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2005年7月 5日

それはまた別の話(2002.12.3 初出)

映画・テレビ

Movable Typeに移行する前の過去記事を削除したものの、現行の「虫のいい日々」内の記事からリンクして言及しているものと、映画の感想文については、削除したままだとなんとなく落ち着かないので、とりあえず少しずつサルベージしてこっちに再録してみることにしました。

前回の更新で拾った『ザ・ワン』感想文のつづきです。規制をクリアするための暴力描写の扱いについて。


前回感想を書いた『ザ・ワン』の DVD に付録として付いてた製作者コメンタリーを聴いていて、気になったのがアメリカの「R 指定」とか「PG 指定」とかの基準だ。『ロード・オブ・ザ・リング』もたしか、PG13(13歳以下の子供は親の強い同意がなければ鑑賞不可)だったっけ。この『ザ・ワン』でも、規制に引っかからないように暴力的なシーンをかなり削ったということだった。たとえば、主人公が銃で撃たれるシーンがあるのはいいけど、銃弾の衝撃を受けた瞬間をクローズアップして見せては駄目、なんて決まりがあるらしい。撮影開始から公開前までの期間にも徐々に規制が厳しくなっていって、撮ったけど最終的には使わなかったシーンがたくさんあるそうだ。

で、最初のうちは「ふーん、そういうところにも配慮するのねえ」と感心しながらコメントを聞いていたんだけど、段々、なんかすっきりしないものを感じるようになって。たとえば、「無駄な人死に」の排除の仕方。フィクションであっても、無駄に人が死ぬのはよくない、という考え方は分かる。でもだからって、「雑魚キャラはどれだけ酷い暴力を受けても死なない」ということにしてその問題をクリアしてしまうのは、ちょっと違うんじゃないか? 監督さんたちがコメンタリーで「銃弾を全身に受けた警官たちは、PG 規制を考慮して、怪我はしたけど死んでないことになってるんだよ!」みたいなことを得々と語るのを聞いてると、なんだかなあ……と思ってしまったのだ。

「人間の身体はある程度以上の力を加えるとつぶれてしまうんだよ」って現実は「残虐である」として排除して、「重要性の低い登場人物はたとえオートバイ 2 台の間でサンドイッチになっても死なないのでなにやってもオッケー」というような映画を「子供に見せても大丈夫な映画」として承認するんだなあ、それが現代のアメリカ映画の倫理規制ってやつなんだなあ、血さえ流れなければ「クリーン」という扱いになるんだなあ、なんて。おらの言いたいこと、分かってくださいますだか?(←サム@瀬田貞二訳『指輪物語』の口調で)

そもそも「子供に残虐なシーンを見せない」という前提と「バイオレンスをモチーフの 1 つとして使った映画を全年齢対象で製作する」という目的には、大きな矛盾がないだろうか。そんなことをやってても、中途半端なぬるい作品が量産されるだけなのでは。「人が撃たれるシーンは必ずロングショット、かつ肝心な部分は隠す」とか忠実に守っていたら、メリハリのある画面作りも大変だろう。見る側としては R や PG に分類されることが怖いならああいう極端なシチュエーションを出すな、出すなら分類を怖がらずに行け、と言いたいんだけど、それじゃ駄目なんだろうか。作る側から言えば、年齢制限が付いてしまうと興行的にマズかったりして、スポンサーからクレームが付いたりして、映画を世に出すこと自体ができないなんてこともありうるんだろうなあ。

で、突然ですが、ものすごく心配になったのが、先日の金城武の主演映画『リターナー』のこと(すみません結局は金城ネタに行くのです)。アメリカの配給会社が買ってくれたとかいって喜んでましたけど、あれ、あのままアメリカに持ち込んでも絶対、R 指定じゃないの? 少なくとも PG 13 は行くでしょ。戦争のシーンなんか、人間の内臓見えてるし。ものすごい勢いで人死ぬし。問題は、映画全体としては『リターナー』がかなり "ジュブナイル臭" の漂う作品であることだ。私が観に行ったときも、観客の半分くらいは小学生だった(後の半分は金城ヲタと特撮ヲタ?)。大丈夫なのかなあ。今どういう状況になってるのか知らないけど、アメリカで無事公開に漕ぎつけたとしても変な風に編集されたりして。

ふと思ったんだけど、日本の子供ってアメリカの映画倫理規定では絶対「R」付くような映像や画像にものすごい耐性あるよね。今の学校教育は知らんが、少なくとも私と同世代なら、子供の頃「戦争はこんなに恐ろしく悲惨なものなので繰り返してはなりません」という反戦教育の文脈で、どろどろぐちゃぐちゃスプラッタな視覚情報を何度も強制的に与えられている人が多いんじゃないか。(実は『リターナー』の悲惨な戦争シーンを見たとき、一瞬だけストーリーの流れにそぐわない妙なノスタルジーを感じてしまったのだけれど、あれは小学校時代の反戦教育の資料と似た空気があったからだと思う。)ってことは、日本の小学校教材をアメリカに持っていくと「R 指定」付いたりするのかなあ。(そういえば何年か前に、広島の原爆投下後の写真がアメリカのどっかで展示禁止になったニュースがあったような。)現代の日本の小学校でもああいう反戦教材を使っているのだろうかってあたりはよく分かってないんだけど。

どっちの方針がいいのかっていうのも、考えれば考えるほどに、よく分からない。中庸が一番? 現実にフタをして不自然なシチュエーションにしてまでクリーンなものだけ見せることにどれだけの意味があるのかという気持ちもある一方で、でき得ることならば、あんまり心の柔らかいうちに衝撃的な映像を見せすぎないほうがいいんじゃないかという気持ちもたしかにあるのだ。

しかしエンターテインメント映画のバイオレンス描写と反戦教育を一緒に並べて語るのは、それこそちと暴力的? おまけになんか、話が微妙にずれているような。とりあえず『ザ・ワン』のあのオートバイで警官をサンドイッチするシーンはいかんよ。私は李連杰映画にああいう CG 処理だけの派手な映像など求めていない!

(2002.12.3)

Posted at 2005年7月 5日 14:30

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» ロンドンから感謝を込めて。 from Calling you
お見舞いの言葉、ありがとうございました。 [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年7月 9日 22:41

コメント

お見舞いのmail、本当にありがとうございました。一通一通に本当に励まされております。
お礼の気持ちをを伝えたく、TB、コメントを残しています。記事内容に関係なくてすみません。

投稿者 M : 2005年7月 9日 22:52



Mさん、こんばんは。ご無事でほっとしました。素早い返信、ありがとうございました。Blogも拝見しています。

投稿者 ならの : 2005年7月11日 22:20





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