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2004年6月 6日

梨木香歩(作)・早川司寿乃(絵)『マジョモリ』

読了本 | 書籍・雑誌

理論社、2003年刊。【Amazon.co.jp】

絵本だけど、文章は多めで、けっこう読み応えあり。淡い色彩で緻密に書き込まれた絵が、とても美しい。どのページからも、植物の気配や匂いが立ち昇ってくるような。

主人公の少女「つばき」は、ある朝起きると《マジョモリ》に招待されていた。マジョモリとは、大人たちが「御陵」と呼ぶ、本当は入ってはいけない近所の森のこと。空色のつるに導かれて森の奥へと入って行くと……。

森の奥に棲まう不思議な女性(最終ページまでその正体は明かされない)との、不思議なお茶会。神社のお供えのお菓子に合わせるお茶は、ヨモギにカキに、サクラにノギク。

子供の頃、この手の「主人公が日常を超えた世界からの招待を受ける」ようなお話を読むと、いつも羨ましかった。この子は招かれるけれど、私は招待されない。私はどんなに願っても、ずっとここにいる。

このお話の中では、主人公のつばきちゃんは、代々続く地元の神社の神官の家の子だ。あちら側からの招きを受けるのは、やはりそういうおうちの子だけなのかしら――と、子供の頃の私なら、身もだえしたに違いない。

だから、つばきちゃんが走っていってしまってから、一人残された家でつばきちゃんのお母さんが「私もご招待されたーい」と泣きじゃくる気持ちに、じわわわん、ともらい泣きしそうになったのだ。

ところが。このお話のすごいところは、その泣いていたお母さんまでもが、改めてご招待を受けてしまうのである。ウェンディが大人になってもまだ、ピーターを娘に託すのでなく、一緒にネバーランドに飛んでいくようなもんじゃないの、それ。なんと胸がすく。ただ、これが『ピーターパン』のネバーランドと違うのは、招待者もまた、女性である点だ。これは、女の子だけのお茶会なのである。

今までに読んだ梨木香歩作品の多くに濃厚にただよう、「女だけ」のあいだに受け継がれていく何か。「女だけ」が共有する、時間。「女だけ」が有する、自然(主に植物)との共存関係。いつも、何かが引っかかるのだが。

「それ」に引っかかっているかぎり、私は決して招待を受けることなく、「こちら側」に取り残されつづけるのだ、という気がしてならない。私は「それ」を、共有できない。「それ」がなんなのかさえ、分からない。

幼稚園の頃、親にねだってチョークを買ってもらって、家の前のコンクリートの上に一生懸命に野原の絵を描いたけど、メアリー・ポピンズが滞在していたバンクス家の子供たちのように絵の中に入れたことは一度もなかったのと、同じように。

ものすごく、作品の意図からそれた受け止め方をしているのであろうという自覚はありつつも、読了したあと、そこはかとなく寂しかった。

Posted at 2004年6月 6日 23:17



All texts written by NARANO, Naomi. HOME