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2005年4月 9日

ロバート・J・ソウヤー『ホミニッド―原人』

読了本 | 書籍・雑誌

内田昌之・訳、ハヤカワ文庫SF、2005年2月刊。【Amazon.co.jp】

原書はRobert J. Sawyer "Hominids" (ハードカバー2002年/ペーパーバック2003年)【Amazon.co.jp】

発売直後の2月末に読んだものですが、2月の読了本メモのところで、この本についてだけ、ほとんどコメントらしいコメントを書かなかったので、一応、改めて。あんまり「楽しく読みました」的な感想じゃないので、それでもOKな人のみどうぞ。

「ネアンデルタール・パララックス」三部作の1冊目。なんかこう、「ソウヤーてんこもり」なんだよね。並行宇宙、量子コンピュータ、異種族同士のファースト・コンタクト、科学者の中年カップル、異なる文化や思想の衝突、おまけに法廷ドラマと、これまでのソウヤー作品のどれかで見かけたネタばっかり。人間の倫理観や《超越者=神》の存在・不存在問題が出てくるのも、なんだかものすごく「ソウヤーっぽい」と感じる。

けれども、そうやってどっかで見たようなネタを繰り出しつつ、その料理の仕方自体は、やっぱり上手いし、緊迫感のあるストーリーテリングは健在。ネアンデルタール人が地球を征している別の宇宙での、ホモ・サピエンスのものとはまったく違う社会構造の設定の緻密さも楽しい。面白くてとっつきやすいSFを求めている人がいたら、迷いなくおすすめできると思います。客観的見地では。

ところが実は、個人的には、この作品を以前ハードカバー版で読んだときに「ああ、もう私ソウヤーにはついていけないかもしれない」と思って、それ以降この作者を原書で追いかけるのは止めてしまっているのでした。改めて日本語で読んでもやっぱりちょっとしんどかった。

ひとつには、以前の作品 "Factoring Humanity" あたりでも間接的に言及があってすごく読んでてつらかったのだけれど、作中でとある分野に属する後味の悪い行為がモチーフとして使われていること(今回は直接描写もあり)。もちろんソウヤーはものすごく善意の人なので、一貫してそういうのを“許されないこと”として書いているし、登場人物にとっての“救い”となる要素もストーリー内に用意されているんだけど、読んでるこっちは、エンターテインメント作品の中で、決して当事者とはなりえない作家が、ストーリーを都合よく進めるための歯車としてこういうネタを使用すること自体に、割り切れなさを感じてしまうのだ。過剰反応かなあ、とは思うんだけど。ついでに言うと、今回の作品ではそのテーマ上、生物学的に「生々しい」話もちょくちょく出てきて、これを男性であるソウヤーが女性を主人公(の一人)に据えて書いてるのか、というのもちょっとイヤ(苦笑)。こういうのに、いい歳していちいち拒否反応を示すのって、カッコ悪いことなのかもしれないと思いつつ、でもやっぱり私は娯楽のために読む作品で、こういう居心地の悪い思いをしたくない。駄目な読者ですみません。

さらに、毎回“異なる価値観同士の出会い”というのを描きつつ、「結局のところソウヤー自身は、キリスト教の価値観で育った人だなあ」と感じさせる部分が、年々強くなってるような気がするのも、非キリスト教徒(というか、キリスト教徒の親に育てられたけど自分の意志で外に出た人間)としては、読んでてきついいものがある。これも、個人的な事情ではあります。

骨子となる部分は楽しんでいるので、日本語でつづきが出たら、また読むと思いますが。

ところでさっき、自分の過去の読書感想文を読み返してみたんだけど、どうも前作 "Calculating God" でもすでに、かなり私はソウヤーから引き気味ですね(当時、「別途、紹介文を書く」とか言ってたくせに、結局書いてないし)。

ただ、現在でもやっぱりソウヤーの作品には泣くほど好きなのもあるので、「私はソウヤーのファンです」と主張することをやめる気はしないんだよなあ。『占星師アフサンの遠見鏡』のつづき("Fossil Hunter""Foreigner")を、ぜひぜひ日本語で出して心置きなくネタバレ談義ができるようにほしいのだが、なんだかもう望み薄っぽい?

Posted at 2005年4月 9日 23:40



All texts written by NARANO, Naomi. HOME