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2004年7月12日

流れに棹さす

言葉

ちょっとしたきっかけがあって、ずっと前から時折、脳裏に浮上していた疑問を思い出した。「カイニン」問題と同じようなことなのだけれど、こっちは賛同者がずっと少ないかもしれない。

「幼少」という言葉がありますね。私はずっと、この言葉は懐妊と同じく、「身分の高い人」に使う単語だと思ってきたんです。だから、「幼少のみぎり、私は〜」なんて表現は、自分をエライ人に見立てたギャグとして使ってるんでしょ?……と。でも、どうやらそういうわけでもないらしい、ということに気付いて、はや10年以上。みんな、ごくごくふつうに、ニュートラルに、「幼少」って単語、使ってるみたいだよねえ?

どこかに私と同じ感覚の人はいないものだろうか、とウェブをぐるぐるしてみたんですが、かなり精力的に探したにもかかわらず、2年ほど前の「発言小町」(読売新聞の読者投稿ページ)の「気になる日本語の誤り」というスレッドで、私と同じことを言ってる人がいるのが見つかったのみ。たった1件ですよ!

いや、少なくとも世の中に一人は私と同じ感覚の人がいるんだな、と喜んだほうが前向きなのかしら(苦笑)。

『広辞苑』にだって、特に「身分の高い人限定」なんてことは書いてません。ただ、実際に引いてみると

よう‐しょう【幼少】エウセウ
平家物語2「―より御憐みを蒙つて、片時も離れまゐらせ候はず」。「御―のみぎり」

というふうに書いてある。例文のこのくだりが『平家物語』のどこなのか知りませんが、「御」付きで言及されているってことは、この文の主体はきっと、身分の高い人だな。そのへんで、私は何か、錯覚をしているのだろうか? でも『広辞苑』引く前から、私は「幼少って言葉は自分や自分と同レベルの一般人に対しては使わない」と思い込んできたような気がするんだよなあ。いったい、何がきっかけだったんだろう?

言葉なんてのは、ナマモノです。「間違い」と非難されていた表現だって、そっちを使う人が圧倒的多数になれば、最初のうちは「誤用」とか「俗用」の注釈付きではあるかもしれませんが、やがて辞書にも記載されます。「一姫二太郎」とか。「気がおけない」とか。

そして、辞書は、常に現実の「後追い」でしかありません。「辞書に載っているから、この単語の意味はこう」なんじゃなくて、「こういう意味で使われるから、辞書にもこう載っている」なんだよね。

もしかしてもしかしたら、「幼少」を身分の高い人のみに対して使うことが一般的であった時期が、かつて本当にあったのかもしれない。でも少なくとも今は、そうではない。辞書にも載ってない。みんな、ふつうに使ってる。だったら、もうこだわりなど、捨てるべきなのではないか?「懐妊」だって、どんどん一般人の話をするときに使っちゃっていいのではないか?

そう思いつつ、やっぱり、使えないんだよなあ。気持ち悪いんだよなあ。「ほかの人が使っていても、ぐっとこらえて平静な気持ちで受け止める」ということは心がけたいと思いますが。そもそも、私の感覚のほうが間違ってる可能性だって大きいんだし。でもそれが私の限界だなあ。

ところで、上でリンクした「発言小町」で「幼少」に言及している投稿者の人が一緒に取り上げている「発覚」という単語。私もこれ、ずっと思ってました。特に、子供を待ち望んでいたような人が「妊娠が発覚しました」とか自分で言うのって、絶対変だよ! でも、けっこう目につく。そもそもは、妊娠をしばらく隠しておきたかった芸能人なんかが雑誌にすっぱ抜かれちゃって「妊娠発覚!」みたいな見出しで書かれてたのが、「妊娠」とセットで使う単語と思われて定着してきてるんじゃないかなあ、というのが私の推測。

これは、愛用の『広辞苑』にもちゃんと

はっ‐かく【発覚】
罪悪・陰謀または秘密のあらわれること。露見。「悪事が―する」

と書いてあるので、今ならまだ反論されても応戦できるぞ(笑)。これも、時流とともに変わっていくのかもしれないけど。

あ、無粋かもしれませんが念のために説明しておくと、この記事のタイトル「流れに掉さす」も、『広辞苑』で引いてみると、

棹を使って流れを下るように、大勢のままに進む。誤って、時流にさからう意に用いることがある。

と、2つの意味が載っていますよ。さて、わたくしは、どちらの意味で「流れに棹さす」べきなんでしょう?

Posted at 2004年7月12日 12:19

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» ようしょうのようほう from 虫のいい日々
すみません、すんごく本筋から離れたところに反応しているということは自覚しているんですが、先日の「幼少」の用法ネタに関する続報(?)です。... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2004年9月15日 00:37

コメント

本人が「幼少の頃は…」と使っている例を、普通の雑誌で発見したときにはめまいがしましたが、段々鈍化してきているかも知れません。ウェブで見てももう驚かなくなったけど、あんまりそういう人とは付き合いたくないかも…。

投稿者 にじむ : 2004年7月12日 13:39



あ、おんなじ感覚の人がいてちょっと嬉しい(笑)。

私の場合は「そういう人とは付き合いたくない」とまでは思わないけど、「そういうふうじゃない人を見つけると、すり寄りたくなる」ことはあるかも(にじむさんも今、私にすり寄られていますよ!)。

辞書にも載ってないような言葉の使い分けって、どこまで主張していいものか、すごく迷うんですよね。私自身、そういうのをどこまでちゃんと把握できてるのかって訊かれると、言葉に詰まるし。

こんなにも当然のように「幼少」が対象を限定せずに使われてるのを見てると、すでに「オフィシャル」には、どっちでもよいことになっちゃってるんじゃないかって気もしてきて。気弱?

投稿者 ならの : 2004年7月12日 21:16



例に酔って、じゃなくて例によって日本国語大辞典をひいてみました(笑)。

意味は、まあ普通な「幼少」のほかに(2)として「江戸時代の武家の制度で、一〇歳までの称。また、その人」というのがあって面白かったです。制度というかそういうカテゴリーがあったわけか。U-10世界蹴鞠選手権とか。

用例に福沢諭吉の「福翁自伝」から「私は勿論幼少だから手習どころの話ではないが」というのが「自分について幼少と表している例」で、ほかはみな第三者に対しての表現になっていました。
「件男幼少之上、本性愚頑、無守一芸」とか「幼少な彼にも感得できた」とか。幼少なうえに本性が愚頑って、ものすごい罵倒だな。

で、私の感覚は、「身分の高い人」専用とは思わないけれど、自分のガキ時代を「幼少の頃」とは言わない、という感じです、はい。
まあ冗談で「俺も幼少の頃はタマのような赤ん坊だったんだぜ、にゃー」ぐらいはいうかもしれませんが。

投稿者 ぱと : 2004年7月13日 01:20



反応が遅くなって失礼しました。いつも『大辞典』を引いてくれて感謝です。
有料でいいので(金額によるけど)自宅からオンラインで引けるようにならないですかねー>『大辞典』。あ、でもフォントのない文字とか多くて無理か?

最寄りの図書館にもないんですよね。公立図書館はみんな常備してほしいよ。購入希望用紙、出したら通るだろうか、ひと揃い30万円くらい?

で、幼少。そうか、福沢せんせいが自分に対して使ってるんですね。
でも少なくとも、「自分に対しては使わない」人が一定数いることはたしかなんですね。

まあ、嫌いな表現に関しては、自分が使わない分には、ほかの表現を選べばいいだけなんですけどね(仕事とかで使わざるを得ないときは別として)。

こういう辞書にはないのに「なんとなく」自分の中では「縛り」ができてしまう言葉って、どういうところからいつのまにそういう感覚が定着するのか、どの程度の根拠があるのか、不思議です。思いも寄らぬところでほかの人と感覚ずれてたりしそうで怖いわ。

そういえばサザエさんちのタマは男の子だそうでございますね。彼が育つとぱと兄さまになるのですね。世の中、思いも寄らぬことばかりでございます。

投稿者 ならの : 2004年7月16日 20:24



わたしもず〜っと同じようなことを考えてきました
違和感を感じるようになったのはここ数年です。
わたしは、40代後半です。
幼少は、原則、文書で筆者以外の人に対しつかうもの(文語)と思っています。話し言葉で使うときは、ほかの人を立てる時につかうもの、尊敬語的な文脈に限って使えるものだと、ず〜っと思っています。

ですので、自分自身で使ったり、フランクなシチュエーションで突然でてくると違和感を感じます。

話し言葉では、子供のときは、子供時代は、子供時分は、とか、「小さなころは、xxでした。」とかっていえ、と心の中でいつも思ってしまいます。

今日、キムタクが自分自身に使っているのをテレビで見て、検索しました。こちらを見つけて、同じような方がいるなと思ってうれしくなりました。

投稿者 さーじ : 2009年5月21日 06:40



さーじさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

「幼少」という言葉、現在ではこの記事を書いた2004年よりさらに、抵抗なく自分自身の子供時代を語るのに使うのが世間で普通のことになってきているような気がしています。

最近は一般の人がブログや会話でそういう表現をしていても、脳内でツッコミを入れることすら面倒になってしまっています。

でもテレビや印刷物で自分自身に使っている例に遭遇すると、まだまだ私も引っかかってしまいますね。そうですか、キムタクも使っていましたか。

私も、同じような感覚の方がいらっしゃって、嬉しく心強く思いました。どんどん少数派になっていくのでしょうけれど。

投稿者 ならの : 2009年5月21日 08:58



私もずっとそう思っていました。
一般人が使う言葉ではないと思っていたのですが
辞書的には問題がないのですね。
それでもブログのプロフィールのところに書いてあると
違和感を感じますね。

投稿者 すう : 2011年11月 7日 11:51



やっぱり現在でも、違和感があるという方、ちらほらいらっしゃいますね。辞書には特に用法の指定がないだけに、私たち少数派が、どこでそういう言語感覚を身につけたんだろうということが最近はちょっと気になります。

投稿者 ならの : 2011年11月 7日 17:21





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