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2004年11月15日

つかれてばかりもいられない。

もろもろ

1つ納品が終わるたびに、抑えても抑えても「夜逃げしたい」という願望がふつふつと胃の奥底から沸きあがってくるのを、意志の力でねじ伏せようとしている毎日です。

結局のところ、自分が胸張っていられないのは、自分が働くことに対して、常に「うしろめたい」気持ちがあるからなのかもしれないなあ。周囲からいつも言われる「仕事もいいけどね……」の「……」の部分を、せっかく皆さん自粛して口をつぐんでくれてるのに、自分自身が、勝手に脳内補完してしまっているときがある。

いつも納期に追われて家の中にピリピリした空気を振り撒いている私なんかより、結婚以来ずっと義父の収入の範囲内でやりくりして、毎日きっちり家事をこなして、ほんわかとしたムードで、週1回ボランティア活動に出かけていく義母のほうが、客観的な社会貢献度は絶対に高いよなあ、という劣等感を自覚したり。

独身時代、頑張って頑張って残業や休日出勤をこなしても、家族からは「いつまでも好き勝手なことをしている」としか言われなかったこと。結婚後、「20時に新しいデータが届くから今日のミーティングは21時開始ね」なんてこともある職場で、上司に「ならのさんの旦那さんは、奥さんの帰りが遅くてかわいそう」なんて言われていたこと(フルタイムで働く既婚女性は社内に私一人、という状況だったし)。

自営になっても、「ダンナがいるんだから、本当は働く必要ないんでしょ」みたいなことを、面と向かって言われたこと。夫の両親と同居することになったと言ったら、多くの人たちの反応が「仕事は続けさせてもらえるの?」というものだったこと。そうか、仕事って、「お許し」がなければ、やってはいけないものなのか。世間的には、私はわざわざお許しをもらって胃痛に耐え、お許しをもらって夜逃げしたい気持ちを日々やり過ごしているわけですな。

今の日本で普通にこの歳までお金をもらう仕事をしている女の人であれば、誰だって多少はこういうことを言われているだろうと分かっているのに、なぜか時折、すべてが脳裏によみがえってきて、どよどよとしてしまう。記憶に留めないほどに、うまく聞き流してしまいたかったのに、実は自分は忘れてなどいなかったのだと思い知る。

聞き流せないのは、心のどこかで、痛いところを突かれたような気がしているからか。「好き勝手なこと」と言われれば、たしかに自分で選んだ仕事ではあるしと思い、「ダンナがかわいそう」と言われれば、たしかに奥さんが専業主婦な同僚たちと比べれば、同居人A氏にかかっている負担は大きいだろうと納得する。

子供の頃、自分の母親が一日中、家事をしていた姿を見て脳裏に焼き付いているので、たしかに本当は家の中に「家事専従者」が一人いると居住空間が快適なんだよなあ、と考えてしまう。私が起きる前に起きて朝食を作ってくれ、一日中、掃除や洗濯や買い物やご飯の支度や縫い物や庭の手入れをやって、私が布団に入っても、まだあれこれ雑用をこなしていた母の姿を、今でも思い出す。主婦業って、真面目にやったら、いつまでも終わりがないもんねえ。正直、もし今の自分が専業主婦になったら、母が1日にこなしていただけの作業を、朝起きて夜寝るまでにやり遂げる自信なんて全然ないけれど、サラリーマンである同居人A氏のほうが自宅にいる時間が少ない以上、せめて私は努力放棄をすべきではなかったのではないか。さもなければ、「自分の食い扶持さえ稼げれば」なんて暢気なこと言ってないで、家事専従者を家に置けるくらい稼げるような仕事を選ぶべきだったのではないか。

とにかく、いったん落ち込み始めると、罪悪感がすごいのよ。サラダにかけた市販のドレッシングの味が安っぽければ、真っ当な主婦(主夫)のいるおうちではこんなもの買わないんだろうなあと思い、宅配ピザを取れば、まともなレストランのピザならともかく、これなら子供の頃に母が小麦粉を練って台から作ってくれてたピザのほうが美味しいぞと思う。箪笥の整理をしていて実家から持ってきた浴衣が目に入れば、今の私の年齢のときに母は1日もあればこんなもん縫い上げてたのに、私はこの歳でまだ親がかりだわ、と自己嫌悪に陥るし、知人が子供を産んだと聞けば、そりゃあおめでたいねえと喜ばしく思うと同時に、むかしは30歳を越した時点で子供がいない自分なんて想像もしてなかったよと遠い目になる。

義母が「お仕事してるんだから仕方がないと思って見ているの」と慰めてくれることすら、「ああ、やっぱり仕方がないから我慢しているんですね! いつか不満が爆発したりとかしませんか!?」とプレッシャーの種になってしまう。立派な被害妄想。

頭では、そんなこと、どーだっていいじゃん、と分かっているのですよ。今の家を買うときだって、私が働いてなかったら住宅ローンの借入金額がどどんと増えてる。終身雇用神話が崩れ去ったこのご時世、共働き上等。別に浴衣が自力で縫えなくたって、ボタンが付けられてまつり縫いができれば普段の生活で不便なことなど何もない。それに同居人A氏は、母が扶養家族から外れることを面子がつぶれると言って嫌がった父とは違い、仕事を減らして家事をしろなんてこと言わないし(むしろ、もっと仕事しろって言われる)、多分私よりも、家事全般に対して積極的だ(ジャンルによっては私より雑だけど)。おまけに、繰り返して言うが、正直、私には主婦としての才能は、あまりない。

なのに、どうしても「お金をもらって働くこと」に対して罪悪感やうしろめたさが消し去れないのは、もう生理的なレベルで、そういうのが染み付いてしまってるんだろうなあ。子供の頃から「女の子だからって、どうのこうの言わないでくれ!」と周囲に対して思っていたはずの私ですらこうなのだから、世間一般へのこういう感覚の浸透はさぞかし根深いんだろうなあ。

しかしそもそも、こんなことをうだうだ書いているあいだに、本当はその時間で、たとえば同居人A氏が帰宅する前に夕食のおかずをもう一品増やしたり、できたはずなんだわ。罪悪感はあっても、それを解消する行動を取らないのが私というキャラクターだ。うわははは。

実はこの文章を書くのに、3日かかってます。3日もそんなことで、うだうだしとったんか! くだらねー。でも言語化してみたら、ちょっとすっきり。とにかく、自分の脳内に「仮想の敵」みたいなのを作らないように心がけよう。

小倉千加子『結婚の条件』読了。今度感想書くかも。

克服すべきは「自己差別」である。自分の中から「恥」を追い出して「恥知らず」になれば、頭を上げてちゃんと生きていける。

だって。

Posted at 2004年11月15日 22:27

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そーいえば今日が結婚記念日なのであった。まる13年たってしまった。いやはや。 結婚以来私はずっと、「国保の3号」という身分です。細々と何がしかの収入はあるけど、「自分の食い扶持」程度だったりします。途中でオットが転職したり無職だったりということがあったの... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2004年12月 5日 20:35

コメント

なんかびっくり。いや、批判してるのではないのよ〜決して。
自分とはちがう文化なんだなー、と純粋にびっくりしたのよ〜〜
「働くことが肩身が狭い」という考え方があったなんて!という純粋な驚きです。
わたしは母がパートとは言えずーっと働いていたからか(食わせてもらってると
「思う」のがいや、などと言ってた。父はそんな言い方しないのだけど、多分)
自分がとりあえず仕事してるとは言え、ずっと国保の3号被保険者であることに
すごく肩身の狭い思いをしてるのよ。夫に対してではなく、世間に対して。

投稿者 どら : 2004年11月16日 02:36



うーん、やっぱ染み付いた「文化」ですかね。私はずっと、「妻が稼ぐ=夫の恥」あるいは「妻が稼ぐ=やりくりの下手な贅沢妻=恥ずかしい」みたいな感覚は、私らの両親世代のサラリーマンなら、みんなそうなんだと思ってました。そうでもないのね。

ていうわけで、どらさんと反対に、私は以前A氏の親に「なおみさんはAの扶養に入ってるんでしょう?」と当然のごとく言われて「いいえ……入れないんです……」と答えたとき、つい不必要におどおどと挙動不審になってしまったのでした(笑)。堂々としてりゃあいいのにねえ。

投稿者 ならの : 2004年11月17日 00:33



そっかー
私の周囲は夫婦で働いてる人ばかりなので
辞めると、良いご身分ねみたいに言われるよ〜
祖父母や親も働いてたし、仲人さんも総合職共働きなので
「辞めるなんて勿体無い」「何するの?ヒマじゃないの?」とか、すんげープレッシャーなんですけど…
うへぇ肩身狭いよ〜
なので、パートでも探さないといけないのかーって、
それがまたストレスだったりする…。
旦那さんも「家に居るより働いたらぁ?」って
悪意無く!無邪気に言うしなぁ。うるうる(涙)
なんか、主体性の無い私(^^;
でんでん関係ない話でごめんなさい。

投稿者 さゆり : 2004年11月19日 21:02



いや、前から思ってるんだけどさー。何やったって、否定的なことを言う声は、耳を澄ませばどっかから聞こえてくるのよ。私も今は仕事してるから、それについてあれこれ言われているけど、仕事を辞めたら辞めたで、きっと別方面からあれこれ言われるんじゃないかという気がする。

つーわけで、どっちにせよあれこれ言われる結果になるなら、状況が許す範囲で自分が一番ラクに生きられる道を選ぶのがまだしも吉、ですわ。

主体性は、私もないです。いつも迷ってます。方向音痴だし(それは意味が違う)。

投稿者 ならの : 2004年11月20日 17:19





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