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2004年9月 9日

小倉千加子『「赤毛のアン」の秘密』

読了本 | 書籍・雑誌

岩波書店、2004年。【Amazon.co.jp】
『イマーゴ』(1991.5-1993.1、青土社刊)の連載「アンの迷走――モンゴメリと村岡花子」を改稿加筆したもの。

小倉千加子の本は、以前『女の人生すごろく』でどよーんとした気分になって以来、読めずにいたのだけれど、これは紹介文を読んだら、なんだか面白そうだったので、恐々と手に取ってみました。

内容は『赤毛のアン』の作者、L. M. モンゴメリ(1874-1942)の評伝および作品分析です。日本では根強い人気を誇るモンゴメリですが、アメリカ大陸では過去の作家として(故郷プリンス・エドワード島の観光資源として以外は)あまり顧みられることがないらしい。

うーん、そうなのか。冒頭、アメリカの女性が『赤毛のアン』をどう思うかリサーチしたら、ほとんどの人がそもそも『赤毛のアン』を知らなかった、知ってたのは70歳の女性が一人だけ――というのには、唸ってしまった。だって私は、10冊出ている「アン」シリーズのうち、5冊くらいを、たしかアメリカにいた小学生時代に学校の図書館で借りて読んでいるのだ。けっこう、知ってる子は知ってたと思うんですけど。私の同級生はみんな今頃70歳かよ。地域差かねえ。

まあ、この「アメリカでは『アン』がどの程度知られていないか」というのは、マクラみたいなもんで、きちんと統計取った情報ではなく著者の知り合いの人の周囲のみに特化した話なんで、読み流しておけばいいんですけど。

そしてまた、私自身が、アメリカでも『アン』の知名度ゼロってことはなかろう、と言うのも、おぼろげな記憶に基づく主観でしかなく。今、当時の同級生に連絡を取って「あの頃 "Anne of Green Gables" 読んでたよね?」と尋ねたら、「何それ?」って言われちゃうかもしれないんですけど。

でも、この記述のあたりから、「あ、この本で断言されてることは、信頼性のあるデータに基づいたものではないから、あんまり鵜呑みにしちゃいけないんだな」と無意識に眉につばをつけながら読むようになってしまったような気がする。

あの『赤毛のアン』作者が、晩年は神経を病んで最終的には自殺したという説がある(決定的証拠はないが、小倉さんは自殺説を支持)、というのは、まったく知りませんでした。「アン」が、一見「自由奔放少女」の物語に見えて、実は根底にある価値観はコンサバなんだよなー、というのは子供の頃から薄々気付いていたけど、作者自身がまさしくそこに自己矛盾を抱えて精神的に追い詰められていたのではないか、というのは、すごく意外。本気で、自分が華々しく表舞台に立つよりも淡々と家庭を守り家族を支えて生きていくことをよしとする、コンサバな人だったんだと思ってました。でも言われてみれば、子供の頃は世間から浮きまくりだったアンがやがてみんなに好かれる美しい良妻賢母として家庭を守り夫や子供をサポートするようになっていく物語を書きながら、自分自身は「アン」シリーズ以外にもガシガシ執筆活動をしてお金稼いでたんだよな、モンゴメリは。それも、すごく「売れ筋」を意識する職業ライターだったみたいです。

個人的には、「アン」シリーズの翻訳者として有名な村岡花子が、実際にはモンゴメリの死因を知っていたのに、自分の訳書の解説でモンゴメリの死に言及するときには、敢えてそれを伏せた、ということを特に具体的なソースを示さず当の解説文を深読みするだけでほぼ断定してしまっていることに、引っ掛かりを感じた。それを言うなら、モンゴメリが「自殺」だった、というのも、直接的な死因(お薬の用量間違い)からはたとえどんなに状況的に怪しくても「断言」はできないことのはずなのに、書簡集などの記述から「確信」して、この本の中では揺るぎのない「事実」のように書いてしまっていることにも。

(村岡花子については、あとがきによればこの本に書ききれていないことも小倉さんはいろいろと調べているみたいなので、ここに挙がっていない、何かの証拠があるのかもしれませんが。)

うーん、なんていうんだろ。推論を立てることはいいと思うんだけど、この本の場合、それを「真実」だと読者に信じ込ませるべく、言葉のすり替えをしているのでは。あくまでも推論であって決定的証拠はありません、という部分を、すごく巧妙に目立たせないようにしていて、後味悪いというか。

そもそも、作品を読み解くうえでは、作者が執筆をやめてしまったあとになってからの、ほんの一瞬のできごとにすぎない「死」の形態を詮索して、どれほどの意味があるんだろう。トランキライザーを処方されてたということは、心に負担がかかっていたことは事実なんだろうし、そのこと自体は作品研究に光を投げかけるかもしれないけど、「最期の一瞬」が故意なのか事故なのかっていうのは、「本筋」じゃないよなー。たとえ本当に自殺したんだとしたって、遺書がなかったってことは、モンゴメリ本人は詮索されたくなかったし、他人が知る必要のないことだと思ってたんだよ。

とか言いつつ、私もその「本筋」じゃないところで熱くなっていろいろ書き連ねてしまいましたが。

自分の欲望に忠実に生きることを決して幸福とは思えず、自分の才能の限界に常に意識的であり、そして「人並みに」結婚して「ちゃんとした」主婦になることこそが大切というプレッシャーに抵抗できなかったモンゴメリの抱える心の歪を理解できる人は、今こそたくさんいるのではないか。そういう意味では、いいところを突いた面白い本でした。

ただ、どうして日本では「アン」が現代になっても受けているのか、という分析のくだりで

日本人の少女たちは(中略)学校では努力して一番になり、(中略)そして、結局はライバルである恋人と結婚し、結局は自分の才能は一流ではなかったという事実と直面することを平凡でも「幸福」な生活で補償する。こういうライフコースを戦後長らく「理想的でありなおかつ現実的な生き方」としてきた国は、世界で日本だけだったのである。

とか、

『赤毛のアン』は、戦後から一九八〇年代半ばまでの日本人女性にとって自分の「能力」の自己評価とそれに釣り合わない「地位」の落差を補填し、自己のありようを肯定するために、無意識に選ばれてきた読み物である。

なーんて言うのは、身もフタもないというか、そこまで言うか、というか。たしかにそういう側面がないではないことは、認める。でもそれは、所詮は「愛読者」でない者による外部からの論理にすぎない。やっぱり私は、「アン」シリーズ本来の「魅力」は、もっと違うところにあるんじゃないかという気がするよ。それについては、この本の感想からは大幅にずれるので、またいつか別の機会に。

Posted at 2004年9月 9日 11:29

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コメント

ああ、わたしの感じていたことをすっきりと書いてくださっている!ならのさんに乾杯!

投稿者 ゆかじん : 2008年2月25日 08:32



はじめまして。古い記事を見つけてくださってありがとうございます。
そちらのブログを拝見して、「わっ、モンゴメリのエキスパートの方が、私の拙い感想文を読んでくださったの!?」と、恐縮しています。

小倉先生の視点による「赤毛のアン」論も、それまであまり考えていなかったことを考えるきっかけになったので興味深く読んだのですが、やはり今でも、小倉先生がおっしゃるのとは違う部分で「アン」の世界が好きです。

投稿者 ならの : 2008年2月25日 16:43



自殺説は決定的な間違いです。死亡診断書には、直接の死因として「冠状動脈血栓症」であると書かれていますので。出典は
Selected Journals of L.M. Montgomery Volume V の 399 ページ。

調べてないし、始めに結論ありきで書けばあんな物でしょう。

投稿者 sasha : 2008年2月25日 19:42



死因については、オフィシャルな資料があったのですね。
コメントありがとうございます。

私は、なんとなくの興味で本書を手にしただけの素人なので、事実関係の正誤については分からずに読んだのですが、それでも論拠として弱いのではと感じた部分があったので、お詳しい方にはもどかしい本であったのだろうと推察します。

小倉先生がご自身の専門分野に引き付けてモンゴメリを検証するという試み自体は、そういう視点での読み方もあるのか……と新鮮に感じました。個人的には研究書(?)のような体裁を取らず、むしろ「エッセイ」のようなかたちで、小倉先生ご自身がモンゴメリの作品といかに向き合い、何を思ったのか、どこに共鳴し、どこに反発したのか、というようなことを、より主観的に率直に語ってくださっているのを読んでみたかったな、という気が今はしています(共感するかどうかはさておき、面白そう)。

投稿者 ならの : 2008年2月25日 22:07



長らくモンゴメリ関連の追っかけをしていますが、北米でも根強いファンが今もいます。祖母、母、娘三代ファンも。ネットでのファンの交流も盛んです。要するにリサーチ次第では、なんとでも書けるものなんですね。

>より主観的に率直に語ってくださっているのを読んでみたかったな、

そうですよね。この御本、タイトルが「迷走」のままだったらぴったりだったのに、と思えます。「秘密」だと、真実が暴かれるのか!と期待してしまいます。主観を客観的事実と誤解されるような書き方をされると、まいったなあ、と思うのでありました。

ならのさんの読書量とそれぞれのご感想、すばらしいです。また、遊びにまいります。

投稿者 ゆかじん : 2008年2月25日 23:26



そうですね、今ちょっとオンライン書店で検索してみただけでも、さまざまなエディションが最近になってもいろいろ新しく出ていることが分かりますし、英語圏ですでに読まれてないというのは違うんじゃないか、今でも需要があるから、こうやって売られつづけているのだろう、としか思えないです。

「秘密」というタイトルは、たしかに勇み足の感がありますね(連載時の「迷走」から改題されたのは、出版社側の意向であったのかもしれませんが)。

小倉先生のほかのご著書を読むと、今の日本社会において「生きづらさ」を感じている女性たちに対して、真摯に誠実に向き合っておられる方という印象を受けます。

でもこの本に関しては、ご自身のそういった関心の方向に沿うように論を進めようとするあまり、純粋にモンゴメリ作品を愛している人たちがいることに心配りのない、恣意的な解釈が入ってしまっているように感じて、少々残念に思いました。

そちらのブログを拝見して、膨大なモンゴメリ情報を集めておられることに感嘆しました。ゆかさんも、モンゴメリの研究書を出版なさっておられるのですね。そのうちぜひ、読んでみたいと思います。

こちらは気分まかせに読み散らかし、書き散らかしの統一感皆無な感想ブログで、お恥ずかしいかぎりです。見てくださってありがとうございます。

投稿者 ならの : 2008年2月26日 10:09



今年は、アン出版から百年ということで、カナダでもアン・ビジネスが盛んなようです。出版業、映画産業、観光業が特に力を入れているようです。

拙書は研究書ではないんですよ。足でひろったモンゴメリ関連の逸話を残しただけです。何年もかけてあれっぽっちでしたが、今ではいい思い出です。あの頃知り合ったモンゴメリを知る人たちは、今この世にはおりません。(<ー遠い目)活字にはならない世界にこそストーリーが潜んでいるんだなということを学んだのでありました。

それにしても、数多くのいろんな種類の御本に触れているならのさん、すごいです!感想を拝見するだけでも、おいしいつまみ食いをしているうれしい気分になります。またまた寄らせてもらいますね。

投稿者 ゆかじん : 2008年2月26日 22:44



ああ、もう出版百周年になるのですか、道理で!
三世代にわたるファンがいるのですものね。これだけ長いあいだ、しかもお勉強的に読まれるのでなく、今の感覚でも純粋に楽しめる作品として読み継がれているって、すばらしい。

そういえば私も、十代の頃に「アン」シリーズを最後まで読んだのは、母の本棚に村岡花子訳の古い文庫本がそろっていたおかげだし、もし自分に娘がいたら、やっぱり一度は抑えておくべき作品として「アン」を勧めていたんじゃないかと思います。

ゆかさんのご著書、「足でひろった」というので、ますます興味が湧いてきました。カナダで本業のお仕事をしながら、本にまとまるほどの取材をなさったなんてすごいなあ。

投稿者 ならの : 2008年2月27日 10:50



15年位前でしょうか。お茶の水のYWCAで、日系カナダ人の女性(たしか当時20代後半)と話す機会があり、「読書が趣味」とのことだったので「赤毛のアンを知っていますか?」と聞いたところ、「孤児の赤毛の少女が…」「アン、マリラ、ダイアナ、ギルバート…」「プリンスエドワード島」など、その場にいた私を含めた日本女性たちがいくらヒントを出しても、「聞いたこともありません」の一点張りで…この年代の日本女性で「聞いたこともない」という人に会ったことはありませんでしたから、とても驚きました。
学生時代の友人に話すと「私も院生の時に、アメリカ人の留学生に『若草物語』や『足長おじさん』について聞いたら、読んでいないと言われて、その場にいた私たちが驚いているのが、彼女は逆に不思議そうで、何で日本人はそんなアメリカの古い少女小説を読むの?と聞かれた」とのことでした。
リサーチ(!)はしませんでしたが、この差はそれこそ何故なんだろうね、とひとしきり話し合ったものでした。小倉説に近い意見も出ましたね、でも好きなものは好きよねぇ…と。懐かしくなり、ちょっと書き込んでみたくなりました。

投稿者 ぽんた : 2008年3月15日 04:17



ぽんたさん、コメントありがとうございます。
うーん、なるほど〜。あの手の作品、「聞いたこともない」って方も、実際にいらっしゃるんですね。日本だと、考えられないですよね。でも『若草物語』なんかは、1990年代にもアメリカで映画化されてたような(ウィノナ・ライダーの)。あれ観て、あらためて読んだ女の子なんかも、いたかしら?

ちょっと昔の時代のアメリカやカナダを舞台にした物語、向こうのいまどきの若い女の子だと、古臭くてつまんないって思っちゃうでしょうか?

『赤毛のアン』も『あしながおじさん』も『若草物語』も、時代が古くても面白いストーリーなのになー。もったいないなー(余計なお世話ではあるのですが)。

まあ、読者としては、「好きなものは好き」でいいですよね?

投稿者 ならの : 2008年3月16日 17:24



「若草物語」についても、ひょっとするとそうかもしれませんよね。
というのは、半年ほど前に、カナダ人男性と話していて、同じ質問をしてみたんです。
「『赤毛のアン』ですか、知ってますよ、映画が有名だから。もちろん僕は読んだことはないです、少女向けの本なんでしょ?姉妹がいますが、家にその本はなかったと思う。でも、サリバンフィルムのドラマをテレビでやっているから…」という感じでした。
やはりその時も、30〜40代の女性(もちろん日本人)が数人いたのですが、「日本の少女たちは、みんな読むんですよ」「少なくとも私たちの年代で、読んでいない人は少ない」などなど、「アン最高」という感じで話していました。
なんなんだ、この落差は。リサーチをしてみたくなりますよね(たぶん、アンファンの他の方も同じ感情を抱くと思うのですが、小倉氏はアンを分析したというよりも、「日頃の私の意見を発表するのにちょうどいい物件があったので、ちょいと借りました」という感じがしてしまうので納得がいかない…)。
あまり読んではいないのですが、同じ日本の「吉屋信子」作品は遠い昔のお話と思うのに、アンは生き生きとした隣人のように、感じてしまうんですよね、今も。

投稿者 ぽんた : 2008年3月17日 22:43



> 「日頃の私の意見を発表するのにちょうどいい物件があったので、ちょいと借りました」という感じ


そ れ だ!!!

これを読んでた当時、こういうアプローチもありだよねと公正に捉えようと思いつつも、気持ちが微妙に逆なでされつづけている感じを最後まで払拭できなかったのは、なぜなのかしらと考えていたのですが、要するにそういうことだったんなあ。

私も、日本の古いお話の少女たちよりも、アンのほうを生き生きと鮮やかに想像できてしまいます。

いま突然ちらっと思ったのは、特に若い読者には、欧米のお話のほうが、「過去と現在が地続き」な感じがあって、古い作品でも入りやすいのかもしれないってこと。日本が舞台だと、ほんの少し時代をさかのぼっただけで、風景も人びとの日常生活も、まったく違ったりしますしね。いまの読者が日本の昔のお話にちゃんと感情移入できるようになるには、それなりの知識が必要、というか。

あと、少女小説にかぎらず、欧米の古いミステリ(探偵小説)なんかも、いまに至るまで日本で版を重ねていたり新たに翻訳が出たりしてて、男女問わず読者がいることを考えると、「日本でアンが読まれ続けている」というのも、小倉先生がおっしゃるのより、もっといろんな要素があるんじゃないかなあ、なんてことも。

投稿者 ならの : 2008年3月18日 10:09





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