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2004年7月 5日

法則を知りたい

書籍・雑誌 | 映画・テレビ | 言葉

『SCREEN』という映画雑誌などを出している、近代映画社という出版社があります。ここの出版物における、海外俳優の人名表記の独特さが、前々から非常に気になっています。

たしかに外国語をカタカナ表記するのって、いろいろと無理矢理な部分があるから、いろんな表記は可能だと思うんだけど、有名人の名前なんて、ある程度は世間一般の共通認識ってもんがあるでしょう。故ロナルド・レーガン元大統領を、そうとも聞こえるからと言って「リーガン」などと表記した新聞がありましたか?

しかしながら、近代映画社だけは、かたくなにこの「共通認識」を無視した表記法を採用してくれてるのだ。欧米の俳優さんの名前から、ちょっと目についたのを拾ってみます。


(括弧内が一般的と思われる表記)
●オーランドー・ブルーム(オーランド・ブルーム)
●イライジャー・ウッド(イライジャ・ウッド)
●ヴィゴー・モーテンセン(ヴィゴ・モーテンセン)
●ジュード・ロー(ジュード・ロウ)
●ダニエル・デイ・リュイス(ダニエル・デイ=ルイス)
●キャメロン・ディアズ(キャメロン・ディアス)
●グィネス・パルトロー(グウィネス・パルトロウ)
●キアヌー・リーヴス(キアヌ・リーブス)
●ウィノーナ・ライダー(ウィノナ・ライダー)
●マコーリー・カルキン(マコーレー・カルキン)
●キアラン・カルキン(キーラン・カルキン)
●ドルー・バリモア(ドリュー・バリモア)
●レナード・ディカプリオ(レオナルド・ディカプリオ)
●ヘーリー・ジョエル・オズメント(ハーレイ・ジョエル・オスメント)


ここまで、すでに定着している表記を無視する意図って、なんなんだろう? 日本では「レオ様」なんて呼ばれていたこともあるディカプリオが「レナード」では、なんだか別人です。またこの「レナード」という表記には、もう一つ謎があって。

「Elijah=イライジャー」とか「Orlando=オーランドー」とかを見るかぎり、末尾に母音が来る綴りになってる名前は強制的に長音記号(ー)をつけるという法則があるっぽいんですが、なぜかこの「レナード」だけが例外なのだ。「Leonardo」なのに、「レナードー」じゃないのだ(そんな表記したらますます「レオ様」とは別人っぽいけど)。

ジャッキー・チェン(Chan=陳)とイーキン・チェン(Cheng=鄭)を区別して「チェン」と「ツェン」に書き分けている(そうなんだよー、イーキン・チェンが「イーギン・ツェン」になってるんだよー)近代映画社が、なぜ "Leonard" と "Leonardo" とを区別しないのか。そして "Leonardo" が「レナード」になるなら、ほかの人たちの名前もさくっと「イライジャ」、「オーランド」、「キアヌ」でいいんじゃないか? ああ、すっきりしない。すごーくすっきりしない。いったい、何が基準なんだ。

こんなにも独特の表記が、毎号毎号、きっちり統一されて守られているということは、近代映画社で仕事をするライターさんには、きっと最初に「当社の表記規則」みたいなマニュアルが配られるのに違いないぞ。見てみたいなあ。とっても好奇心をそそられるなあ。

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2004年7月 7日

Old Foghorn

ビールラベル

foghorn.jpg

同居人A氏の健康診断無事終了により、当サイトでもビールのメモを再開。

解禁後の1本目は、米国サンフランシスコのアンカー社が出している「オールド・フォグホーン」

比較的アルコール度数が高い“バーレイ・ワイン(麦のワイン)”と呼ばれるタイプのビール。これがですね、驚くほど美味でした。久々に摂取するアルコール飲料だったということを差し引いても、ちょっと危ないくらい好み。濃厚な風味があるんだけど、すーっと飲めちゃう。

今のところ、アンカー社のビールはハズレがないなあ。

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2004年7月 8日

ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』

読了本 | 書籍・雑誌

風見潤・訳、新潮文庫、1982年刊(2002年復刊)。
【Amazon.co.jp】【復刊ドットコム】

原書は、Douglas Adams "The Hitch Hiker's Guide to the Galaxy" 1979年刊。【Amazon.co.jp】

えー、先日、必死で探していた例のやつ。ちょっと前に読了したまま何も書かずにいたんだけど、やはりメモは残しておきましょう。なるほどなるほど、有名な本なのでタイトルだけはむかしから本当によく耳にしていたが、こういうものでしたか。ラジオドラマのノベライズだったとは知りませんでした。

ごく普通の一般人であるアーサーは、ある日いきなり、自分の住居がバイパス建設のため取り壊されることになっていると知らされる。ブルドーザーの前に身を投げ出し、断固として抵抗していたが、そこに訪れた友人のフォード(実は異星人で旅行案内書『銀河ヒッチハイク・ガイド』の著者)は、それどころじゃないと知っていた。なぜって今この瞬間、銀河系亜空間開発公団の宇宙船が、亜空間高速通路(宇宙のバイパス)建設のために、地球を取り壊そうとしているのだから。

というわけで、物語はいきなり「地球がなくなる」ところから始まります。諸行無常。おかしいような、寂しいような。宇宙船にヒッチハイクして壊滅寸前の地球を逃れたアーサーとフォードの銀河放浪譚、とでもいうんでしょうか。一難去ってまた一難、出会うものすべて、とってもヘン。ストーリー展開も、「どうしてそうなるんだ!?」ってかんじに意表をついてくれます。

なんていうか、ひっじょーーーーに、“イギリス人っぽい”(って、私のイメージでだけど)語り口。ひねくれた笑いにあふれています。日本語で読んでも充分楽しいけど、これ、本当はイギリス文化のわかる人が英語で読むともっと面白いんだろうと思う。訳者解説では「『モンティ・パイソン』をSF的に」したような話だと言ってますが、たしかにそうかも。

訳者の解説によると、「古今のSFや小説、映画が大幅に取り入れられている」とのことなので、受け止めきれなかったギャグも多そうだ。きっとなんかのパロディなんだろうなあ、と漠然と文脈で思った箇所なんかもあったんだけど。

そして、思いっきり「次回につづく」なエンディングでした。というわけで、近いうちに続編も読むと思います。

えーと、しかし、もしかしてこのページを今の形式で運営するようになって以来、曲がりなりにもSF小説と分類されるものについて書いたのは、これが初めてですか? 本当に、SF系に入れてもらっていることが、申し訳なくなってきましたよ。そちらから来てくださる方も多いので、自分の都合だけを言えばありがたいんですけれど。うーむ。

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2004年7月12日

流れに棹さす

言葉

ちょっとしたきっかけがあって、ずっと前から時折、脳裏に浮上していた疑問を思い出した。「カイニン」問題と同じようなことなのだけれど、こっちは賛同者がずっと少ないかもしれない。

「幼少」という言葉がありますね。私はずっと、この言葉は懐妊と同じく、「身分の高い人」に使う単語だと思ってきたんです。だから、「幼少のみぎり、私は〜」なんて表現は、自分をエライ人に見立てたギャグとして使ってるんでしょ?……と。でも、どうやらそういうわけでもないらしい、ということに気付いて、はや10年以上。みんな、ごくごくふつうに、ニュートラルに、「幼少」って単語、使ってるみたいだよねえ?

どこかに私と同じ感覚の人はいないものだろうか、とウェブをぐるぐるしてみたんですが、かなり精力的に探したにもかかわらず、2年ほど前の「発言小町」(読売新聞の読者投稿ページ)の「気になる日本語の誤り」というスレッドで、私と同じことを言ってる人がいるのが見つかったのみ。たった1件ですよ!

いや、少なくとも世の中に一人は私と同じ感覚の人がいるんだな、と喜んだほうが前向きなのかしら(苦笑)。

『広辞苑』にだって、特に「身分の高い人限定」なんてことは書いてません。ただ、実際に引いてみると

よう‐しょう【幼少】エウセウ
平家物語2「―より御憐みを蒙つて、片時も離れまゐらせ候はず」。「御―のみぎり」

というふうに書いてある。例文のこのくだりが『平家物語』のどこなのか知りませんが、「御」付きで言及されているってことは、この文の主体はきっと、身分の高い人だな。そのへんで、私は何か、錯覚をしているのだろうか? でも『広辞苑』引く前から、私は「幼少って言葉は自分や自分と同レベルの一般人に対しては使わない」と思い込んできたような気がするんだよなあ。いったい、何がきっかけだったんだろう?

言葉なんてのは、ナマモノです。「間違い」と非難されていた表現だって、そっちを使う人が圧倒的多数になれば、最初のうちは「誤用」とか「俗用」の注釈付きではあるかもしれませんが、やがて辞書にも記載されます。「一姫二太郎」とか。「気がおけない」とか。

そして、辞書は、常に現実の「後追い」でしかありません。「辞書に載っているから、この単語の意味はこう」なんじゃなくて、「こういう意味で使われるから、辞書にもこう載っている」なんだよね。

もしかしてもしかしたら、「幼少」を身分の高い人のみに対して使うことが一般的であった時期が、かつて本当にあったのかもしれない。でも少なくとも今は、そうではない。辞書にも載ってない。みんな、ふつうに使ってる。だったら、もうこだわりなど、捨てるべきなのではないか?「懐妊」だって、どんどん一般人の話をするときに使っちゃっていいのではないか?

そう思いつつ、やっぱり、使えないんだよなあ。気持ち悪いんだよなあ。「ほかの人が使っていても、ぐっとこらえて平静な気持ちで受け止める」ということは心がけたいと思いますが。そもそも、私の感覚のほうが間違ってる可能性だって大きいんだし。でもそれが私の限界だなあ。

ところで、上でリンクした「発言小町」で「幼少」に言及している投稿者の人が一緒に取り上げている「発覚」という単語。私もこれ、ずっと思ってました。特に、子供を待ち望んでいたような人が「妊娠が発覚しました」とか自分で言うのって、絶対変だよ! でも、けっこう目につく。そもそもは、妊娠をしばらく隠しておきたかった芸能人なんかが雑誌にすっぱ抜かれちゃって「妊娠発覚!」みたいな見出しで書かれてたのが、「妊娠」とセットで使う単語と思われて定着してきてるんじゃないかなあ、というのが私の推測。

これは、愛用の『広辞苑』にもちゃんと

はっ‐かく【発覚】
罪悪・陰謀または秘密のあらわれること。露見。「悪事が―する」

と書いてあるので、今ならまだ反論されても応戦できるぞ(笑)。これも、時流とともに変わっていくのかもしれないけど。

あ、無粋かもしれませんが念のために説明しておくと、この記事のタイトル「流れに掉さす」も、『広辞苑』で引いてみると、

棹を使って流れを下るように、大勢のままに進む。誤って、時流にさからう意に用いることがある。

と、2つの意味が載っていますよ。さて、わたくしは、どちらの意味で「流れに棹さす」べきなんでしょう?

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Poperings Hommelbier

ビールラベル

poperings1.jpg
ベルギーのファン・ホンセブラウ醸造所より。おおっ、これはさわやか。明らかにエール系なんだけど、ふつうエールを飲んだときに思う「濃厚」とか「甘味がある」ってかんじよりも、とにかくホップの苦味と香りがしっかりと利いてる印象が強い。軽いからかと言って、風味がないわけではなく。夏にはいいね。

poperings2.jpg

いつもはラベルしか載せてませんが、これはホップをデザインした王冠もかわいかったので、そっちの写真も載せておこう。

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2004年7月13日

津田晴美『GOOD LOOKING LIFE』

書籍・雑誌

インテリア・スタイリスト津田晴美さんの『GOOD LOOKING LIFE "いい感じ生活" をしている人の43の行動』 (TOTO出版、2001年刊。【Amazon.co.jp】)という本を読んでいて、ちょっと寂しい気持ちになった。

この本の内容自体は、至極真っ当なことばかり。どれもこれも、まぶしいほどに正論だ。津田さんが一般向けに開講した「リビングデザインセミナー」の講義内容を再構成したものらしい。

いろんな人の「暮らし」に関する本を読むのは、けっこう好きだ。私自身は、本に書かれているような一本筋の通った生活をするには、あまりにも「暮らし」というもの自体に対する情熱が希薄だなあ、と思ったりするのだけれど。

自分にとって何が一番、気持ちいい生活なのか、美意識上、何が許せて何が許せないのか。そんなことをとことん突き詰めて考えて、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら取捨選択して、やがて言いたいことが溜まってきて、ついには本を出してしまう――くらいに、意識的に「生活」している人って、すごいよねえ、と素直に思うのだ。衣食住すべてに妥協のない生活をするのって、すごーく時間とエネルギーが要るから。

こういうのを読むと、ちょびっとだけ、殊勝な気になったりする。書いてあるのをそのまま実践はできなくとも、もうちょっと明日は背筋を伸ばして、行き当たりばったりでなく生活してみようかな、と。その心がけはやがてまた、しおしおと崩れていくのだけれど(笑)。こういう本は、夏の暑さに溶けそうになってだらだらしている自分を奮い立たせたり、微妙にヒントを得たり、ということができれば、それでOKなんだと思ってる。ええ、今回読んだこの本でも、「五〇万円あればまともなソファが買える」なんて記述に、「ひょえー、この著者にとって五〇万円のソファは、あくまでも『まともな』ソファなのかー」と口あんぐりだったような私ですもの。でも、そういうところも、また楽し。

ところが、そうやって「自分にとって心地よい」ものを真摯に追求していく著者の姿勢が「人間」にまで及んでいくあたりで、私はなんとなく「寂しいなあ」と感じてしまったのだ。

たとえばこんなところ。

いつも楽しい文面で私にファックスや葉書をくれる人がいた。(中略)ある日、何を思ったか、その人らしからぬ挨拶状が毛筆で届いた。どう返事して良いものやら、戸惑った。こんなお習字、代筆のような文体はちっとも素敵じゃないし、あなたの言葉ではない、と書いて送ろうかとも思ったが、個人的な関係の終わりを予感して、返事を出すのをやめた。

長年のつきあいも毛筆の手紙1通で切り捨てですか! ちょっと気紛れで「たまには正座で背筋を伸ばして墨でもすってよそ行きの文章にしてみっか」と思いついてしまっただけかもしんないじゃん! 私だったら、どーでもいい相手にわざわざ手間隙かけて毛筆のお便りなんか書けないよ!

全くプライベートな用件なのにタイプされていたら、受け取ったほうは興醒めする。

タイピングじゃないとプライベートな言葉を綴れない人種としては(だって、手書きじゃ頭の速度に指が追いつかなくて言葉がこぼれてしまうから)、そういうことを言われると痛いなあ。まだ電子メールなんてものが普及していなかった頃、遠方にいる友人とワープロ打ちの長い長いメールを頻繁にやりとりしていた。もしかしたら一通あたり原稿用紙換算なら十数枚〜二十枚分くらいはいってたんじゃないだろうか。もし手書きしてたら、あそこまで真剣に、とことん語り合うようなやりとりはできなかったよ?

ある日、ものを書く仕事の人が、私と雑談しながらメモをとった。(中略)彼女のメモ帳には、出会った人や出合った本の中の素敵な言葉やフレーズがいっぱい書き込んであるそうだ。これはショックだった。言葉を操るプロがそういうことをしていたとは。つまり、言葉のサンプリングってわけかい?

うーん。「サンプリング」っていうのは、また随分、手厳しい。そのまま、ごろんと生のまま仕事に使うわけじゃないと思うよ、きっと? ていうか、そういうのって多分、仕事に使えるからってだけで集めてるんじゃないんじゃないかなあ。

言葉を操るプロっていうのは、当然「言葉好き」なわけでしょう。宝石好きがジュエリー・ケースに宝石を集めるように、アンティーク時計好きが飾り戸棚に自分のコレクションを並べるように、カラスが自らの巣に光りものを溜め込むように、言葉好きがメモ帳に、光って見える言葉を陳列して無邪気ににんまりしていることの、いったい何が悪いんだろう。私は小心者かつものぐさなので、他人と会話中にメモ取ったりはできませんが。

しかしこの著者は、キッチンから化学調味料を排除するように、お掃除グッズから合成洗剤を排除するように、自分の評価基準にそぐわない人間をも、一瞬で判断し、もう一度別の面から見てみたらどうかしらなどと、ぐずぐずと迷うことすらせず、ただきっぱりと潔く選別していくのかもしれない。そう思うと、なんだかとても、寂しかったのだ。それは、この評価基準なら、私は排除される側だなあ、と思ってしまったからかもしれないんだけど。

そしてまた、こんなことを言う私が、人との関わりをきちんと維持できているか、絶対に一方的に切り捨てたりしていないか、と問われると、ぐっと言葉に詰まってしまったりする私でもあるところに、大きな矛盾があると言えばあるんんだけど。わはは、最近、不義理をしている相手がたくさんいるぞ。どうもすみませんです。切り捨ててるんじゃなくて、単なるものぐさなんだよー。見捨てないでくれー。

以前、20年近くつきあっている古い友人が私のことを「人間関係を絶つことに対してはすごく消極的」と指摘してきたことがあって、「え、傍目にはそう見えるのか!」とびっくりだったことがある。自分自身としては、かつて短慮によってうっかり切ってしまった人間関係に関する悔恨の記憶がたくさんあるので。

でも、こういう本でこういう記述を読んで反発を覚えるってことは、友人の言うことも、あながちハズレではないのかも? いや、私の場合、ただ単に友達少ないからってだけか? こういう素敵な暮らしをしている著者の人だと、切り捨てても切り捨てても、まだまだ周囲にはたくさんの人間が寄り添っているのに違いないしね。

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2004年7月24日

あーつーいー。

近況

今日、図書館に行ったら、返却コーナーのところで華奢なかんじのお爺さんが
「期限を過ぎてしまって申し訳ありません!」
と受付のお嬢さんに向かって律儀に謝罪していらっしゃいました。で、続けておっしゃるには
「家の者たちが、暑いから外に出てはいかんと言って、来させてくれなかったのです!」

ああ、ご家族の方々の心配も、とってもよく分かるよ〜。ほんっとに毎日、暑いものねえ。そしてまた、本当に華奢なかんじの、デリケートそうなお爺さんなんだよー。

そんなにデリケートではないわたくしだって、もう1日に10回くらいは、「ああ、南極のペンギンに生まれたかった」とつぶやく毎日でございますよ。日本の夏の暑さを知らないまま、南極に生まれ南極に死んでゆく。南極でペンギン業を営んでいれば、2000年にはNHKのドキュメンタリー番組の撮影で、金城武が会いに来てくれたはず。最高の人生鳥生だわ。

今でも私は、どんな甘々の恋愛映画におけるカネシロよりも、あの番組でペンギンを見つめていたカネシロの顔が一番、輝いていたと思っていますよ(それもファンとしてどうかと)。

ところで金城武が表紙の『PREMIER』9月号も無事ゲットしましたが、やはりまだ見慣れないわ、時代劇コスチュームの金城くん。きれいなんだけどね。

…………えーと。なんの話してたっけ。暑いから話題も拡散してしまいますわ。

Posted at 23:44 | 個別リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)

しもつまビール パストレイク

ビールラベル

shimotsuma.jpg

先週末、渋谷で映画「下妻物語」を観たときに、映画館の中で売っていたので記念に買った茨城県下妻市の地ビール。

映画の感想は後日。

Posted at 23:45 | 個別リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)

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All texts written by NARANO, Naomi.