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2005年9月 3日

『小学生日記』への思い入れのことなど

読了本 | 書籍・雑誌

3月に読んだ、hanae*ちゃんの『小学生日記』(角川文庫)について、先日(って、もう半月以上も前のことになってしまいましたが)思いがけず「駄犬堂書店」の黒犬さんからトラックバックをいただいたので、今更ながら、以前某所で書いてみたあと、なんか言い足りないような気がしてそのまま放置してあったロング・バージョンの感想文を一部修正して使いまわしてみます。今でもやっぱりなんかもっとほかに書きようあるだろ、と思っていますが。


どうも『小学生日記』がツボに入ったのは、私の個人的な記憶とシンクロする部分が大きいからかなあ、とも思い始めて、どういう書き方をすべきか迷っているですよ。特に、一番グッときた文章が、アメリカ育ちのお兄ちゃんネタ、というあたりが、ちょっとね。

このモトイという名のお兄ちゃんは、ご両親が離婚してお母さんがハナエちゃん(当時6歳)と一緒に日本に帰国したあとも、ずっとアメリカ人のお父さんのもとに残っていたんだけど、中学に上がる直前にお母さんと新しいお父さんに引き取られて、日本で暮らすことになりました。アメリカでは、勉強もスポーツもコンピュータいじりも楽器演奏も人並み以上でオールマイティな元気者だった彼が、日本では言葉の壁に阻まれ、できることを制限され、徐々にストレス溜めていきます。そのようすを、小学4年生のハナエちゃんが共感とともに克明に綴っています。母はモトイの成績が悪いと怒るけど、私にはモトイの気持ちも焦りも理解できるような気がする、と。

学校ではできるだけ日本語を使う、などと自主的に決めてがんばってきた彼が、ついに限界に達したとき、自分を叱り付ける母親をまっすぐに見つめて、
"I wasn't like this in America."
(ぼくは、アメリカではこんなじゃなかった)
と言うくだりで、私は泣きそうになりました。

私自身が日本を離れていたのは、小学校時代の3年間のみだから、帰国子女というほどのもんではありません。日本語より英語のほうが楽だと思ったことなど、生まれてこの方、一度もないし。ところがそんな私でも、日本の小学校をやめてアメリカの小学校に入ったときと比べて、アメリカの小学校をやめて日本の小学校に編入したときのほうが断然、精神的にきつかった。今でも、帰国直後の数ヶ月は、記憶から抹消したいと思っているくらい。

アメリカという国には、今ではいろいろと複雑な思いを抱いていますが、少なくともコドモにとっては、治安のことはさておき、精神的にはのびのびと暮らしやすいところだったんじゃないかと思います(地域にもよるのかな)。単に年齢が低いほうが、環境の変化に適応しやすいってだけだったのかもしれないんだけど。

とにかく私程度でああだったんだから、アメリカ生まれのモトイくんが中学から突然、日本の学校に通うのって、どれだけ大変だったことだろう。

そしてまた、ハナエちゃんの文章が、本当に小学生離れした的確な表現力に基づいて書かれているのだ。「モトイは悔しがった」とかじゃなく、「モトイの顔は真っ赤になり、メガネの奥から涙がこぼれるのが見えた」って書くんだもん。ここで、どきゅーんと撃たれましたよ私は。状況を伝えるためのちょっとしたエピソードの選び方なんかも巧い。モトイの気持ちは理解できる、とハナエちゃんは書くけど、ここに出てくるお母さんの言動を読んでたら、お母さん側の気持ちも、ハナエちゃんは子供なりにちゃんと理解しているのだなということが分かるのです。

ものすごく、「周囲の空気を読んでいる」子だなあ、と思った。作文の題材となる自分のリアルな周囲に対する観察力と、自分の作文を直接目の前にはいない読み手がどう受け止めるかという想像力とを、兼ね備えてて。

だってさー、たとえばネット見てても、その部分が致命的に欠けてる文章書く人、大人にも大勢いるよ? 自分を棚にあげて言うけど。

ハナエちゃん自身は、塾の選抜試験に合格するほど成績よくって、親子関係も良好で、仲のいいお友達もいて、モデル等のお仕事もきちんとこなしてて、なのに、文章読んでると、すごく感覚が「普通の子」でもあって。ハーフの帰国子女としては、ものすごくうまく適応してる例でしょう。萎縮して周囲に合わせてるわけじゃなく、背伸びして優等生なわけじゃなく、自然にこうなったんだなってかんじの。

ただ、それが実は「自然に」ってわけでもないのかもしれない、むしろ努力の賜物なんだな、と確信したのは、本書の終わりのほうの文章に、こうあるのを読んだときでした。


「わたしが日本に帰ってきて最初に『しちゃいけない』と思ったのは、『showyになること(人前で自慢するみたいなこと)』だった。べつに悪いことだと思ってなかったけど、何となく日本ではダメなんだな、ってすぐにわかった」


そう思った当時の彼女は、6歳。それから彼女は、「日本人らしくしよう」と考えて、でもその反面、アメリカで暮らしているときには意識して「アメリカ人らしくしよう」と思ったことなんかないのに、どうして? とそんな自分に疑問も感じて。で、そもそも、みんなそれぞれ違ってることが当たり前だから、アメリカには「アメリカ人らしさ」という概念自体がなかったんだな、という分析までして。

ハナエちゃんの言う「showyになっちゃダメ」っていうの、ああ、すごく分かる……と思ったのです。日本のコドモ社会って、「浮いてる」人に対して、時々おそろしく不寛容なことなかったですか。平穏な学校生活を送るには、平均値でいることが一番、みたいな。それと本人がshowyになってるつもりなくても、ただマジョリティと違っているだけで、showyだと判断されちゃうってとこ、あったと思う。加えて、コドモには自力で逃げていける場がものすごく限られているんだよな。オトナは自分の居心地のいい場所をある程度、自分で求めて動くことができるんだけど。

この本のなかの小学生時代のハナエちゃんが、モデルをやったり文章を書いて商業誌で発表したりと、周囲の子供たちのなかでは突出した個性を発揮していると同時に、ちゃんと小学生社会のなかにも居場所を持っているように見えるのは、こうやって6歳のときから(無意識の部分も大きいかもしれないけど)、常に周囲の事象を分析し、自分と社会との「バランスのとり方」を模索してきた結果なのかもしれません。そう思うと、なんだかものすごく、この子がいじらしく、また尊敬に値すると感じられるようになってきたのでした。

本書の「あとがき」で、好きな本をいろいろ挙げるなかで、ある絵本のキャラクターの
「I'll always be me, and I like that.」
というセリフを引用しているのを読んだら、もう「その調子でがんばれよー」と応援するしかないじゃんという気持ちです。


(ハナエちゃんの芸名は hanae* と表記するらしいんだけど、日記の中では本人が「ハナエ」表記をしているので、そっちで書かせていただきました。)

(最初に書いた時期:2005年4月上旬)

Posted at 2005年9月 3日 02:39

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 2005.7.25初版。単行本は03年12月、プレビジョン刊(ってどこ?)。そ... [続きを読む]

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All texts written by NARANO, Naomi. HOME