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2004年11月 9日

今更ながら「電車男」とか純愛とか

書籍・雑誌 | ネット

いまだに、ほぼどこの書店に行っても中野独人『電車男』(新潮社)が平積みになっているのが目につきます。話題の本なのねえ。

それだけ、たくさんの人たちの琴線に触れる話だったってことでしょうか。ベノアの紅茶まで、電車男効果で売上1.5倍(http://www.sankei.co.jp/news/041018/bun085.htm)……なんて記事を読んでしまうと、ただただ「ほえー」ってかんじです。「純愛物語」とか言われちゃってるし(http://www.asahi.com/tech/apc/040709.html)。そもそも「純愛」って、何? そしてそれって、そんなにいいもの? 普通の愛(笑)じゃ駄目なの?

ご多分に漏れず、私も以前、まとめサイトを一通り読んでます。たしかに、ドラマにはなっている。でもなあ、私の場合、面白いと思うと同時に、「なんか生臭くてちょっと……」と感じてしまって、「感動」はできなかったんだよなあ。だから、その後いろんなサイトで、「泣いた」とか書かれてるのを見ても、ピンと来なくて。皆さん、どの辺で泣いてますか? どの辺に心を揺さぶられていますか? それまでのオタクとしての殻を脱ぎ捨てて頑張る電車男? ネットの向こうの見知らぬ他人の恋愛沙汰で、自分のことのように一喜一憂するスレッド住人たち? 後者なら、ちょっと分かるような気はする。ネット上でのリアルタイムな一体感っていうのは、実際ハイになるよね。でも、純愛か、純愛……。

ふと思ったんだけど、もしかして、私が感じた「生臭さ」っていうのこそが、ほかの人たちの「生身の人間の実話だからこそ感動する」みたいな反応につながるのだろうか?

自分でも「もやもや」としか自覚できてないんだけど、おそらく私があの話で一番「見たくなかったな」と思ってしまった部分は――なんかどっちも、出会う前から「恋人ほしー」って思ってたかんじだよね? なんつーか、新しく出会った異性を、まず「自分の恋愛相手になり得るかどうか」というフルイにかけるような目で見てしまう人だったんじゃないかしら、二人とも。

スレッドに書き込みしてるのは電車男さんのほうだから、そっち側の視点しか明確な言葉では表現されてないけど、相手の女の子(エルメスさん)も、どう考えても最初からくっつく気満々だよね? だからこそ、ああいった、周到に網を張って電車男さんが落っこちてくるのを待っているような言動をとるわけだよね?(こういう表現をしてしまう私は、ちょっと性格悪いなあ、とは思うけど。もちろん、そういうのがタイプな人には、そこが可愛くて「萌え」なんだろうということも分かるよ。)

ええと、だから、どう言ったらいいんだろう。私がログを読んでも「感動」まで行けずにいたのは、男女どちらもが、誰かと恋愛をしたいと思っているときに、たまたまタイミングよくお互い好感の持てる相手に出会って、他人に反対されることもなく、皆の暖かいアドヴァイスや応援を受けてくっついた、というのでは、ワタクシの「純愛センサー」や「感動センサー」には、かすりもしませんことよ!……ってことなのかしら。

微笑ましくはあるんだ。世の中の大半のカップルは、恋愛したいと思っているときに出会った相手とくっついているんだろうし。それは、決して悪いことじゃないよな。いいことだよな。

ああ、そうか。そう思いつつも、出会う前から漠然と「誰かと恋愛したい」という意志が両当事者にあることがうかがえる時点で、それが「不純物」と認識されて、私の頭の中の「純愛」という単語のニュアンスから、外れてしまうんだわ。恋愛なんかする気、全然ないのに、それどころじゃなく心を占めているものはほかにあったはずなのに、気が付いたらすとんと落ちてました……というような、突然変異的に発生する話じゃないと、「純」ではない(それが悪いというわけではないけど)と受け止めてしまうんだ。私だけの感覚?

アキバ系の青年が、がんばって一般人に近づいていったことに感動する? どんな人だって生きてりゃ多少は、得たいものを得るために別のものを切り捨てたり、恥かき覚悟で勇気を振り絞ったりする場面はありますがな。恋愛にかぎらず。

むしろ引っかかるのは、スレッドの雰囲気が、恋愛を成就させ、維持するためには、オタクな趣味を捨てることが当然、みたいなかんじになってたこと。一般人のフリをするのって、そんなにいいことですか? オタクな人たちって、実は、オタクな趣味にこだわらず優雅にエルメスのカップで紅茶など飲みながら生きていくだけで満足できるなら、自分もそのほうが幸せだと思っているの? ていうか、パートナーに「その趣味やめてね」って言われて、ほんとに捨てられるの? なんかちょっと、そういうのって、さびしいなあ。いや、幸せならいいんですけど……私は、「リアル生活でパートナーがいるんだから金城くん映画のDVDはもう要らないでしょ」って言われたら、すごく悲しいなあ(そこかい!)。

もちろん、当事者のお二人を否定する気持ちはないんです。お幸せにね、と思うんです。ただ、「純愛」とか「感動」とかって、みんなで特別視して本まで出して騒ぐことかなあって思ってしまう。多分どこにでもいる、普通のカップルだよね? そしてどんな「普通の」カップルにだって、彼らだけの、他者とは共有できない(かもしれない)エピソードや感情の起伏があるよね?

ああ、今ちょっとひらめいたぞ。ことさらに『電車男』のお話がもてはやされることで、なんか、そういった「誰もが経験しているはずの平凡な感動」が、過小評価されているような気がして、悔しいのかもしれない、私は。

そして、すっきりとまとまらないまま終わる。
11/10に追記

Posted at 2004年11月 9日 21:58



All texts written by NARANO, Naomi. HOME