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2004年11月13日

『2046』

映画・テレビ | 王家衛

2004年の香港映画。現在、劇場公開中。原題同じ。監督:ウォン・カーウァイ。主演:トニー・レオン。その他の出演者:木村拓哉、フェイ・ウォン、コン・リー、チャン・ツィイー、カリーナ・ラウ、チャン・チェンなど。特別出演:マギー・チャン。(公式サイト

やーーっとこさ、観てきました。えーと、結論から言うと、大変満足です。終盤、何度かいろんな思いが込み上げてきて涙が出そうだった。しかしこれは、今まで以上に、何度も繰り返して観て、徐々に読み解いていくべき作品かもしれないなあ。「え、え、え、今のって!? DVDで観てたら、今のとこ、ちょっと巻き戻すのに!」と思った箇所がいくつもあったよ。

あんまりストーリーを紹介しても意味ない気がするんですが、一応、ちょこっと書いてみます。あからさまに明言はされてませんが、前作『花様年華』を観た者にとっては、その続きの話として以外、受け止めにくい設定。

1960年代後半。『花様年華』のラストで、チャン夫人に「一緒に行かないか」と言えないままシンガポールに旅立ってしまったトニー・レオンもといチャウ氏は、結局そこでの生活にも見切りをつけ、香港に戻ってきます。そのときにはもう、すっかり以前のストイックさを失って、愛なんか信じない自堕落な遊び人になっていました。帰国後まもなく再会した昔馴染みのルル(今の名はミミ)の滞在していたホテルのルームナンバーがチャン夫人との思い出のある特別な数字「2046」だったため、ミミが出て行ったあと、そこに引っ越そうと考えますが、支配人には改装中だと断られ、代わりにお隣の2047号室に入居します。そしてそこで、周囲の人々をモデルにした、『2046』というSF小説を書き始めます。登場するのは、改装の終わった2046号室に越してきた気の強い美女バイ・リン(チャン・ツィイー)や、ホテル主人の娘ジンウェン(フェイ・ウォン)、その恋人である日本人青年(木村拓哉)。

事前情報では、直接的につながっているのは『花様年華』、どことなくつながっているのが『欲望の翼』、というふうに聞いていたので、こんなにもはっきりと『欲望の翼』を意識させる内容になっているとは意外でした。音楽の力は偉大だ。同じ曲が流れただけで、一気に記憶がよみがえってしまう。

もともと、『花様年華』自体が、最終的には作られることがなかった『欲望の翼』の続編的な位置付けにある、というのはどこかで読んでたんですが、実際に『花様年華』を観たときには、あまり『欲望の翼』を喚起させる部分は感じていませんでした。ところが、この『2046』で、『花様年華』と『欲望の翼』が、疑う余地なく同じ世界の話になってしまった。ああ、『欲望の翼』のスーは、やっぱり「警官さん/船員さん」とは再会できなかったんだね……。あの「チャン夫人」は、おそらくスーだったんだ、と初めて納得した。(以下、さらにネタバレ気味なので嫌な方は無視してください。)

『欲望の翼』のラストシーンで唐突に登場するトニー・レオンは、セリフもほかの登場人物との絡みもなく、したがって名前なんて必要なかったはずなのに、なぜか「スマーク」という役名がついていました。『2046』のトニーは、終始このsmirk(キザな作り笑い)を、浮かべています。周囲に本心を見せず、ずっと、本当は悲しく寂しい自分をごまかしている。そして最後にようやく、『楽園の瑕』のレスリー・チャンと同じ結論に達します。忘れようと殊更に思うものは、余計に忘れられないものだ――と。

始めのうちは何者なのか分からなかったコン・リーとのシンガポールでのエピソードの意味が、映画の終盤で説明されたときには、構成の巧さにちょっと感動しました。どーせ、撮ってるときには、どうつなぐかなんて、ぜーんぜん決めてなかったに違いないし。

カリーナ・ラウ演じるミミ絡みのシーンでは、今は亡きレスリー・チャンが『欲望の翼』で演じていた「ヨディ」の影が重くのしかかってきます。チャウがチャン夫人を心の奥底では忘れられていないのと同じように、ミミはヨディを失ったという事実を、消化できないでいる。では、チャウに出会ったときのチャン夫人=ヨディの元恋人スー・リーチェンは……? とか考えると、『花様年華』の見方まで変わってしまうよ。うわー。チャウが『2046』のあとに書いた『2047』の、「ほかの誰かを愛しているために答えをくれない」ヒロインに託していたのは、ジンウェン、それとも……。

時の刻み。ちょっとしたタイミングの違いで、すれ違ってしまうこと。忘れられない人を心に宿しながら、生きていくこと。いつかまた会えるかもという期待を抱き続けること。永遠に変わらない気持ちなんて、あるのだろうか。時間の経過が、拷問にも救いにもなりうること。

結局のところ、ウォン・カーウァイって、繰り返し繰り返し、同じことを、似たようなモチーフを使って、言い続けているんだなあ……というのを、改めて確認させてくれるような映画でした。実は、先日から続けている「独りウォン・カーウァイ祭り」(「週間」ではなくなってしまったので呼び名を変更)で、まだ感想を書いてない『恋する惑星』については、ほかの作品とちょっと違う、という文脈で語るつもりでいたんですが、『2046』を観たら、「ああ、『恋する惑星』も根っこのところは、一緒じゃん」と思ってしまった(笑)。ま、そういうところが、好きなんですけれどね>ウォン・カーウァイ作品。

あと、こういう意見はすんごい少数派だと思うんですが、トニーが酔いつぶれたカリーナ・ラウの靴を脱がせるシーンはともかくとして、チャン・ツィイーと初めてまともに会話を交わし、つれない彼女に食い下がるときの強引な物言いや微妙な笑顔までもが、『恋する惑星』でブリジット・リンに絡むときの金城武にダブってしまったのは、我ながら驚き。いくら私が金城ファンでも、トニー・レオンを見て金城くんを連想することがあろうとは。

そういえば、ずっとずっと前、まだ『2046』のキャスティングが正式発表される前、たしか金城くんの名前も一瞬だけ噂にあがっていたよね。もしも、チャウが書いている小説の中で自らを投影するキャラを演じていたのが、金城武だったら……と、思わず妄想(笑)。いや、木村さんでも、全然問題ないんですが(ただ、金城くんだったら、少なくとも「あんなに徹底して日本語しか喋らない男が、どうやって香港人の恋人と意志を疎通させているのだろうか?」という疑問だけは、生じなかったであろう)。木村さんの出てくるシーンは、なんかちょっと新鮮でした。そこだけ、ざらっと質感が変わって、現実味を帯びるような。中国語圏の人にとっては、むしろ反対で、彼の喋る日本語の響きとあいまって、現実味が薄れているのかも。

物語の中心には、常にトニー・レオンがいるんですが、女優さんが、みんなそれぞれ、際立ったキャラで、みんなそれぞれ、すごく美しく撮られてます。個人的な好みでは、フェイ・ウォンがいいなあ。

チャン・チェンは、来日しての宣伝にも加わってたし、けっこう大きい扱いで取材されてたような気がするのに、実際の出番は、私が気付いたかぎりでは3回くらい、それも1回あたり平均1秒?ってかんじでした。なんてぜいたくな(=もったいない)使い方!

チャウ氏が執筆するSF小説パートの映像は、ものすごく洗練されてはいないんだけど、「1960年代の中国人が読み捨てのパルプフィクションとして書いたSF」というコンセプトには、合っていたんじゃないでしょうか。かえって、レトロちっくで面白かった。

ところで、観終わったあと、映画館のエレベータの中で「キムタク、あんまり出てなかったね……」「あれでも、最初のバージョンから増えたらしいよ……」と語り合っている若いカップルに遭遇。わはは、ご愁傷様です。

Posted at 2004年11月13日 23:39



All texts written by NARANO, Naomi. HOME