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2004年9月 1日

サイト8周年

サイト管理

9月1日で、当サイトは8周年を迎えました。

実際には、丸8年っていうのはサイト名が違ってたときからカウントした数字だし、途中でアドレスもころころ変わってるし、10ヶ月半もネット上から消えてた時期があるので、本当に「8周年」って言っていいものなのか、ちょっと自信ないですが。それを言うなら、消えてなくても数ヶ月間、更新がなくて実質的に休止状態だった時期もあるし。今でも、時々ぴたっと更新止まるし。

でもまあ、とりあえず、完全消滅はしなかったということで、8周年。8年って言ったら、けっこう長いほう? 1996年当時から今にいたるまでずっと交流のある人で、今でも同じネット人格のままサイトを続けてる方って、もうずいぶん減っちゃったような? 私も、人格は同じだけど名前は変わったしなー。

ただ、たしかに名前もサイトの雰囲気も、開設当時とはすっかり変わったかもしれないけど、たしかにそれなりに「本の感想サイト」としてやってた頃と比べると、すっかりいい加減な運営になったと思うけど、ここまで続けてしまったらもう、よっぽどのことがないかぎり、少なくとも閉じちゃうことはないんじゃないかという気がしてきてます。更新はまた止まるかもしれないけど。

というわけで、今後ともよろしくお願いします。

1996年当時のサイトのトップページは、こんなかんじ。……って、これじゃあんまり分かんないか。

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97年頃からマスコット・キャラ(?)の「本の虫」がいました(笑)。すみません、一人で勝手に懐古モードです。あの頃はあの頃で、楽しかったなあ。

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2004年9月 7日

今更ながら、ハリー・ポッター5巻

書籍・雑誌

今月1日に日本語版が発売された、J.K.ローリング『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(静山社)【Amazon.co.jp】なんですが、去年の6月に一度読んでいるにもかかわらず、一応、買いました。そして、再読しました。

実を言うと、熱愛宣言とかしちゃってるわりに、日本語版をじっくり腰を落ち着けて読んだのは、今回が初めてかも(あ、映画の3作目を見る前に3巻を再読して予習はしたんだった)。1〜3のときは、とりあえず映画を観るための予備知識を仕入れようと、大急ぎでざざっと読んだかんじだったし、その後、当時まだ訳書の出てなかった4巻でシリーズにどっぷりハマって1〜3巻を再読したくなったときも、ハードカバーを買うお金をケチってしばらくは英語版ペーパーバックでしか持ってなかったし。結局、4巻の日本語版は、(同居人A氏が買ってくれたんだけど)いまだに一度も通読してません。

で、改めて翻訳版に目を通していて、思ったこと。私、比較的新しい子供向け翻訳モノって、ハリポタ以外はほとんど縁がなかったりするんですが、イマドキの児童書って、みんなこんなんなの? あるいは、児童書メインに読んでいた子供の頃の私が気付いてなかっただけで、もとから日本の児童書って、けっこうこんなのが多かったのか?

訳文そのものにケチを付ける気はさらさらないんだが、英語版の原書(UK版)が、わりとオーソドックスに地味〜な本(表紙以外は、イラストさえ皆無)なので、なんだか日本語版で一部の登場人物のセリフのフォントを変えてあったり、歌の場面ではいちいち歌詞に「♪」マークが入っていたり、ハリーが心の中で思っている言葉が薄い色の文字になっていたり……という本全体の造りに、正直、どうも馴染めない。

エレベーターのシーンで、原文では単純に "down button" となっているところが、日本語版では「▼ボタン」と記号で訳してあったり、「文字が書かれたバッジ」の描写をするのに、普通に原文を訳すのではなく、わざわざ本文中に“日本語訳の書かれたバッジのイラスト”を挿入してみたり……そういうのが、正直、大人である私には「あざとい、はしゃぎすぎ、マンガっぽい」と感じられてしまうのだ。想像の幅が狭められているような苛立ちもあるし。

小細工をせずとも原書どおりに訳すだけで充分、力のあるテキストなんだから、テキストだけで勝負してほしいなあ、というような気持ちがどっかにある。

ただ反面、この訳書で、日本中の子供たちが、実際に熱狂しているわけだよね。今までに出ていた翻訳ファンタジーの中にだって、ハリポタと同じくらい面白い(と、少なくとも私は思う)ものはたくさんあったのに、それまであんまり長い本を読む習慣がなかった子たちにまでアピールしたのは、ハリポタだけだ。

それでふと、「もしかしてイマドキの日本の子供って、もう淡々と普通に文章が印刷してあるだけじゃ、満足しないのでは?」と思ってしまったのだった。だとしたら、ちょっと寂しい、と、むかしながらの地味な児童書で育ってきた私は思ってしまうのだが。

地の文で「歌っていた」と言われても「♪」マークが入ってないと実感できないとか。「おどろおどろしい声」で喋る登場人物のセリフは、いくら地の文でそのおどろおどろしさが説明してあっても、やっぱり「おどろおどろしいフォント」で書いてくれてないと、そのおどろおどろしさが伝わらないとか。伝わらないことはないけど、ふつうに地の文と同じフォントで書かれたセリフを読むだけで、声音まで想像するのが、めんどくさいとか。

こういうのって、ライトノベルがデフォルトで「イラスト込みで、ひとつの作品」と見なされるようになってきてるのと、通ずるものがあるのかもしれない。

それとも、そこまで悲観的になることはないのかな? 今まで本を読まなかった子供たちがハリポタを読めているのは、純粋にお話の面白さによるものだと、信じていていいのかな?

それにしても、和訳版の「ハリポタ」、むずかしい漢字が多いなあ。児童書はフリガナ振り放題なので、読めはしますけど。「劈く(つんざく)」とか「啀み合い(いがみあい)」なんて、大人向けの本でも最近はめったに見ないよ(笑)。

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Belle-Vue Kriek(ベルビュー・クリーク)

ビールラベル

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一時期、瓶ではかなりしょっちゅう飲んでたんですが、珍しく缶を買ったので、記念撮影。

チェリーのベルギー・ビールはほかにもいくつかありますが、アサヒ・ビールが取り扱っていることもあって、もしかしたら日本ではこれが一番、知名度が高いのかもしれない。カクテルのようにあとから混ぜ込むのではなく、作っているときからチェリーを種ごと漬け込んでいる、らしい。この「種」が重要なのだとか。

定番だけど、フルーツ系の中では一番好きかも。

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2004年9月 8日

『冷戦』

映画・テレビ

2001年の香港映画。【Amazon.co.jp】

DVDで鑑賞。イーキン・チェン主演で監督はジングル・マ。私の大好きな『東京攻略』と同じ組み合わせです。

中国語タイトルの『九龍冰室』(主人公が親友と営んでいる食堂の名前。字幕では「九龍カフェ」と訳されている)、あるいは英語タイトルの "Goodbye, Mr. Cool" のほうが、内容には即していると思うんだけどなあ。この『冷戦』という邦題は、カッコつけてるだけですごく曖昧。

『東京攻略』とは打って変わって、(私が苦手とする)シリアスな義理と人情〜の世界。若い頃はならず者で、刑務所入りしてしまっていた龍(ロン)は、服役中にすっかり油が抜けて落ち着いてしまい、釈放後はせっせと食堂で真面目に働く毎日。ところがなまじっか、ワルだった頃に属していた組織の中で「人望」があったものだから、周りが放っておいてくれない。勝手に期待されたり警戒されたりで、本人の思惑を超えたところで混乱が生じてしまう。むかしの恋人やら、服役中に生まれていた息子やら、息子の小学校の担任の若い女の先生(実は食堂の常連)なども絡んできます。まあ、ありがちなパターンかもしれません。

えーと、これは、「イーキンがお父さん役で子供と共演か! 萌え!」みたいな不純な動機で見始めちゃった私には、かなり辛かったです。痛々しいんですよ、みんな。カタギになるんだと主張しても、全然みんなに信じてもらえない主人公。どんなに反論しても、「いーえっ! あなたは暗黒社会でのし上がるべき人なのよっ!」と一方的に夢を託してしまって、彼を巻き込んで裏社会に復活させる意図で、わざわざ悪いやつらにつかまってみたりする、むかしの恋人。組織の姐御として活躍するお母さんには頼れないので、やたらめったら(いい意味でも悪い意味でも)しっかり者に育ってしまった幼い息子。一回りも年上の主人公に惹かれていることを、あまりにもあからさまに顔に出してしまう、あまりにも初々しすぎる、小学校教師。

結局主人公は、もう少しで新しいカタギな生活を確立できる……という展望が見えてきた瞬間に、それを奪い取られてしまいます。本人としてはもう心の底から嫌気がさしている、かつては自分にとってもそれがすべてだった「男の面子」を賭けた無意味な戦いに、過去の抗争による傷害が残る足を引きずって、赴かざるを得ない状況に追い込まれます。「ほのぼの親子シーンに萌え」どころじゃないのよ。

むかしの恋人役で出ているカレン・モクが、ものすごくきれいでした。普段、「個性派」女優として不美人な役柄で出てくることが多い彼女ですが、実はこんなに凛としたたたずまいの美しい人だったんだねー、というかんじ。

ただ、ヒロイン二人(もっと言うなら、女性全般)は、おそらく主人公(ひいてはストーリー全体)にとって、重要度は低いんだろうなあ。主人公と亡くなった父親の関係を思わせるシーンは何度もリピートするのに母親は一度も出て来ない、というのに呼応するように、主人公とヒロインたち(片方は息子の母親でもある)の関わりよりも、主人公と幼い息子の関わりのほうが断然クローズアップされている。あくまでも、「男同士」のお話なのね。

お話としては、なんか暴力的にぶった切られた感があって、ちょっと割り切れないし、やりきれない。でももしかしたら、そこまで含めて、作品の意図だったのかも。いったん堕ちたら、納得の行くラストシーンを迎えることもできないんだよ、という。

イーキン・チェンは、若い頃(私は1本も見ていないのですが)『欲望の街 古惑仔』という、香港のマフィア社会をとってもクールにカッコよく描いたシリーズに出演して人気が出た人なので、三十を過ぎてから「マフィアなんて全然カッコいいことないよ、いったん関わったら泥沼だよ」と主張するこういう映画に出たことは、彼にとっては、意味のあることだったのかもしれないなあ、と思いました。

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2004年9月 9日

小倉千加子『「赤毛のアン」の秘密』

読了本 | 書籍・雑誌

岩波書店、2004年。【Amazon.co.jp】
『イマーゴ』(1991.5-1993.1、青土社刊)の連載「アンの迷走――モンゴメリと村岡花子」を改稿加筆したもの。

小倉千加子の本は、以前『女の人生すごろく』でどよーんとした気分になって以来、読めずにいたのだけれど、これは紹介文を読んだら、なんだか面白そうだったので、恐々と手に取ってみました。

内容は『赤毛のアン』の作者、L. M. モンゴメリ(1874-1942)の評伝および作品分析です。日本では根強い人気を誇るモンゴメリですが、アメリカ大陸では過去の作家として(故郷プリンス・エドワード島の観光資源として以外は)あまり顧みられることがないらしい。

うーん、そうなのか。冒頭、アメリカの女性が『赤毛のアン』をどう思うかリサーチしたら、ほとんどの人がそもそも『赤毛のアン』を知らなかった、知ってたのは70歳の女性が一人だけ――というのには、唸ってしまった。だって私は、10冊出ている「アン」シリーズのうち、5冊くらいを、たしかアメリカにいた小学生時代に学校の図書館で借りて読んでいるのだ。けっこう、知ってる子は知ってたと思うんですけど。私の同級生はみんな今頃70歳かよ。地域差かねえ。

まあ、この「アメリカでは『アン』がどの程度知られていないか」というのは、マクラみたいなもんで、きちんと統計取った情報ではなく著者の知り合いの人の周囲のみに特化した話なんで、読み流しておけばいいんですけど。

そしてまた、私自身が、アメリカでも『アン』の知名度ゼロってことはなかろう、と言うのも、おぼろげな記憶に基づく主観でしかなく。今、当時の同級生に連絡を取って「あの頃 "Anne of Green Gables" 読んでたよね?」と尋ねたら、「何それ?」って言われちゃうかもしれないんですけど。

でも、この記述のあたりから、「あ、この本で断言されてることは、信頼性のあるデータに基づいたものではないから、あんまり鵜呑みにしちゃいけないんだな」と無意識に眉につばをつけながら読むようになってしまったような気がする。

あの『赤毛のアン』作者が、晩年は神経を病んで最終的には自殺したという説がある(決定的証拠はないが、小倉さんは自殺説を支持)、というのは、まったく知りませんでした。「アン」が、一見「自由奔放少女」の物語に見えて、実は根底にある価値観はコンサバなんだよなー、というのは子供の頃から薄々気付いていたけど、作者自身がまさしくそこに自己矛盾を抱えて精神的に追い詰められていたのではないか、というのは、すごく意外。本気で、自分が華々しく表舞台に立つよりも淡々と家庭を守り家族を支えて生きていくことをよしとする、コンサバな人だったんだと思ってました。でも言われてみれば、子供の頃は世間から浮きまくりだったアンがやがてみんなに好かれる美しい良妻賢母として家庭を守り夫や子供をサポートするようになっていく物語を書きながら、自分自身は「アン」シリーズ以外にもガシガシ執筆活動をしてお金稼いでたんだよな、モンゴメリは。それも、すごく「売れ筋」を意識する職業ライターだったみたいです。

個人的には、「アン」シリーズの翻訳者として有名な村岡花子が、実際にはモンゴメリの死因を知っていたのに、自分の訳書の解説でモンゴメリの死に言及するときには、敢えてそれを伏せた、ということを特に具体的なソースを示さず当の解説文を深読みするだけでほぼ断定してしまっていることに、引っ掛かりを感じた。それを言うなら、モンゴメリが「自殺」だった、というのも、直接的な死因(お薬の用量間違い)からはたとえどんなに状況的に怪しくても「断言」はできないことのはずなのに、書簡集などの記述から「確信」して、この本の中では揺るぎのない「事実」のように書いてしまっていることにも。

(村岡花子については、あとがきによればこの本に書ききれていないことも小倉さんはいろいろと調べているみたいなので、ここに挙がっていない、何かの証拠があるのかもしれませんが。)

うーん、なんていうんだろ。推論を立てることはいいと思うんだけど、この本の場合、それを「真実」だと読者に信じ込ませるべく、言葉のすり替えをしているのでは。あくまでも推論であって決定的証拠はありません、という部分を、すごく巧妙に目立たせないようにしていて、後味悪いというか。

そもそも、作品を読み解くうえでは、作者が執筆をやめてしまったあとになってからの、ほんの一瞬のできごとにすぎない「死」の形態を詮索して、どれほどの意味があるんだろう。トランキライザーを処方されてたということは、心に負担がかかっていたことは事実なんだろうし、そのこと自体は作品研究に光を投げかけるかもしれないけど、「最期の一瞬」が故意なのか事故なのかっていうのは、「本筋」じゃないよなー。たとえ本当に自殺したんだとしたって、遺書がなかったってことは、モンゴメリ本人は詮索されたくなかったし、他人が知る必要のないことだと思ってたんだよ。

とか言いつつ、私もその「本筋」じゃないところで熱くなっていろいろ書き連ねてしまいましたが。

自分の欲望に忠実に生きることを決して幸福とは思えず、自分の才能の限界に常に意識的であり、そして「人並みに」結婚して「ちゃんとした」主婦になることこそが大切というプレッシャーに抵抗できなかったモンゴメリの抱える心の歪を理解できる人は、今こそたくさんいるのではないか。そういう意味では、いいところを突いた面白い本でした。

ただ、どうして日本では「アン」が現代になっても受けているのか、という分析のくだりで

日本人の少女たちは(中略)学校では努力して一番になり、(中略)そして、結局はライバルである恋人と結婚し、結局は自分の才能は一流ではなかったという事実と直面することを平凡でも「幸福」な生活で補償する。こういうライフコースを戦後長らく「理想的でありなおかつ現実的な生き方」としてきた国は、世界で日本だけだったのである。

とか、

『赤毛のアン』は、戦後から一九八〇年代半ばまでの日本人女性にとって自分の「能力」の自己評価とそれに釣り合わない「地位」の落差を補填し、自己のありようを肯定するために、無意識に選ばれてきた読み物である。

なーんて言うのは、身もフタもないというか、そこまで言うか、というか。たしかにそういう側面がないではないことは、認める。でもそれは、所詮は「愛読者」でない者による外部からの論理にすぎない。やっぱり私は、「アン」シリーズ本来の「魅力」は、もっと違うところにあるんじゃないかという気がするよ。それについては、この本の感想からは大幅にずれるので、またいつか別の機会に。

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San Miguel Dark Lager

ビールラベル

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お米を切らしてしまったのだけれど(というか、お米がもうないことは分かっていたんですが、重いものは一人でてくてく買い物に行ったときには購入しない主義←何様?)、同居人A氏が先日「これ食べたい〜」と、インドネシア風焼きそば(バクミゴレン)セットなるもの(乾麺と袋入り調味料がパッケージングされている)を買ってきていたのを思い出したので、適当にありものの野菜と鶏肉をあわせて、夕食における炭水化物部門を担当させてみた。

と、するとやっぱりここは、ヨーロッパ系ビールではなく、インドネシアは無理としたって、とにかくアジアの暑い国から来たビールでしょう……と二人して冷蔵庫を見渡すと、はいはい、ありましたよ、サン・ミゲルのダーク・ラガーが。原産国フィリピン。

ダークじゃないほうのサン・ミゲルが、さほど印象に残らないお味だったので、正直期待はしていなかったんだけど、意外や意外(失礼)、こちらはけっこう好み。

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2004年9月10日

『D&D 完全黙秘』

映画・テレビ

1995年の香港映画。ジェット・リー(李連杰)主演。【Amazon.co.jp】

原題は『給■■的信』(■のところは、「父」と巴」が合わさったみたいな漢字。英題は "My Father Is A Hero"。

もう何度も観ているのですが、先日イーキン・チェンの『冷戦』で「パパと息子のほのぼの交流に萌え!」を期待したらあまりにヘヴィな展開でそれどころじゃなかったので、気持ちを浮上させるために、DVDを引っ張り出してきました。『LOVERS』のことを考えていたら、故アニタ・ムイの出てる映画を見たくなってきたという理由もあります。

思えばこれも、『冷戦』と同じく、というかそれ以上に、よく分からない邦題だ。「D&D」って、なんだろう? ジェット・リーとアニタ・ムイの刑事2人を表して、Detective and Detective? 原題や英題が、「ほのぼの親子もの」の側面を強調しているのに対して、日本側はタイトルといい、DVDのパッケージに掲載されているスチル写真の選択といい、とにかく「クールでシリアスな犯罪捜査もの」一辺倒で押し通そうとしているかんじ。実際に映画を観れば、「なんか微妙に違う」とバレバレなのに……。

ここでのジェット・リーが演じるのは、中国政府のために働く警察官ウェイ。真面目でひたむきで妻子を心から愛するマイホーム・パパですが、おとり捜査官としての職務上、仕事の内容は家族にも極秘(邦題の「完全黙秘」はこのへんから?)。正体がバレることを恐れて、家族写真もご法度。そしてある日を境に、香港の犯罪組織に潜入する任務のため、病弱の妻を幼い息子に任せたまま家にも戻れなくなってしまいます。

一方、香港警察の女刑事フォン(アニタ・ムイ)は、強盗事件の現場でウェイに接して本物の犯罪者だと思い、不法入国者(香港がまだ中国に返還されてない頃の話だからね)であるという推測のもと情報収集のため北京に渡り、身分を隠してウェイの妻子に接触。

あらすじ紹介だけを見れば、充分にジェット・リーのみを中心に据えた「クールでシリアスな犯罪捜査もの」に思えるかもしれません。死人も出るし、けっこう陰惨な箇所もあります。ところがこの映画、なぜか全編にわたって、ユーモラスだったりほのぼのしていたり、人情味あふれていたりするシーンが散りばめられているのです。「ワルモノ」の代表者である敵の大ボスの演技自体が、異常にオーバーアクション気味で「コミカル」のほうに針が振れているし。おまけに、すべてが終わって一件落着となりエンドロールに入ったところで流れ始める、あのテンテケテケテケ……みたいな、へなりと気の抜けるテーマ音楽はなんですか(笑)。

とにかく、ジェット・リーが異様に可愛い。「お父さん」で「ベテラン捜査官」な人がこんなに可愛くていいんでしょうかと思うほど可愛い。子役のシー・ミャオくんとのコンビネーションも絶妙です。

シー・ミャオくん、この子がまた、素晴らしい。撮影当時、10歳くらいか? 武術大会の子供の部で優勝経験があるとかで、父親役のジェット・リーと並んで戦ってると、この親にしてこの子ありってかんじの迫力です(非戦闘時の、なんか垢抜けない、ぽやんとしたところも共通)。所作がビシッと決まっちゃってるんだけど、サイズが小さいので妙にけなげに見えたりもして、それがまた可愛いさに拍車をかけます。

そして、アニタ・ムイ演じるフォン刑事! すっごくカッコいいのだ。ウェイ親子が可愛いので、アニタ・ムイの男前っぷりが際立ってます。そもそもジェット・リーが、ちっこくて首が短くて、「どこの坊や?」って体型の人なので、すらりとした長身をひるがえし、さっそうとアクションをこなす彼女の貫禄と言ったらもう。なのに、彼女も時折、可愛いとしか思えない瞬間があるんだよねえ。

香港映画の例にもれず、ツッコミどころはあります。そりゃないぜってところもあります。でも私がこの作品を好きなのは、主要登場人物であるジェット・リーとシー・ミャオとアニタ・ムイ、3人の関係が、きっちり正三角形であるからです。

シー・ミャオくんは、いっちょまえにジェットとアニタを守るし、アニタはシー・ミャオくんとジェット・リーの命を救うし、ジェットは世間一般的には「かよわい女子供」である二人を信頼します。なんか、いいんだなあ。

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2004年9月11日

迷い中

サイト管理

すごく今更な話ではあるし、一度は開き直ることに決めたわけでもあるんですが、このページって、「SF系」からのお客さんがメインにしては、SF系な人にとっては反応のしようのない話題ばっかりだよねえ。ごった煮状態だし。皆さん、このページに何を望んでいますか。

というわけで、これも前に一度、検討したことがあるんですが、最近また「テキスト庵」あたりに登録してみたらどうかなあ、とか思ったりしていますですよ。

新たに見てくれる人を増やしたいというよりは、なんというか、「私は別に、自分ちが本当はSF系じゃないってことを、自覚してないわけではないんです」みたいなのを世間に対する証拠として提示できるようにしておきたいから――というかんじです。すごく自意識過剰っぽいけど。

反面、限られた範囲内の人しか見に来ない今の状況の心地よさ、ラクチンさにどっぷりつかってしまうと、わざわざリンク先を増やして不特定多数の目に触れる確率を高めてもなあ、という気持ちも根強くあったり。まるっきりクローズドに近い状態なのも嫌だけどさ、という気持ちとのあいだで揺れ動いていますよ。まあ、登録しても新しいお客さんなんか来ないかもしれないんですが。「虫のいい日々」全ページにぎっちり入っている検索避けタグを外すほうが、よっぽど新しいお客さんがやってくる確率は高いような気がするよ。定着するかどうかはさておき。

まあ、それはともかくとして。なんで候補に挙がったのが「テキスト庵」なのかというと、単純に、自分が今、よく行くサイトの更新チェックに利用しているから。To-koさんちとか、にじむさんちとか、書庫の彷徨人さんちとか。

あとは、外部から見るかぎりでは、風通しよさげなかんじだから。ここにひっそりと登録しているからと言って、「テキスト庵ユーザー」として、ひとくくりにされて一定のイメージを持たれたり特定のコミュニティの一員と見なされるような要素は、少なそうだなあ、と。そうでもない? 私が鈍感なだけ?

そんなこんなで、迷い中。今は、サイト開設8周年を迎えたばかりだったり、2年ぶりに金城映画が公開されてたり、怒涛の8月を乗り越えたら今月は仕事が少なめ(うきゃー)だったりして、ちょっと運営について前向きになってるけど、ほとぼりが冷めたら、またやる気ゼロになるかもだしねえ。「テキスト庵」は、各登録サイトの管理者が自主的に更新報告をするシステムみたいなので、やる気がないならないで、次にやる気が出るときまで放っておけばいいのかもしれませんが。

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共通点

書籍・雑誌

『「赤毛のアン」の秘密』の感想文のところで、今の時代になっても『赤毛のアン』が読まれているのは、日本だけらしいよ……と書いたら、「それって、エラリー・クイーンみたいなもん?」というお言葉をいただきました。

そういえば、そうだなー。エラリー・クイーンに限らず、原書が出た国ではもうとっくに忘れ去られていて本自体も手に入りにくくなってるような、ふるーい推理小説の翻訳版がしっかり現役だったり、ちょくちょく復刊されたりしている日本って、やはりちょっと特異な国? でも私は、そういう国に生まれて幸せだったと思うよ。

私もいまだにエラリー・クイーン好きだし。

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2004年9月12日

St Peter's Golden Ale

ビールラベル

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製造しているのは、英国サフォーク州にあるSt Peter's醸造所。ラベルの説明によると、サイトのトップページの写真のこの建物は、中世時代のものらしいよ。

ボトルの形が変わっているのです。ウィスキー・ボトルみたいな楕円形。西暦1770年頃に使われていたビール・ボトルの形を踏襲しており、現存するオリジナルを醸造所に展示してあるそうです。写真じゃよく分からないのですが、ラベルの真上のガラス表面に、醸造所のロゴがレリーフ状に入ってて、すごく素敵なんだよー。

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王冠も、マスコット・キャラ(?)の鴉マークが可愛いの。真上から撮った写真も載せておこう。ボトルが楕円形だというのもはっきり分かるし。

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というわけで、ひたすらボトルの可愛さに惹かれて買ってきたんですが、癖のないなかなか素直なエールで、とっても飲みやすかったです。

関係ないけど、この鴉、オトフリート・プロイスラーの『クラバート』(偕成社)の挿絵の鴉に似てませんか。

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2004年9月13日

『インファナル・アフェア(無間道)』

映画・テレビ

2002年の香港映画(公式サイト)。
【Amazon.co.jp(DVD通常版)】 【Amazon.co.jp(DVD限定版)】

DVDで鑑賞。主演はアンディ・ラウとトニー・レオン。これはすごかった。劇場で観なかったことを後悔しまくりです。借り物DVDだったんだけど、絶対に改めて自分用に買って手元に置きます。今から買うなら、9月1日に出たばかりの限定版かねえ。

本当はマフィアの一員なんだけどボスの命を受けて警察学校に入学させられ、見事に出世を果たしたラウ(アンディ・ラウ)と、反対に本当の身分は警察官なんだけど潜入捜査のために表向きは警察学校を退学になって転落し、そこからマフィアの幹部にのぼり詰めたヤン(トニー・レオン)という、二人の主人公を軸としたストーリー。

よくある「敵方の組織への潜入」ネタですが、二人は18歳のときから10年ほども、それをやらされているわけです。直接、命令を下した人物以外は、誰も自分の正体を知らない。バレたら身の破滅と承知のうえで、「敵」のど真ん中から、コソコソと「味方」に情報を流している。想像しただけで、ストレスのあまり身体中がちくちくと痛くなって呼吸困難に陥りそうです。いくら映画の中の話とは言え、そんなことやらせていいんだろうか。現に、ヤンのほうは潜入捜査官という身分を隠したままで、精神科医のところに通っています。

10年も死の恐怖と隣合わせでそんなことやってたら、自分のなかでの本当の所属先だって、段々とあやふやになるでしょう。自分がいる場所、実際に自分の周囲にいる人々に対する情だって湧いてくるでしょう。組織の中で出世してしまえば、保身に走りたくもなってくるでしょう。でも、自分の忠誠心は、常に属している組織とは別のところにあらねばならないのです。自分は「善人」なのか、それとも「悪人」なのか。

とにかく、最後までずっと息を詰めるようにして、ただただ画面に見入っていました。香港で暗黒社会モノとなれば、けっこうアクション・シーンなんかも多かったりするのかしら、と先入観で思ってたけど、そうではなくて、ひたすら主役二人の緊迫感あふれる演技に支えられた、「渋い」造りの映画。脇役陣もみんないいキャストだと思いますが(エリック・ツァン好きだー!)、登場は惜しげもなく最小限に抑えられています。主役たちに焦点が絞られている。

どう決着をつけるのか、話の展開が、まるで読めなかった。ラストは「こう来るか!」と震えが来ました。タイトルの「無間道」(字幕によると、仏教用語で「絶え間なく責め苦にあう無間地獄」のことだそう)が、じわじわ……とあとで効いてくる。

この作品、ブラッド・ピットが惚れ込んでハリウッドでのリメイク権を買ったらしく、ブラッド・ピットによるプロデュースのもと、主演はマット・デイモンとレオナルド・デカプリオだそうですが。ど、どんなものになるんだろう。とりあえず、妙に女優さんの出番が増えていたり、オリジナルの香港バージョンでは真摯に抱擁するだけで終わるシーンがいきなり安直ラブシーンになっていたり――しそうだよなあ。それでも絶対、リメイク版のほうがオリジナルよりも興行成績、いいんだろうなあ。作品全体にただよう「無間道」の概念も、ハリウッド版じゃ、さくっと無視かもしれないなあ。

私も香港映画ファンのあいだでとても評判がよいことを知りつつ今まで観てなかったので、言う資格ないんですが、このオリジナル版、本当にすごくよくできた映画なので、ハリウッド版が実現したあかつきには、ぜひぜひ、こっちに興味を持つ人も増えてほしい。

実はこれは3部作で、9月18日に、続編の『インファナル・アフェア 無間序曲』が公開されるようですが、こっちはラウとヤンの若かった頃の話で、トニー・レオンやアンディ・ラウの出演はなし。でも予告編を見たらこの第2部も面白そうだ。応援の意味でも行くべきかなあ(だって、日本ではトニーさんやアンディさんと比べて知名度の低い若手俳優さんたちが主役張ってるってことは、おそらく興行成績は落ちるし)。近所でやってくれればいいのに。再び、最初の主役キャストに戻る第3部『インファナル・アフェア 終極無間』は、来年公開。

しかし、1〜3を並べると「無間道」、「無間序曲」、「終極無間」ですか……。『スウォーズマン』(「女神伝説の章」、「女神復活の章」)および『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』(「天地黎明」、「天地大乱」、「天地争覇」、「天地風雲」などなど)に続く、新たなる「私の頭ではとっさにサブタイトルとストーリーを結び付けられない香港映画シリーズ」となるに違いない。

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2004年9月14日

すっかり見逃してた

書籍・雑誌

ちょっと前に、本国では忘れられてるエラリー・クイーンが日本ではまだ読まれてる……ということに言及したばかりのところでしたけれど。

それどころか先月末には、ダニエル・ネイサン著『ゴールデン・サマー』(東京創元社)なんて本が出てたんですね! 腰を抜かすほど驚いたよ!

かれこれ二十年近く前にフランシス・M・ネヴィンズ Jr.著『エラリイ・クイーンの世界』(早川書房、1980年)で、クイーンの片割れフレデリック・ダネイが1953年に本名で書いた自伝的小説としてこの "Golden Summer" の存在を知って以来、ぜひ読んでみたいと思っていたのです。でもとっくに絶版だし、クイーン名義の本でさえ品薄になっている現代のアメリカで復刊される可能性はまずないし、古書を探して競り落とすほどの根性もないし、もう一生、読むことはできないのだと半ば諦めていたのですね。

それがなんと、日本では、21世紀になってから新刊として出ちゃうんだもの! やっぱり日本って、翻訳出版に関してはすごーくヘンな国だと思う(笑)。ああ、日本に生まれてよかったなあ。じーん。

反面、どんなに良書でも、いったん出版された本がいつまで入手可能であるかは怪しかったりするのが難点だけれどねえ。『エラリイ・クイーンの世界』も、Amazonでは書誌データさえ出なかったよ。本来ならファン必携の素晴らしい本なのに……。

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2004年9月15日

ようしょうのようほう

言葉

すみません、すんごく本筋から離れたところに反応しているということは自覚しているんですが、先日の「幼少」の用法ネタに関する続報(?)です。

朝日のウェブ記事(2/14付)で、14日に死刑が執行された宅間守死刑囚の子供時代について言及するのに、「幼少」という単語が使用されているよ。
(http://www.asahi.com/national/update/0914/029.html)

長谷川教授は「幼少の頃から、(他人に)自分の身になって考えてもらったり、相手が間違っていた時に謝ってもらったり、といった経験に欠けていた。彼には謝罪という心の働きが理解できなかったのだと思う」と話した。

やはり、以前「大手小町」に投稿してた人や私のように、「幼少」は「偉い人に対して使う言葉」だと思っているのは、めちゃくちゃ少数派? ちぇっ。

えーと、まだ紙バージョンの新聞記事は未確認なので、印刷されてるやつは違うかもしれないけど。新聞は2世帯で1部しか取ってなくて、階下の義父母が読み終わってからこっちに回ってくるのでした。あ、でもウェブ記事のタイムスタンプが「21:31」なので、夕刊にも載ってないかな。

高島俊男先生のように、権威ある発行物でもバシバシ斬り捨てられるほど、確固たるポリシーを貫くことができればカッコいいのですが、ワタクシの場合は、世の中の趨勢(というか、その時々のお客さんの主義主張?)に合わせてあちらこちらへフラフラするのが商売ですから、志なんて低いもんです……。

(なんか、一応注釈があったほうがいいような気がしてきたので追記。ここでいきなり高島俊男先生のお名前が出てくるのは、遅ればせながらつい最近になって、さまざまな日本語表現に対して鋭くツッコミを入れるの『お言葉ですが……』シリーズ1冊目を読んだら大変面白かったからなのでした。近々2冊目も読むつもり。)

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タイミングよすぎ

言葉

「ようしょうのようほう」の続報です。しつこくてすみません。

たった今、高島俊男先生の「お言葉ですが…」シリーズ2冊目(リンク先は文庫だけど、私が読んでいるのは図書館で借りたハードカバー版)の中に、こんな記述を発見しました。

実はまったく同じことを、わたしの幼少時からの友人が知らせてくれた。

ここでの「わたし」は、高島先生ご本人です。もういいよ。負けを認めるよ。ぐすんぐすん。旅に出ます探さないでください。

しかし往生際が悪いようではあるが、最初に取り上げたとき、「偉い人限定」とは思わずとも、少なくとも「自分の幼い頃」を表すのには「幼少」という言葉を使わないという意見の人は私以外にもいらっしゃったので、この感覚がどこから発しているのかは、できれば知りたいものである。

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2004年9月18日

およそ5千円

書籍・雑誌 | 近況

そんなこんなで、最初に観てから1週間ですでに3回も『インファナル・アフェア』を観ていますよ。仕事がなければ、きっと毎日観ていますよ。もちろん、レンタルしてたのは返して、自分用のDVD(期間限定特典付き5145円)を買いましたよ。仕事中のBGMはずーっと『インファナル・アフェア』のサントラですよ。ネットで『インファナル・アフェア』情報を漁りまくっていますよ。

でも、今日から公開が始まっている『インファナル・アフェア 無間序曲』を観に行く時間がありませんよ(涙)。いいんだい、今のうちに、自宅で『無間道』をとことん鑑賞しつくして、『無間序曲』に備えておくんだい。

こうやって味わい尽くすから、気に入った映画のDVDは数千円出してもあんまり「高い」という意識がないんだろうなあ。だったら数千円の本も、1週間に3回読めば「安い」と感じるのかっていうと、それはまたちょっと違うというか。そもそも読めないというか。

いやね、先日、うっかりとアルトゥーロ・ペレス=レベルテの『サンタ・クルスの真珠』(集英社)を、2冊も買ってしまったのです。2730円×2。

だって、Amazonで最初に注文したとき、発送までに4〜6週間ってなってて、その2日後にリアル書店に行ったら同じ本が置いてあったんだもん。だったら自然に「早く欲しいから今ここで買ってAmazonへの注文をキャンセルしよう」って思うじゃん? なのに、帰宅してネットにつないだら、もう発送通知メール来ててキャンセル不可だったんだよう。4〜6週間って嘘だったのか! もちろん、買っちゃったあとでさえなければ、本来ここは「予定より早く発送してくれて嬉しい!」って思うはずの場面なんですけどね。

で、正直なところを言うと、DVD映画1作に5145円出すのは全然惜しくないけど、結果的に小説1作読むのに計5460円の出費ってのは、ちょっと痛かったなあと、ついつい思ってしまったのでした。

大体うちには、ペレス=レベルテの『フランドルの呪画』『呪いのデュマ倶楽部』のハードカバー版も、2冊ずつあるのです。同居人A氏と私とが、それぞれ自分用に買っちゃってるんだよねえ。さらに白状するなら、『デュマ倶楽部』のほうは再読したくなったときに文庫版も買ってしまったので、実質3冊です。というわけで『サンタ・クルスの真珠』も、1冊A氏にあげました。なんか、この家が狭く感じられる理由の一端が分かってきたような気がする……。

集英社には、こうやってわたくしたち夫婦から無駄に貢がれているという事実を重く受け止め(って、そんな)、今後ペレス=レベルテの作品はすべて日本語版を出す、くらいの意気込みを見せてほしいものでございます。たしか、まだ翻訳されてない作品あるよねっ。

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2004年9月19日

Empire of Dreams

映画・テレビ

18日に、The History Channel Japanで特別番組「エンパイア・オブ・ドリームス〜スター・ウォーズ トリロジーの世界」(←この番組サイトは、いつまで置いてあるんだろう?)を観た。

やあやあやあ、これはまさしく、9月23日発売のDVDボックスを買わせようという戦略的放送に違いない。私、今「スター・ウォーズ」シリーズ観たくってたまらないもの。

1作目が登場した1977年当時から順を追って、製作過程を紹介しつつ、ジョージ・ルーカスをはじめとするさまざまな当時のスタッフやキャストが、自分の立場からコメントを寄せていました。今のSFX技術ならあっさり実現しそうなことが、70年代にはどんなに大変なことだったか。そもそも、いかにああいったスペースオペラ的な映画に対して、世間や映画会社の理解がなかったか。そこを、いかにジョージ・ルーカスが頑張ってすべてを実現させたか。音楽に管弦楽団を使うことですら「冒険」だったなんて!

数年前、映画『ロード・オブ・ザ・リング』が世に出たとき、トールキンの原作小説を知らない人たちの中に、このストーリー構造の原点は『スター・ウォーズ』だ――というようなことを言ってる人がいたりして、正直、私はあまりいい気持ちがしませんでした。「トールキンのほうが先達なんだよ!」と。

しかしこの番組を観てたら、少なくとも「SFXを駆使してスケールの大きな大長編映画を作りあげる」ということに関して、何もなかったところに道を切り開いたのは、ジョージ・ルーカスだよなあ、と改めてしみじみと納得しましたわ。

私個人は、実は最初の「スター・ウォーズ」ブームのときには、まるっきり感心を抱くことなく終わってしまいました。小学1年生だったし。親が興味なければ、観に行くわけもないし。

初めて第1作を観たのは、日本帰国直後の81年に、吹き替えでテレビ放映されたときだと思います。なぜアメリカにいるあいだには一度も観なかったんだろう。とにかくもう、めっちゃくちゃ面白くって、わくわくどきどきして、観終わったあと、そこいらじゅうを走り回りたくなりました。ルークの声が水島裕だったことを覚えています(すごく合ってたと思うんだけどなあ。その後、出たやつでは別の人だよね?)。しかし、洋画を見ながら声優をチェックしている小学5年生ってどうよ。

それから何回も、テレビやビデオで、1作目から3作目(エピソード4〜6)を観ました。そしてやっぱり、何回目でもわくわくしました。今でも、1999年から作られているエピソード1に始まるアナキン・スカイウォーカーの物語より、ルーク・スカイウォーカーが主人公の古いシリーズのほうが、強烈にインパクトあるように感じます。映画館の大画面で観たのは、1997年の、最新技術で修正を施されたスペシャル・エディションが初めてなので、いくぶん記憶は上書きされてるかもしれないけど。子供返りしちゃうのかしらん。頭では、新しいほうがずっといろんな面で洗練されている、と思うのに、やっぱり、わくわくするのは旧シリーズなんだなあ。

ああ、なんだか、買ってしまいそうだよ>DVDボックス。

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2004年9月22日

『薔薇の名前』初DVD化

映画・テレビ

1986年、フランス、イタリア、西ドイツ合作。監督ジャン=ジャック・アノー。主演ショーン・コネリー。【Amazon.co.jp】

DVDは今月出たばかり。もうこれは「古典」だと思うんですけど、今までDVDになっていなかったとは驚きだ。先日買ってすぐに、一通りテレビ画面で観たあと、パソコンのDVDドライブに入れっぱなしにして、ちょっとずつ特典映像を見たり監督のコメンタリーを聞いて(字幕を読んで)いました。

公開当時って、どんな扱いだったっけ? 日本では(少なくとも関西では)ミニシアター系だったような記憶がおぼろげに。私は気になりつつも劇場公開は逃がして、1989年頃にビデオで観たのが最初だったかなー。大学の図書館の視聴覚資料室にあったんだよねー。

十数年ぶりに観ても、ものすごく面白いわ、これ。全然、色あせてないね。光の使い方が独特で、中世ヨーロッパの怪しい雰囲気満載。

全編セリフは英語であるにもかかわらず、記憶の中ではまさしくヨーロッパ大陸の映画という印象が残ってたんだけど、改めて見るとそれはロケ地がそうだからというだけじゃなくて、俳優さんの顔つきとか喋りとかがすべてそうなのね。ヨーロッパ中からかき集めてきた、個性の塊のような顔、顔、顔。そして、さまざまにきつい訛りの入った、明らかに母語としては話されていない英語。

そんななかで、ぽっかりとそこだけ切り取って別世界に置き換えたかのように、ショーン・コネリー演じる英国出身のウィリアム修道士と、クリスチャン・スレーター(当時15歳)演じる弟子のアドソだけが、私たちの目にも馴染んだ正当派の現代風美形で、セリフの内容こそ古風だけれど、耳に馴染んだ癖のない正当派の英語を喋る。すっごく浮いてるんだけど、その浮いているという事実そのものによって、彼らが中世の世界を舞台にして「ホームズとワトソン」をやってしまうということに説得力が与えられている。

過去の知識は保存するだけのもの、そこから新しい思考を生み出すなど言語道断、というのが表向きのコンセンサスである旧弊な修道院社会の中にあって、奇妙な測定器具を持ち歩く「新しもの好き」であり、先輩修道士からは「考えすぎる」と批判されるウィリアム。周囲の者たちが死体を前に「悪魔のしわざだ」、「黙示録の預言だ」と怯えるなか、一人「これは人為的な死だ」と看破する目を持った、常に冷静沈着そのもののウィリアム。そのウィリアムが、秘密の図書館に潜入して秘蔵の本の山を目にしたとたん、その冷静さをかなぐり捨てて年甲斐もなく(笑)はしゃいでしまうシーンが、好きだなあ。多分、彼は「早く生まれすぎた人」なんだよね。

監督のコメンタリーがとっても面白かった。公開から十数年経った今だから言えるんだろうなあ、というような裏話もいろいろ。かなり無謀な撮影やってたのね……。

あと、ドイツで製作されたらしい43分間のドキュメンタリーが収録されているんですが、これで見ることのできる、フョードル(フェオドール?)・シャリアピンJr.(撮影当時80歳くらい? 歌手のシャリアピンの息子)の姿にちょっと感動しました。映画の中では、黒目を隠すコンタクトレンズを装着して、異様で不気味な盲目の老僧を演じていたこの人、私服だと、すっごく粋で雰囲気のある美老人……。さすがだ。IMDbによると、1992年にお亡くなりになったようです。85歳か。

長大な原作から、絵として面白いところだけを抽出してぎゅぎゅーっと2時間11分に押し込めたみたいな映画なんだよねえ。原作も再読したくなってきたなあ。もう内容をほとんど忘れていることに気付いたので。しかし実は本が話題になってたあの当時、ハードカバーを買うおこづかいがなくて、手元にあるのは英訳版のペーパーバックのみ……。

――と、思ったら同居人A氏の本棚で和訳版ハードカバーはっけーん。ラッキー♪ 夫婦で趣味が似通ってると便利だなあ。一緒に暮らし始めて以来ずっと「どっちが自分の本を手放すか」で睨み合い状態になってて整理できずにいるダブリ本もあるけど。

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2004年9月23日

スター・ウォーズ トリロジー DVD-BOX

映画・テレビ

「スター・ウォーズ エピソードIV 新しい希望(1977年)、「スター・ウォーズ エピソードV 帝国の逆襲(1980年)」、スターウォーズ エピソードVI ジェダイの帰還(1983年)」からなる3部作に、特典ディスクがついた、計4枚セットのボックスです。【Amazon.co.jp】

まんまと特別番組に乗せられて、発売日当日の朝からお店に走ってしまいましたよ。そして帰ってくるなり、3部作を一挙に連続再生。つかれたー。でもやっぱり面白かったー。次に何が来るか分かっていても、好きなものを観るのは楽しいや。

まだ特典ディスクのほうはほとんど観てないんですが、どうやら先日、テレビで見た特別番組は、この特典ディスクに入っているドキュメンタリーだったようですね。

差し替えられていると前から噂だった例のシーン、たしかに差し変わってました。あれはオリジナル・バージョンと比べてかなり若返っているような気がしますが、これから登場する「III」においてダース・ベーダー化する直前の状態のヘイデン・クリステンセンくん、ということで、あれでいいんですかね?

そして、改めて見てもやっぱり、ハン・ソロのほうが人気だったというのもうなずける、非常に「薄味」な、キャラ的には突出したところのない主人公ですなー、ルークは。でも、積極的にこいつが嫌いっていうSWファンもいないんじゃないかなあ。いい子だよなあ。ルークとR2-D2の関係が、昔からシリーズ通してすっごく好きです。C-3POとR2-D2のコンビより、ルークとR2-D2のやりとりを見るほうが好きなくらいです。

特典のほかに音声解説も入ってるし、当分楽しめそう。

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2004年9月24日

看板に偽りあり

映画・テレビ

先日「インファナル・アフェア」を観てから、にわかにアンディ・ラウが気になっている今日この頃。思えば8月末の「LOVERS」のときから、ちょっと「おお?」ってかんじだったかも。多分、「LOVERS」を観てなかったら、「インファナル……」に手を出すこともなかったでしょう。

トニー・レオンが「インファナル・アフェア」で大きな賞を取ったことは知っていますし、ウェブ上でいろんな人の感想を見ていても、2人の主役のうち、トニー・レオンを絶賛している人のほうが断然多い。ストーリー上でも、判官贔屓な人ならきっとトニー・レオンが演じた「ヤン」のほうを応援したくなると思う。でもある意味、私にとってはトニー・レオンの演技が「素晴らしい」のは、ごく当然のこと、デフォルトだったのですね。

で、私個人は、アンディ・ラウの演技が、なんだか面白いぞ、と思ったのです。トニー・レオンとは違って、アンディ・ラウは、ストーリーの都合上、本当に最後の最後まで、観客にさえ本心をさらけ出して共感を誘うような表情を見せることができません。それでも、どういうわけだか、ものすごく引き込むものがあったんだよなあ。

私は、香港映画が好きとか言いつつ、なんかあんまり正当派じゃないところから横入りして、そのままコアな部分には行かず、周辺をぐるぐる回っているかんじの中途半端なファンなので、香港映画好きなら基本でしょう、というような映画や俳優を、よく知らなかったりします。アンディ・ラウも、香港では大スターである、ということくらいしか分かってなくて、しかも「大スター」と認識しているからこそ、なんとなく固定イメージを抱いている部分がありました。それが、どうもちょっと、思ってたのと違うみたいだなあ、と。で、この際だから、もうちょっとほかのも観てみたいなあ、と。

というわけで、勇んで近所のレンタル・ビデオ&DVD屋さんに行ったのです。折りよく、公開中の「LOVERS」に合わせて、入ってすぐのところに関係作品コーナーがしつらえてありました。ラッキー♪

ところが、です。チャン・イーモウ監督作品は、並んでいます。それとダブるのもあるけど、チャン・ツィイーの出てくる作品も揃っています。金城くんの映画も、全作品あるわけじゃないけど、それなりの品揃えです。なのに、なのに。デビュー以来100本以上の映画に出演しているアンディ・ラウのDVDやビデオが、1つも入ってないよ、このコーナー! アンディ・ラウもストーリーの鍵を握る主役の一人じゃんかーっ! 金城武とアンディ・ラウが並んだら、アジア映画俳優としての「格」はアンディ・ラウのほうが疑問の余地なく上のはずなのに(←金城ファンなんだけどね、私は)なんでーっ!?

動揺しつつ周囲を見回すと、ちょっと離れたところに「アジアン・エンターメイント」というコーナーがありました。よし、今度こそ! 勢い込んで小走りに突き進みましたとも。

ところが、です。いくら探しても、どれもこれも韓国の作品ばかりなのです。もう、100パーセント、韓国映画と韓国TVドラマ。がーーーっ。だったら「アジアン」なんて書くんじゃなーーーいっ。「韓国コーナー」って名前にしとけーーーーっ!

なんだかなあ。今って、世の中の認識はほとんど「アジア映画=韓国映画」になっちゃってるのかしら。いや、いいんですよ。でもお願いです、お願いです、韓国モノしかないところに「アジア」って書くのはやめて……(脱力)。

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2004年9月26日

もしもエルフに出会ったら

書籍・雑誌

なんだか不思議な本を買ってしまいましたよ。伊藤盡『「指輪物語」エルフ語を読む』(青春出版社)【Amazon.co.jp】

映画「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の日本語吹き替え版で「エルフ語監修」者としてクレジットされていた方による、トールキン作品におけるエルフ語の入門書。

まだ全部読んでませんが、文法解説、発音、文字の書き方などなど、浅く広くひととおり載ってるみたいです。エルフ語会話の章には顔を合わせたときの挨拶や自己紹介、さらには「お住まいはどちらですか」、「私はエルフ語をうまく話せません」なんていう例文も載っていて、なかなか実用的? これを覚えておけばもう外出先でばったりエルフに会っても大丈夫。ほんとか。

面白いのは、映画版の翻訳に関わった人が著者であるだけに、原作に出て来ない映画オリジナルのセリフや、エンヤが歌っていたテーマソングの歌詞に入っているエルフ語にも言及がなされている点。

映画の公開が終わってしまった今の時期に、こういう本を出す人がいて、こういう本を買う人(私もだ)がいるのは、心強いことだなあ。それにしても、一番意外だったのは、版元が青春出版社だっていうこと。なんか、すごーくイメージ違うような気が。

……と、思ったんだけど、実はハリポタ本なんかも出してるのね>青春出版社。

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2004年9月27日

『インファナル・アフェア 無間序曲』

映画・テレビ

『インファナル・アフェア(無間道)』の続編。監督はアンドリュー・ラウ&アラン・マック。香港では2003年に公開。(公式サイト

『インファナル・アフェア』から時間をさかのぼって、主人公2人の若かりし頃のお話。アンディ・ラウが演じていた「ラウ」役に1980年生まれのエディソン・チャン、トニー・レオンが演じていた「ヤン」役に1981年生まれのショーン・ユー。前作でも、冒頭で少しだけ出てくる、主役たちの若い頃を演じていた男の子たちです。

もちろん大御所アンディやトニーと比べれば若手スター2人は画面の中での存在感も薄く、どこか頼りないのですが、その青さ、不安定さがそのまま役柄の痛々しさに反映されていて、かえってこちらの「ハラハラ感」を煽ってくれるので、いいんじゃないでしょうか。

正直、観に行く前は「アンディ・ラウもトニー・レオンも出て来ないんじゃ、ちょっと物足りないかなー」なんて思ったりもしてましたが、導入部がひととおり終わってあのテーマ音楽がひたひたひた……と押し寄せてきた瞬間、わーーーーっと気持ちが盛り上がってしまいました。ああ、やっぱりこれについては、俳優目当てというだけじゃなく作品世界そのものが好きなんだな、私は。

前作ではマフィアのボスだったサム(エリック・ツァン)はまだ頂点には上り詰めておらず、前作で警視だったウォン氏もまだ警部。この、主役2人をそれぞれ操っているとも言えるおじさんたちが、今回の映画の陰の主役かも。いつも思うことですが、エリック・ツァンは、不思議な俳優ですね。姿かたちだけを見ればただのチビデブハゲオヤジなのに(笑)、ものすごく人がよさそうな、どうしても憎めないやさしげな顔で、観客の気持ちをぐぐっと惹きつけつつ、どこかカタギではありえない、血みどろの修羅場をくぐりぬけたマフィアを説得力充分に演じてしまう。

この第2部では、第1部において水面下に隠れていたさまざまな事情が語られます。第1部が、「ラウ」と「ヤン」を鏡像のように配置した、ある意味シンプルであるがゆえのストレートな緊迫感に支えられたシナリオであったのに比べると、この第2部は、ラウとヤンの周囲にいる人間たちのどろどろした部分にも焦点が当たっています。「ああ、だから第1部ではあんなシーンがあったんだ!」とか「えっ、そういう背景があって、その数年後にはああなの!」とか、パズルのピースを当てはめていくような面白さ。あの「真空管アンプ」にはやられたなあ。

そして何よりこの映画を興味深いものとしているのは、ストーリーが「1997年7月1日」に向かって収束していくことです。香港が、イギリスから中国へ返還された日。その直前の、不安に満ちた激動の時代に、彼らは生きています。

返還前だと、ラウが上官に面接されるシーンで、上層部の人間がみんな白人でやりとりが英語だったりしちゃうんだよ。へー、イギリス領時代の香港警察ってそうだったんだー。

どんなに暗黒街になじんでも、たとえ血縁の者を裏切ることになっても、あくまで正義の人としての自我にしがみつくヤンに対して、ラウはもともとのスタート地点が「チンピラ少年」であるだけに、警察官としてエリート・コースを突き進む一方で、青臭い直情的な行動を繰り返して深みにはまっていきます。見ようによっては純粋で、見ようによってはずるい。この2人が、第1部のあの2人になっていくのね。

また「潜入」している当事者であるラウとヤンだけでなく、それを命じているサムやウォンも、この段階ですでに深い業を抱え「無間道」に落ちて行っていることが明らかに。うーん、第1部を改めて観たくなるなあ。

細かいところで、「あれ、これは第1部とは矛盾してるんじゃないの?」って思ったとこもいくつかあったんですが、脚本自体のミスなのか、第2部の内容が知られていない段階で第1部の日本語字幕が作られたことによる齟齬なのか、微妙なかんじ。広東語が分からない自分がもどかしい。

もちろん、第1部を観たときのずがーんと打ち抜かれたような衝撃には及ばないけれど、第1部のヒットを受けての「2匹目のどじょう狙い」な作品にしては、とても面白かった。次は、最初から「第1部のつづき」として予定されていた『インファナル・アフェア 終極無間』ですね。すでに海外ではDVDが出ているようですが、がんばって来年春の日本での上映を待つつもり。第1部は、単独でかなりきれいなエンディングを迎えていたので、いったいあそこから、どんな続編を意図していたのかと、どきどきわくわくです。

ところで第2部のエンドロール後に、その『終極無間』の予告編が流れたんですが、新キャラとして投入されるのがレオン・ライだよ! アンディ・ラウとトニー・レオンが並ぶだけでも、充分「濃い」のに……。あまりに「てんこもり」な出血大サービス豪華キャスティングのおかげで、シリアスなシーンが映るスクリーンを目にしながらも無意味な笑いが込み上げてきたのは内緒だ。いや、レオン・ライが出るっていうのは一応知ってたんだけど、実際に見ちゃうとね、ちょっとね。

あ、第1部のDVDに第2部のロードショー割引券がついてたのに、使うの忘れた!

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2004年9月30日

池田理代子『ぶってよ、マゼット 47歳の音大生日記』

読了本 | 書籍・雑誌

1999年、中央公論社。現在は『47歳の音大生日記』のタイトルで中公文庫から出ています(【Amazon.co.jp】)。もともとは、雑誌『婦人公論』1995年から1999年まで連載されていたもの。

あちこちからお勧めを受けて大人買いした音楽漫画『のだめカンタービレ』が楽しくって、ほかにも音大での日々が描かれてる本を読みたくなりました。これは『ベルサイユのバラ』や『オルフェウスの窓』で有名な少女漫画家の池田理代子さんが、夢をかなえるべく47歳にして音大に学部入学し、ハタチ前後の少年少女たちと肩を並べて声楽を勉強した4年間を綴ったエッセイ。

まるっきり知らない世界なので、「へー、音大ってそんなかんじなんだー」ってとこが色々あって、興味深く読みました。

ただ、読み始める前に先入観を持ってしまってたところもあったなあ。ネット上の知り合いにプロの音楽家の人がいらっしゃるんですが、学生時代のお話を聞いていると、かなり壮絶だったんです。娯楽も恋愛も何もかもどうでもいい、とにかく音楽が一番大事、という練習漬けの毎日で。

そしてまた、私自身の経験でも、楽器の習い事をしていた少女時代は本当に辛かったので(やめてから15年以上経つ今でもレッスンの夢を見てうなされることがある)、子供のお遊びのお稽古事でアレなら、プロになるべく指導を受ける音大生はさぞかし辛く厳しい血と涙の毎日を……と思っていたわけなのでした。

バイオリンを習っている小学生は指を守るためにお友達とドッヂボールをすることすら自粛するらしいし、小学生でそうなら、大学なんて行っちゃったら本当に何もかも音楽のために犠牲にしちゃってるんだろうなあ、と。『のだめ』のストーリに恋愛要素があるのは、あれが少女漫画だからであって、現実はきっと恋愛どころじゃないんだろうなあ、と。

えーと。私、思い込み激しすぎた? 池田さんの音大生活は、もちろん多忙ではあるんだけど、意外にもちゃんと「人間的」でした(笑)。在学中に恋愛結婚しちゃってるし。旦那さんとスキーとか山登りとか長期の海外旅行とか行っちゃうし。その合間に、もちろんお仕事もなさってるし。むしろ、その「何もかも犠牲にしない」ところが、この人はすごいのかもしれない。そういった余裕を捻出するにも、パワーが要るものね。どんどん新しいことに飛び込んで、一つ一つをその場その場で最大限にこなしているかんじ。

特に「うわあ」と思ったのは、普通この状況では自分のことで精一杯でしょう、というときでも、しっかり旦那さんの相手をしていることですね。わははは、私はこんなの無理だ。すまんね、A氏。

だってさ、これまで築き上げてきたキャリアが犠牲になることを承知のうえで、敢えて入学した音大なんだよ? プロの指導を体系的に心ゆくまで受けられるこの貴重な貴重な期間は、わずか4年なんだよ? ただでさえ、仕事などがあってすべての授業に出ることはできない状況なんだよ? 自分の専攻は「カラダが楽器」の声楽で、風邪を引いて喉が腫れただけでも大打撃なんだよ?

そういう奥さんに向かって、このダンナは、「冬山に行ってスキーをしよう」とか言うんだ。しかもこの時点で、池田さんはスキーなどやったことがない、超初心者。私だったら絶対「卒業するまでは、つきあえない」って言っちゃいそうだ。怖すぎだもん。案の定、池田さんは初めてのスキーで肋骨を折る怪我をして、それでもレッスンに出て、痛みをこらえながら肋骨を大きく広げる呼吸法で歌うんだけど、もちろん本調子の声は出せない。

で、私が「ひょえー」と思ったのは、怪我を押してレッスンに出ることではなく。池田さんが、そんな経験をしても、まだ「スキーは楽しかった、また誘われたら行きたい」と思える人であること、だったのでした。なんてパワフルなんだろう。ああ、小心者で貧乏性の私には無理だー。「やっぱり、せめて在学中はもうやめとこ、勉強に専念できるのはたったの4年なんだから」って思っちゃうんじゃないだろうか。練習に支障が出るに決まってるのに旦那さんと一緒に何度も長期の海外旅行になんて行けるだろうか。学校を休んで旦那さんの出張について行ったりできるだろうか。うーーーむ。

あ、もしかして私って、ものすごーく結婚に不向きなキャラ? おまけに、自分の世界を狭めがち? しかしまた、ここまで書いたところでふと思ったのだが、うちの夫の場合は、この状況ならむしろ妻が「うわーん、もう勉強はつかれたー、旅行に行こー」とか言い出しても「勉強させてもらえるのは今だけなのに、もったいないでしょう」とにべもなく斬り捨てそうだ(笑)。これが「ワレナベにトジブタ」ってやつ? 池田さんち夫婦は、お二人とも多趣味でアグレッシブなのね。

そしてまた、そうやって、勉強一辺倒にならずアグレッシブにいろんなことに飛び込みつつも、池田さんはちゃんとした成績で卒業をして、教授にも「プロの声」と太鼓判を押してもらえるような歌手となったわけだし。そう考えると、やっぱりすごい。

そして、自分がやってることを(世間の感覚で考えれば、それについての原稿依頼が来ちゃうほどに異例なことをやってるんだけど)、大げさに捉えないところがまた素敵。いろんなものを犠牲にして真剣に取り組んだ上で、なお

多分、たとえ歌を歌えなくなったとしても、私は、しばらくの間絶望感に駆られ、投げ遣りになって暮らしただろうけれど、やがてそれに代わる生き甲斐をみつけて、何とかまた元気に生きていこうとしていただろう。

と書けてしまうところが、かっこいいんだなあ。絶対、卒業までには、ものすごくしんどいことが山のようにあったはずなんだけど、本に書くときにはその辺をさらっと流して軽いエッセイとして仕上げてしまったところに好感を抱きました。

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