、平凡社)の中の一節。

 地方都市のある国際映画祭があって、私は行ったことはないのですが二年に一回の映画祭の時には、町は映画祭に訪れる外国人を含めたお客のために、要所要所におかれたインターネットでソバ屋の地図を紹介したり、茶道部の女子高生たちがお茶をたてたりと、いろいろサーヴィスとおもてなしの工夫をしているらしいということは、映画祭に行ったことのある知人から聞いていました。

「要所要所におかれたインターネット」! インターネットを置くのか!

「インターネット上のクソ文章」(と、金井先生はこの本の中で表現しておられます)とは違うんだから校正かけようよ。それとも文芸系の校正の人は、こういうのを「作者の味」として許容範囲に入れてるんだろうか?

何年も前、職場のおじさんに、その頃まだ出始めだった「インターネット接続機能のあるテレビ」のチラシを見せられて
「このテレビにはインターネットが入っているのでしょうか?」
と質問されたときのことを、懐かしく思い出しました。

――こんな書き方をしているけど、実は金井美恵子さんの文章は、かなり好きなのです。十行くらい延々と句点なしで文章が続いたりする独特の文体も含めて。『待つこと、忘れること?』も、大変楽しく読みましたですよ。ツボはいろいろあったのですが、なんと言ってもこのエッセイ集のピカ一は、これ。

友人や知人のお母さんが亡くなった、という話を聞くと、つい、よかったじゃない、ほっとしたでしょう、と祝福したくなるのですが、まさか、そうはっきりとは言えない場合も多いのです。

異論はあろうが、この人はこのままの路線で歳を取れば、森茉莉系の素敵なお婆さんになってくれるのではないかと私は注目しています。ただし晩年の森茉莉より、部屋はずっときれいであるに違いない。

Posted at 2004年5月21日 23:56



All texts written by NARANO, Naomi. HOME