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2004年7月13日

津田晴美『GOOD LOOKING LIFE』

書籍・雑誌

インテリア・スタイリスト津田晴美さんの『GOOD LOOKING LIFE "いい感じ生活" をしている人の43の行動』 (TOTO出版、2001年刊。【Amazon.co.jp】)という本を読んでいて、ちょっと寂しい気持ちになった。

この本の内容自体は、至極真っ当なことばかり。どれもこれも、まぶしいほどに正論だ。津田さんが一般向けに開講した「リビングデザインセミナー」の講義内容を再構成したものらしい。

いろんな人の「暮らし」に関する本を読むのは、けっこう好きだ。私自身は、本に書かれているような一本筋の通った生活をするには、あまりにも「暮らし」というもの自体に対する情熱が希薄だなあ、と思ったりするのだけれど。

自分にとって何が一番、気持ちいい生活なのか、美意識上、何が許せて何が許せないのか。そんなことをとことん突き詰めて考えて、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら取捨選択して、やがて言いたいことが溜まってきて、ついには本を出してしまう――くらいに、意識的に「生活」している人って、すごいよねえ、と素直に思うのだ。衣食住すべてに妥協のない生活をするのって、すごーく時間とエネルギーが要るから。

こういうのを読むと、ちょびっとだけ、殊勝な気になったりする。書いてあるのをそのまま実践はできなくとも、もうちょっと明日は背筋を伸ばして、行き当たりばったりでなく生活してみようかな、と。その心がけはやがてまた、しおしおと崩れていくのだけれど(笑)。こういう本は、夏の暑さに溶けそうになってだらだらしている自分を奮い立たせたり、微妙にヒントを得たり、ということができれば、それでOKなんだと思ってる。ええ、今回読んだこの本でも、「五〇万円あればまともなソファが買える」なんて記述に、「ひょえー、この著者にとって五〇万円のソファは、あくまでも『まともな』ソファなのかー」と口あんぐりだったような私ですもの。でも、そういうところも、また楽し。

ところが、そうやって「自分にとって心地よい」ものを真摯に追求していく著者の姿勢が「人間」にまで及んでいくあたりで、私はなんとなく「寂しいなあ」と感じてしまったのだ。

たとえばこんなところ。

いつも楽しい文面で私にファックスや葉書をくれる人がいた。(中略)ある日、何を思ったか、その人らしからぬ挨拶状が毛筆で届いた。どう返事して良いものやら、戸惑った。こんなお習字、代筆のような文体はちっとも素敵じゃないし、あなたの言葉ではない、と書いて送ろうかとも思ったが、個人的な関係の終わりを予感して、返事を出すのをやめた。

長年のつきあいも毛筆の手紙1通で切り捨てですか! ちょっと気紛れで「たまには正座で背筋を伸ばして墨でもすってよそ行きの文章にしてみっか」と思いついてしまっただけかもしんないじゃん! 私だったら、どーでもいい相手にわざわざ手間隙かけて毛筆のお便りなんか書けないよ!

全くプライベートな用件なのにタイプされていたら、受け取ったほうは興醒めする。

タイピングじゃないとプライベートな言葉を綴れない人種としては(だって、手書きじゃ頭の速度に指が追いつかなくて言葉がこぼれてしまうから)、そういうことを言われると痛いなあ。まだ電子メールなんてものが普及していなかった頃、遠方にいる友人とワープロ打ちの長い長いメールを頻繁にやりとりしていた。もしかしたら一通あたり原稿用紙換算なら十数枚〜二十枚分くらいはいってたんじゃないだろうか。もし手書きしてたら、あそこまで真剣に、とことん語り合うようなやりとりはできなかったよ?

ある日、ものを書く仕事の人が、私と雑談しながらメモをとった。(中略)彼女のメモ帳には、出会った人や出合った本の中の素敵な言葉やフレーズがいっぱい書き込んであるそうだ。これはショックだった。言葉を操るプロがそういうことをしていたとは。つまり、言葉のサンプリングってわけかい?

うーん。「サンプリング」っていうのは、また随分、手厳しい。そのまま、ごろんと生のまま仕事に使うわけじゃないと思うよ、きっと? ていうか、そういうのって多分、仕事に使えるからってだけで集めてるんじゃないんじゃないかなあ。

言葉を操るプロっていうのは、当然「言葉好き」なわけでしょう。宝石好きがジュエリー・ケースに宝石を集めるように、アンティーク時計好きが飾り戸棚に自分のコレクションを並べるように、カラスが自らの巣に光りものを溜め込むように、言葉好きがメモ帳に、光って見える言葉を陳列して無邪気ににんまりしていることの、いったい何が悪いんだろう。私は小心者かつものぐさなので、他人と会話中にメモ取ったりはできませんが。

しかしこの著者は、キッチンから化学調味料を排除するように、お掃除グッズから合成洗剤を排除するように、自分の評価基準にそぐわない人間をも、一瞬で判断し、もう一度別の面から見てみたらどうかしらなどと、ぐずぐずと迷うことすらせず、ただきっぱりと潔く選別していくのかもしれない。そう思うと、なんだかとても、寂しかったのだ。それは、この評価基準なら、私は排除される側だなあ、と思ってしまったからかもしれないんだけど。

そしてまた、こんなことを言う私が、人との関わりをきちんと維持できているか、絶対に一方的に切り捨てたりしていないか、と問われると、ぐっと言葉に詰まってしまったりする私でもあるところに、大きな矛盾があると言えばあるんんだけど。わはは、最近、不義理をしている相手がたくさんいるぞ。どうもすみませんです。切り捨ててるんじゃなくて、単なるものぐさなんだよー。見捨てないでくれー。

以前、20年近くつきあっている古い友人が私のことを「人間関係を絶つことに対してはすごく消極的」と指摘してきたことがあって、「え、傍目にはそう見えるのか!」とびっくりだったことがある。自分自身としては、かつて短慮によってうっかり切ってしまった人間関係に関する悔恨の記憶がたくさんあるので。

でも、こういう本でこういう記述を読んで反発を覚えるってことは、友人の言うことも、あながちハズレではないのかも? いや、私の場合、ただ単に友達少ないからってだけか? こういう素敵な暮らしをしている著者の人だと、切り捨てても切り捨てても、まだまだ周囲にはたくさんの人間が寄り添っているのに違いないしね。

Posted at 2004年7月13日 00:08

コメント

こんにちは、お久しぶりです。

私も「生活本」って結構好きです。
素敵な生活を送ってる人の本を読むと、いいなぁ私もそんな風に暮らしてみたい!と溜息ついたりしてます。

津田晴美さんの本は『小さな生活』しか読んだことはありません。
が、その後津田さんの本に関しては全然食指が動かなかったです。
『小さな生活』を読んで、ちょっと堅苦しい印象を受けたからです。

その後、彼女の本は全く読んでなかったのですが、ならのさんの文章中に出てくる津田さんの文章の引用部分を読んでびっくりしました。

津田さんは、お付き合いのある人を、完全に私と付き合うことができる感性を持った人とそうでない人、という風に分類してしまっているのかなぁと。
自分と同じ感性の人と分類してた人が、ある日そこから逸脱した行動を取ると、その分類から除外されてしまうのだろうかと。

まぁ、人間関係も整理する必要のある事柄だとは思うので、彼女の考えを否定する気はないのですが、メディアを使ってそういう考えを発表するのはどうかな〜と思います。彼女自身にもあまりプラスに働かないような…。

生活本なら、私は横森理香の『横森式シンプル・シック』(文春文庫PLUS)などオススメです。
ときどき「80年代口語調」(誰かにそう批評されてました)が混ざりますが、明るくシンプルシックな生活について書かれていて読みやすいです。

投稿者 ruki : 2004年7月16日 11:16



rukiさま、こんばんは。毎日毎日、あっっついですけど、お元気ですか。

生活本、けっこう楽しいですよね。自分で実践するのは無理〜って内容のも、それはそれでまた。

津田さんの言ってることは、八方美人にならないという意味では、正しい面もあるのかもしれないんですけどね。本の中の文章だけでは分からないような、もう付き合ってられん、という何かの事情が実はあったのかもしれないし、私がここでこんなふうに反論するのも、すごい一方的な勝手な言い草ではあります。

横森理香さんの本は、読んだことないです。機会があったら、手にとってみようかしら。

投稿者 ならの : 2004年7月16日 20:26





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