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2004年6月 1日

斎藤美奈子『実録 男性誌探訪』

読了本 | 書籍・雑誌

朝日新聞社、2003年刊。【Amazon.co.jp】

「女性誌」という言葉を聞くとなんとなくのイメージが湧くのに、男性が読む雑誌には、ひとくくりにできるようなイメージがない、というのを前提として、男性読者と対象としたさまざまなジャンルの雑誌を、斎藤美奈子さんが読んでみて、いつものノリで素直な驚きやツッコミを綴ったかんじ。

どうも私は、斎藤さんの軽めを狙った本を読んでると、本当はもっと低い淡々としたトーンが「地」の人なのに無理してテンション上げてとんがった毒舌文体を作っているんじゃないかなあ、という疑いが抜けず(いや、勝手な印象ですよ)、たまに居心地の悪いときがあるんですが、ツッコミはやはりツボ押えてます。

釣りとかゴルフとか鉄道とかディープなシュミを扱った雑誌(結果的に男性読者が多い)のお話が「私の知らない世界」ってかんんじで面白かったです。まあこういうのは、別に案内役が斎藤さんじゃなくても素材の特殊さで楽しめただろうとは思うけど。

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2004年6月 2日

若桑みどり『お姫様とジェンダー』

読了本 | 書籍・雑誌

サブタイトルは「アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門」、ちくま新書、2003年刊。【Amazon.co.jp】

著者のことは「美術学の先生」としか認識していなかったのだが、序文によればこの本は、若桑先生が所属大学で行なったジェンダー学の講義をもとにしたものだとか。へー、ジェンダー学の人でもあったのか。しかし、私は高校生のときに『女性画家列伝』(岩波新書、1985年)を読んでこの人の存在を知ったので、違和感はない。もともとそういう視点で美術を見るという傾向のある人だったのだろう。

本書の主旨は、講義の中で女子学生にディズニー・アニメを観せたときの反応(感想文)を紹介しながら、この手のプリンセス・ストーリーが子供たちに刷り込んでいる男女観に関する固定観念を指摘していく、というもの。題材として取り上げられているのは『白雪姫』『シンデレラ』『眠れる森の美女』(本書では『眠り姫』となっている――はっきりと対象を「ディズニー」バージョンに限定してるんだから、オフィシャルな邦題に合わせるべきじゃないかなあ)。

正直なところを申し上げると、かなり焦点がぼやけて散漫な印象。そもそも、別途原作(それも民間伝承や昔話をもとにした古典童話)のあるアニメのストーリーを問題とするなら、敢えて原作付きのディズニーを選ぶことにどういう意義があるのか、なぜ「昔話」のプリンセス・ストーリーというジャンルそのものではなく、ことさらにディズニー・アニメなのか……というところから話を始めてもらわないと、読み手としては落ち着かないのだけれど。

ディズニー・アニメの子供に対する影響力がすごいから、という理由かもしれないけど、私のように生まれてから今にいたるまでディズニー・アニメをほとんど観ることなく来た者でも、子供の頃にお姫様ドリームがまったく心に浸透していなかったわけじゃないしなあ。

昔話バージョンとディズニー・バージョンのどこが違うか、という点を最初にはっきり分析してくれずに、ただ「アニメで学ぶジェンダー学」と言われても、このラインアップでは「昔話や童話で学ぶジェンダー学」とはどう違うんだ? ということになってしまうのでは。(「ディズニー・アニメの特異性についての言及も、ちょっとはありますが、本書のメインである「学生の感想文」の考察にはほとんど組み込まれていない。)

まあ、この本のベースとなった講義において、教室でディズニー・アニメを見せるというのが授業の導入部として手頃だった、という以上の意味は、ないのかもしれないけど。それにもちろん、結果的にはアニメ版ならではの表現やキャラクターのしぐさ、セリフも考察の対象となるので、原作の載ってる書籍を学生に読ませた場合とは違った結果が出てきているはずだし。

でも、本書の中で批判の対象となるジェンダー・バイアスに対する言及で、それがもともとの原作のストーリーにおけるバイアスなのか、それともディズニーが新たに加えた脚色によって生じたバイアスなのかの「切り分け」がきちんとできていない印象なのは、かなり不満。わずか200ページほどの新書でそこまで詳細なツッコミを期待すること自体が間違いか? でも、もうちょっと整理の仕方はあったんじゃないかなー。これだと、まるで「最初に結論ありき」で、その論拠となりそうなものを手当たり次第に引っぱってきてランダムに並べているかんじ。

ただ、その「最初に結論ありき」なところまで含めて、若桑先生の、教え子である18〜19歳の女の子たちに対する愛情だけは、ひしひしと伝わってきちゃうんだよなあ。自分自身が「女だてらに」学問を志して、「女であるからこそ」の制約を受けながら戦ってきてしんどかったから、この子たちにはもっともっと、ステレオタイプな固定観念に縛られずのびのびと自分の道を進んでほしい……という切なる思い。それがちょっと突っ走りすぎて、一冊の本としては少々、詰めが甘くなってしまっているような気がします。

とかなんとか言ってる私のこの感想文も、かなりとっちらかっているんですが。ははは。この手を本を読むと、いつも複雑な心境なのですわ。

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2004年6月 3日

ウルトラムール (Ultramour)

ビールラベル

ultramour.jpg

ラズベリーを使ったベルギービール。このラベル写真では分かりにくいかもしれませんが、キューピッドちゃんのうしろの赤いハートはラズベリーでできています。

かなり甘い。ベルギービールに対する予備知識のない人が飲んだら、ビールとは思わないんじゃないだろうか。

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2004年6月 6日

梨木香歩(作)・早川司寿乃(絵)『マジョモリ』

読了本 | 書籍・雑誌

理論社、2003年刊。【Amazon.co.jp】

絵本だけど、文章は多めで、けっこう読み応えあり。淡い色彩で緻密に書き込まれた絵が、とても美しい。どのページからも、植物の気配や匂いが立ち昇ってくるような。

主人公の少女「つばき」は、ある朝起きると《マジョモリ》に招待されていた。マジョモリとは、大人たちが「御陵」と呼ぶ、本当は入ってはいけない近所の森のこと。空色のつるに導かれて森の奥へと入って行くと……。

森の奥に棲まう不思議な女性(最終ページまでその正体は明かされない)との、不思議なお茶会。神社のお供えのお菓子に合わせるお茶は、ヨモギにカキに、サクラにノギク。

子供の頃、この手の「主人公が日常を超えた世界からの招待を受ける」ようなお話を読むと、いつも羨ましかった。この子は招かれるけれど、私は招待されない。私はどんなに願っても、ずっとここにいる。

このお話の中では、主人公のつばきちゃんは、代々続く地元の神社の神官の家の子だ。あちら側からの招きを受けるのは、やはりそういうおうちの子だけなのかしら――と、子供の頃の私なら、身もだえしたに違いない。

だから、つばきちゃんが走っていってしまってから、一人残された家でつばきちゃんのお母さんが「私もご招待されたーい」と泣きじゃくる気持ちに、じわわわん、ともらい泣きしそうになったのだ。

ところが。このお話のすごいところは、その泣いていたお母さんまでもが、改めてご招待を受けてしまうのである。ウェンディが大人になってもまだ、ピーターを娘に託すのでなく、一緒にネバーランドに飛んでいくようなもんじゃないの、それ。なんと胸がすく。ただ、これが『ピーターパン』のネバーランドと違うのは、招待者もまた、女性である点だ。これは、女の子だけのお茶会なのである。

今までに読んだ梨木香歩作品の多くに濃厚にただよう、「女だけ」のあいだに受け継がれていく何か。「女だけ」が共有する、時間。「女だけ」が有する、自然(主に植物)との共存関係。いつも、何かが引っかかるのだが。

「それ」に引っかかっているかぎり、私は決して招待を受けることなく、「こちら側」に取り残されつづけるのだ、という気がしてならない。私は「それ」を、共有できない。「それ」がなんなのかさえ、分からない。

幼稚園の頃、親にねだってチョークを買ってもらって、家の前のコンクリートの上に一生懸命に野原の絵を描いたけど、メアリー・ポピンズが滞在していたバンクス家の子供たちのように絵の中に入れたことは一度もなかったのと、同じように。

ものすごく、作品の意図からそれた受け止め方をしているのであろうという自覚はありつつも、読了したあと、そこはかとなく寂しかった。

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2004年6月 7日

P.C. Wrede, C. Stevermer "Sorcery and Cecelia or The Enchanted Chocolate Pot"

読了本 | 書籍・雑誌

Harcourt Books 2003。1988年に "Sorcery and Cecelia" というタイトルで出版された作品。【Amazon.co.jp】。(9月にペーパーバック版も出ます

副題まで含めた正式タイトルは、"Sorcery and Cecelia or the Enchanted Chocolate Pot: Being the Correspondence of Two Young Ladies of Quality Regarding Various Magical Scandals in London and the Country"(魔術とセシリア、あるいは魔法のチョコレート・ポット:ロンドンおよび田舎におけるさまざまな魔法絡みのスキャンダルを綴った良家の若き令嬢二人による往復書簡)。長いよ。

このタイトルで分かるとおり、最初から最後まで、ひたすらに手紙の形式でストーリーが語られます。時は19世紀初頭、ところはイギリス。ただし魔法使いの存在が当たり前に認められていたりもして、微妙にパラレルワールド。

お年頃になった従姉妹同士の二人、ケイトとセシリア。ケイトは社交界デビューのためにロンドンに連れて行かれ、セシリアは不本意ながら「デビューは来年」と言われてエセックス州の田舎のお屋敷に留め置かれます。仲のよい二人は、互いの身に起こることを事細かに書き綴って送り合うことを約束します。

同じ時期、故郷の名士で有力な魔法使いであるヒラリー・ベドリック卿がロンドンの魔法ロイヤル・アカデミーに就任。その式典に出席したケイトは、アカデミーの中をさまよううちに不思議な庭に迷い込み、誰かに間違われて正体不明の魔女に捕まりそうになったところを、危機一髪、逃れます。一方、田舎に残されたケイトの周囲にも、さまざまな怪しい出来事が。どうやら、二人が関わっている事件には、相互につながりがあるようです――

やー、もう、好奇心いっぱいのお嬢さんがた二人のパワフルなお手紙が面白い面白い。かしましいっていうか。どちらのお嬢さんの前にも、本来、事件解決に当たるべき素敵な青年紳士(うち一方は魔法使い)が登場するのですが、プライドや正攻法にこだわる青年たちがもたもたしてるあいだに、きっちり常識的で現実主義のお嬢さんがた、制止の声を振り切ってさくさくと動く動く。

とにかく、19世紀の若い女の子の往復書簡という設定がすごくいい。はからずも巻き込まれつつある邪悪なやつらのたくらみと、社交界デビューのためのドレスのコーディネートが同一軸で語られてますよ。なんせ19世紀ですから、お堅いお目付け役のおば様の目をくぐり事件解決のために殿方に面会するのも一苦労です。設定の勝利だなー。

著者の一人、Patricia C. Wredeは、ノベライズ版『スター・ウォーズ Ep1 ファントム・メナス』『スター・ウォーズ Ep2 クローンの攻撃』を書いた人。

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2004年6月10日

三十路の定義

言葉

これまでずっと、私は「三十路」というのは、「三十歳」とイコールだと思っていました。だって愛用の『広辞苑』第5版にだって、

みそ - じ【三十・三十路】
(ヂは接尾語。古くはミソチ)
(1) さんじゅう。みそ。
(2) 30歳。

と書いてありますし。「ハタチ」からちょうど10年たつと「ミソチ」なんだなあ、と。そこからさらに10年たつと「四十路」、そのまた10年後が「五十路」だよね、と。

ところが、ここしばらくで立て続けに、そういう意味に解釈されているとは思えない「三十路」の使用例を見聞きしてしまって、ちょっと自信が揺らいでいます。

どう考えても、30歳は越えているだろう、1970年生まれの私と変わらんだろう、という人が自分を「三十路」だと言っていたり。自己紹介で自分の年齢を「三十路半ば」と言ってた人が、どうやら別に「あと6ヶ月で31歳になるんです」ってわけではなさそうだったり。

なんか「三十路」という言葉を、「30歳ジャスト」の意味ではなくて、「30代」の意味で使ってる人、増えてません? それとも、私が今まで気付かなかっただけで、もとからそうなの? 私が定義を狭く取りすぎなの?

ちなみに、「三十路」だけで用例を探しても、どっちの意味で使われているのかはそこだけだと判別しにくいので、試験的にGoogleで「三十路半ば」を検索してみました。現時点で1640件ヒット。そこから用例を拾っていっても、やはり「三十路」が「30代」の意味で使われていることって、けっこう多いみたいな気がします。イマドキの感覚だと、そうなのか? んじゃ、私も「三十路でーす」って自己紹介していいのか? しないけど。

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2004年6月11日

ピーコ『ピーコ伝』

読了本 | 書籍・雑誌

インタビュア:糸井重里。文春文庫PLUS、2003年刊(親本は2001年)。【Amazon.co.jp】

(ちなみに、本の感想は、必ずしも読了した日にアップしているわけではありません。ものによっては、けっこう前に読んでて、すでに具体的なところは記憶から抜け落ちていたりすることも。これは、前に途中まで書いたまま放置してあった文章のリライト。)

ほぼ日刊イトイ新聞で以前連載していたインタビュー「ピーコを、チェック。」をベースとした、糸井重里さんによるインタビューで構成された自伝本。

私は、むかしも今も、ピーコさんが出ているテレビ番組等をほとんど見たことがないので、実際にどういう雰囲気をかもし出す人なのかってことは、全然知りません。でも、ウェブの対談もこの本も、面白かった。子供時代の話のところなんか、特に。すごく素敵なご両親のもとで、まっすぐに育った人なんだなあ。そこで基本的な土台ができてるから、オトナになってから少々ハメをはずしても、軌道修正がきく。《自分》というものに対して、自力で獲得した“こうありたい”という美意識がきちんと存在するかんじ。そういう人が、私は好きだ。

さて、ここからは、余談。

テレビに出ているピーコさんをまったく知らない私にとって、ピーコさんと言えば、10代の頃によく聴いていたラジオ番組のパーソナリティとしてのピーコさんです。当時、NHK FMで23時からやっていた「クロスオーバー・イレブン」という番組を、よく聴いていました。ピーコさんはたしか、毎月5日間だけ、0時から始まる「第2部」の担当をなさっていたのです。私はどっちかというと、その「第2部」から聴き始めることが多かったはず(当時から宵っぱりでした)。トークをする人は毎週変わるのですが、ピーコさんの週を、特に楽しみにしていました。ゲイだからなのか、もともとの声質がそうなのか、とにかくなんとなく男の人にしては「ふわり」とした印象の声が、しんとした深夜に似つかわしくて好きだった。

どんな話題があったのかはもう、ほとんど忘れてしまったけれど。ああ、そうだ、リスナーの女の子からのお手紙で「××という映画の最後に流れる曲のタイトルを教えてください」なんてのがあったときに、「そういうことはビデオを借りてきてエンドロールを確認するなどの手段もあるのだから、まずは他人に訊く前に自分で調べなさい」ときっぱりコメントしていたのが、印象に残ってます。そういうのを10代の半ばに毎月のように聴いていたことは、たとえ今はもう具体的な内容はまるきり覚えていなくても、私のどこかに溶け込んで残っているのではないかと思う。こういうのって、糸井重里さんが『ピーコ伝』の序文で、彼のことを「日本のおかあさん」だと言っているのに通ずるとこもあるのかな。

で、ほとんど忘れてしまったなかで、2つだけ、強烈に今でも覚えている話があります。1つは、『ピーコ伝』にも出てくる、ピーコさんが片目を摘出したときの話。手術の報道があってまもない頃でした。命にかかわるかもしれなかった病気の話を語る淡々とした口調を、今でも思い出すことができる。

そしてもう1つは、チューリップ。インパクトのある花束を作るなら、というような文脈だったっけ? お花屋さんに行って、手に入るかぎりのありとあらゆる色と種類のチューリップ(意外と色合いも花の形もバラエティ豊かなのだ、チューリップという花は)を、1本ずつ買って――という話。

聞いてるだけで、目の前に、色とりどりのチューリップの花束が、ぱーっと広がるかんじだった。たとえ1種類につき1本ずつのチューリップでも、全体では抱えきれないほどのボリュームになることだろう。それを全部、一気に大きなシンプルな花瓶に入れて、テーブルの真ん中に置いたら、どんなに目を引くことだろう。

あれ、今気付いたんだけど、私がチューリップ好きになったきっかけは、もしかしてこれか? 好きな花を聞かれれば断然チューリップと答える私なんですが、いつからそうだったのか、記憶にないんだよね。10代前半は、まだ別にチューリップに思い入れはなかったような気がする。でも今はチューリップすんごい好きだ。結婚披露宴のときもお花屋さんとの打ち合わせで「チューリップ、チューリップ、チューリップが好きなんですよう」と主張して、会場の飾り付けにチューリップを多用しちゃったもんなあ。東京ではもうチューリップのシーズンは終わってたというのに。さすがにいろんな種類を1本ずつ、とはいかなかったけど。義母なんて、よっぽどあの披露宴が印象に残ったのか、今でも春先に一緒に歩いていてお花屋さんの前をとおりがかると、「チューリップ買ってあげましょうか?」って尋ねてくれますよ。

まあとにかく、そんなこんなで、今でも私は、「ピーコ」という名前を聞くと真っ先に連想するのが、「チューリップの花束」なんである。問答無用で。

夢のチューリップ花束。いつか、そういう一過性のものに存分にお金を注ぎ込めるくらい、いろんな意味で余裕ができたら、実現してみたいものだなあ。そもそも私、「ありとあらゆる種類のチューリップ」を取り揃えているような立派なお花屋さんには、足を踏み入れたことさえ、ないんですけど。

というわけで、本の感想からは思いっきりズレまくったまま終わります。

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2004年6月15日

二ノ宮知子『のだめカンタービレ』

書籍・雑誌

講談社、雑誌『KISS』で連載中。コミックスは現在全9巻。【Amazon.co.jp】

ここ最近、いろんな人からやたらと「面白い」とか「おすすめ」とか言われていた少女漫画。結局、とある漫画読みのかたに「強力おすすめ」というお言葉をいただいてしまったのが決定打となって、先日ついに、現時点で出ているのをほぼ一気に買ってしまいました。折りしも先週金曜日に最新巻(9巻)が出たばかり。たまたまここでストーリー的にも一区切りで、ちょうどよかったです。

なるほど。これは面白いわ。下手にあらすじ説明するより、とにかく読んで! と言いたくなる気持ち、分かる。

突出したピアノの才能を持つ自然児なヒロイン“のだめ”(野田恵)と指揮者を目指す“オレ様”千秋先輩をメインに、音楽を志す個性豊かな若者たちがさまざまなドラマを繰り広げて……というような書き方をしちゃうと、なんかありきたりなんだけど。帯の「こんなに笑えるクラシック音楽があったのか!?」というキャッチコピーのとおり、実は全編ギャグだらけ。“のだめ”なんて、「こんな少女漫画のヒロインあり?」と思うようなキャラ。でもクラシック音楽に関しては、ものすごくきっちり取材してあって。読んでるうちに、聴きたくなってきてしまうもの。そしてどの登場人物も、それぞれ一生懸命で、愛しくなってくるんだよなあ。

結局のところ、この漫画の面白さっていうのは、一見ギャグ炸裂のお笑いもののようでいて、実は由緒正しい『ガラスの仮面』系の、才能とか努力とか仲間とかライバルとか成長とか野心とか――そういった、オーソドックスな青春もののテーマをも押えたある意味「王道」的なストーリーでもあるってとこなんじゃないかと。肩の力の抜けた部分と、オーソドックスに熱い部分との兼ね合いがすごくいいのだ。

そんなこんなで、すすめてくださった皆さまに感謝です。

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2004年6月19日

St. Andrew's Ale

ビールラベル

andrews.jpg

醸造所はスコットランドのBelhaven。私でさえも名前を聞いたことのある有名なゴルフ場の限定ビールだとか。ゴルフ場の風景をクラシカルなタッチで描いたラベルがきれい。

ゴルフが趣味の義父に、父の日プレゼントの「おまけ」として。

先日、某所でここの「ビール日記」に対してもったいなくもお褒めの言葉をいただいたのですが、現在同居人A氏が会社の健康診断を控えて禁酒中(そんな泥縄方式でいいんだろうか、健康診断って?)で、なぜかわたくしも付き合うことになってしまったらしいので、来月までビールラベル画像の追加はありません。多分。

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2004年6月22日

この夏期待の新作映画

映画・テレビ

……と、言えばどうやら世間では「いかレスラー」らしいのですが(って、こういうことを書くたびに、自分が所属する「世間」ってどこなんだろうと思うのですが)、個人的に気になっているのは「GARFIELD the Movie」です。日本語サイトもあります。

まーさーかー実写(?)で出るとは思わなかったよなあ。でも原作漫画の絵柄にかなり雰囲気近いわ。そうか、あれを3D化するとこうなるのか。お見事。

しかし記憶をたどってみると、どうもコレも、ファンになったのは死んだ母親のほうが先でしたわ。あ……ちょっと嫌になってきたかも(笑)。自分の名前をローマ字で書くことすらおぼつかなかった頃にむりやり英語のギャグ漫画を読まされて、最初のうちはオチもなんも分からなかったんだよ。

連載開始直後からチェックしていたというのが在米時代の母の誇りで「ほかの日本人の皆さんにも話を振ってみたんだけど誰も読んでなかったのよう、教会でアメリカ人に話を振っても知らない人多かったのよう、でもこの漫画は絶対に人気が出ると思っていたのよう」と胸を張ってましたけど、今考えると駐在員奥様のあいだでただ一人、嬉々として漫画の話をしていたうちの親は、周囲からとっても浮いていたんじゃないだろうか(遺伝?)。日本に帰国後も、まだ洋書が高かった時代に母はせっせと新刊を買ってましたけど、今は最近作がウェブで読めちゃうんだぜ。へっへっへ(←私って嫌なやつ?)。

生きてたら「こんな映画が!」って喜んだだろうか。今月で連載26周年なんだって。早いなあ。

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2004年6月24日

水買いの季節

映画・テレビ | 近況

と、いうわけで、今年も常日頃愛用しているBRITAの浄水ポットをないがしろにしてvolvicのミネラル・ウォーターを買い続けるシーズンが到来しましたよ。

去年の販促キャンペーンの目玉は限定品の金城武DVDでしたが(そして結局、当たったのはポスター1枚でしたが)、今年はご本人がやってくる新作映画のプレミア試写会チケットだよ。そりゃあ、50組100名しか当たらないわけだけど、水買って夢見るくらいいいよね。

しかし、あれだけ入れ込んでいた指輪映画でも、いちいち試写会に応募したりなんかはほとんどしてないし、熱愛宣言までした「ハリー・ポッター」の映画最新作もいつ観に行けるかなー、なんて悠長なこと言ってるくせに、こういうのだけはそれなりに応募してしまうんだよなあ。きっと映画も公開されるなり速攻で予約取って観に行くことでしょう。

多分、愛情の多い少ないの差ではなく、方向性の問題なのだ。ということにしておこう。

かれこれ2年くらい放置状態になっている当サイトの金城ページも、そろそろなんとかしたいなあ。映画の感想文などは、近いうちにいったん下げようかと思ってます。9年(!)近くもファンやってると、さすがにいろいろ、考え方も変わってきますわ。

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2004年6月25日

何故に今頃

音楽

本日発売だったらしいです。
DVD「テレンス・トレント・ダービー・イン・コンサート」

Amazonには詳しいことが載ってなかったので発売元の情報を見に行ったところ、現在はSananda Maitreyaと名乗っている彼がTTD名でデビューしてすぐの頃、1987年のドイツ・ライヴ映像だとか。

えー、それ私が10年以上前から持ってる87年ドイツ・ライヴのビデオと内容一緒かなあ? でも微妙に曲目が違うような? パッケージ・デザインはまったく違うなあ。こういうのはあんまり判断基準にはならないけど。

しかし、今頃になって何故こんなDVDが日本で商品化されるかなあ? こんなの出しちゃって商売になるのかなあ? いや、嬉しいんだけどね。意外と、私のようなのがまだまだ多くて需要あったりするんだろうか?

まあ、とりあえず買ってみます。ところで、このサイトへのお客さんの中で唯一この話題に反応してくれるかもしれない某氏は、最近はネット上に出てきているのだろうか?(私信すみません)

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低価格化もここまで

映画・テレビ

同居人A氏に教えてもらったんですが、315円のお菓子のおまけが映画DVD、なんて商品が出ちゃうんですね。こういうのも「食玩」って言うのだろうか?

古い作品とはいえ、映画1本がおまけ扱いで315円って。そういうことができちゃうようになったんだなあ。ヴィヴィアン・リーの「アンナ・カレニナ」はちょっと欲しいかも。ていうか、315円なら、今までタイトルだけ知ってて観たことなかったやつ、片端から手を出してしまっても大丈夫だよなあ。レンタル料金並み。

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2004年6月27日

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(映画版)

映画・テレビ

Amazon.co.jp

まだしばらく行かないつもりでいましたが、結局観て来てしまった。

ずいぶんすっきり刈り込んだねー、というのが観終わって最初に浮かんだ感想。あれもこれもそれもすっきり省略して、これまでで(たしか)一番短い2時間22分。「おお、ここからもうここへ話が飛ぶのか!」、「うわ、こことここをくっつけたのか!」と、脳内で原作の記憶とつき合わせて脚本の苦労を思ってしまった(笑)。でも、原作どおりにやってたらお子様映画にあるまじきすっごい長い映画になっちゃうもんねえ。けっこう、うまいことつぎはぎしていたと思います。原作読んでないと意味不明な描写とかも残っちゃったけど。

前2作は、原作の枠組みにとらわれてすごく窮屈そうに作ってるなあ、と感じられた部分もあったので、今回はざくっと大胆にやってくれてよかったのでは。たしかに駆け足なかんじもしたけど、その分、展開がスピーディで飽きる暇もなく最後まで観ていられたという点では、これがシリーズ中で一番って人も多そうな気がします。少なくとも私は楽しゅうございました。

映像もお行儀のよかった前作と比べると、ダークだったりいろいろ遊びがあったりと面白かった。ディメンターなんか、お子様に見せるのをためらっちゃう親もいるんじゃないかってくらい怖かったし。子役は皆さん、大きくなりましたね。一昨年の『秘密の部屋』のときに私がしきりに可愛い可愛いと言ってたトム・フェルトンくん(ドラコ役)は、よそのサイトで「成長してから顔が崩れて可愛くなくなった」という意見を目にしましたが、ワタクシ的には、今でも充分可愛らしいと思います。嬉々としてヘタレた情けない悪役をやってくれてますよ。

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2004年6月29日

「LOVERS」予告編を観て、つらつらと。

映画・テレビ

で、ハリー・ポッターを観に行ったとき、上映前に金城武主演の新作映画「LOVERS」の予告編が流れたわけなんですが。

最近、映画館に足を運んでなかったので、スクリーンで観るのは初めてでした。公式サイトに出てる予告映像と、ちょっと違うバージョン?

正直、鳴り物入りで公開されたチャン・イーモウ監督の前作「HERO」が、個人的には今ひとつ物足りなかった(映像はすごくきれいなんだけどね)というのもあって、期待半分、不安半分ってとこですわ。まあ、今回も映像はすごく美しいはずなので、それ観に行くだけでも価値ありかな、とは思っていますが。

あのさ、これ言うと、ほかの金城ファンの皆さまからものすごいヒンシュク買いそうな気がするんだけどさ……。

私、実はどうもいまだに「古装片(中国の時代物)」の金城武に違和感あるんですわ。初めて見るからかなあ。でも、主役トリオ(って、ハリポタじゃないんだからこういう言い方はどうよ)のほかの二人、アンディ・ラウやチャン・ツィイーの時代物コスチュームがしっくりと馴染んでいるのに比べると、なんか金城だけ「衣装が浮いてる」ような気がして落ち着かないのよ。チャン・ツィイーもアンディ・ラウも、時代物アクション慣れてるからかなあ。でもアンディ・ラウなんて、私は別にファンじゃないんだけど、何を着てもピシっと似合うよねえ。

まあ私、あんまり自分の美的感覚は信用してないので、客観的に見れば金城もあのワダ・エミのデザインによる美麗なコスチュームがぴったり似合っているのかもしれないとも思うのですが。

もしかしたら、なまじっかファンであるがためにこれまで現代人としての金城の画像や映像(役を演じてない「素」のもの含む)を山ほど見ちゃってるせいで、時代物で演技している彼をその役柄として素直に見ることができなくなっちゃってるのか? 考えてみればアンディ・ラウもチャン・ツィイーも、私が初めて観た彼らの出ている作品は、時代物だったのだ。

単に、この映画については情報規制が強くてまだあまりたくさんの画像が出回ってないので、見慣れていないからというだけの問題かなあ。実際に映画を観に行ってストーリーに入り込んだら、気にならなくなるのかしら。そうでありますように。

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嶽本野ばら『下妻物語』

読了本 | 書籍・雑誌

小学館文庫、2004年刊。親本は2002年。【Amazon.co.jp】

小学館から最近新しく出た文芸誌『きらら』のウェブサイト「WEBきらら」においてPDFで提供されている番外編がやたら面白いので、本編を買ってきました。うむ、映画公開中なので表紙が……まあ、いっか。

ロリータ・ファッションに生きる女子高生・桃子と、同い年で舗爾威帝劉(ポニーテール)という暴走族のレディースに所属する田舎のヤンキー・イチゴのクールで熱い友情物語。

何もかも正反対とも思える二人だけれど、自分にとって一番大切な、決して譲れないものがちゃんと分かっているという点では、すごくよく似た二人でもある。コメディとして書かれていながら、これまでに読んだこの作者のシリアス路線の作品と同じく、「少女の矜持」というものがしっかりと詰まっていて、じんわりと感動的でした。

イチゴのお馬鹿発言も可愛いが、私のツボはやっぱり無駄な雑学を山のように抱えている語り手の桃子。なんでそんなモノを知っている!?……と突っ込みたくなるところ満載の連想のつながりっぷりが素晴らしい。

映画もすごく評判いいみたいなので、観てみたいなあ。いつまでやってるのかなあ。

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