« 2005年9月 | 最近 | 2005年11月 »

2005年10月19日

『ベルベット・レイン』

映画・テレビ

2004年の香港映画。原題『江湖(Jiang Hu)』。監督:ウォン・ジンポー(黄精甫)、脚本:トウ・チーロン(杜致朗)。出演:アンディ・ラウ(劉徳華)、ジャッキー・チュン(張學友)、ショーン・ユー(余文樂)、エディソン・チャン(陳冠希) 。【公式サイト】

現在公開中。10月9日に観てきました。

マフィアの大ボスであるホン氏(アンディ)の命が狙われているという情報が入った。手をくだしに来るのは若いチンピラらしいが、黒幕の正体は不明。ホンの長年の相棒であるレフティ(ジャッキー)は怪しいやつらを前もって皆殺しにしようと手筈を整える。しかしレフティのような見境のないやり方では人の上に立つことはできないと考えるホン氏は、さらにその裏でレフティ直属の部下たちの行動を阻止。一見、仲良くイタリアン・レストランで食事をしている二人だが、そのあいだにも微妙なかけひきが繰り広げられることとなる。

一方、チンピラ青年イック(ショーン)とターボ(エディ)は、大物マフィアのボスを暗殺する役目を割り振られて心を躍らせる。しかし武器として与えられたのは、拳銃などではなくひとふりのナイフのみ。上の思惑どおり「捨て駒」で終わってたまるか、手柄を立てて生き延びて、いずれは黒社会でトップにのし上がるんだ、と決意を固める二人だったが……。

*

えーと、この新人脚本家の人は「腐女子」ですか? と言いたくなるほど、ホン氏とレフティ、イックとターボのあいだの空気が濃密(笑)。

監督さんも、この映画が第1作という新人さん。演出とかカメラワークとか、斬新で面白かったです。陰惨な話なんだけど、はっとするほどスタイリッシュな画面構成や、哀愁漂う美しいシーンが印象的でした。

役者さんも、香港映画界の重鎮2人と、今一番、上昇気流に乗ってる若手2人で、それぞれ貫禄とフレッシュさをかもしだしていて、なんだか物語の中の「のしあがってきた者たち」と「これからのしあがろうとする者たち」がそのままイメージ重なりました。

エディソンくんは、最近すごく頑張ってると思う。こなせる役の幅が広がってきたなあ。インタビューも、昔はぶっきらぼうな話し方だったけど、最近は自分の考えを丁寧に説明していて、なんだか大人になったねーってかんじ(いや、前に見たぶっきらぼうなインタビューは広東語で、最近見た丁寧なインタビューは英語だったので、ただ単にカナダ生まれの彼は英語のほうが喋り方に気配りできるってだけかもしれないんだけど)。

アンディは、とにかくカッコよかったよー。今までに見た作品では「トシの割に若作り」な役が多かったので、あんなに貫禄も出せるとは思わなかった(笑)。若手2人が、街の中を駆けずりまわっているあいだ、ベテラン2人はひたすらレストラン内で心理戦をしているんだけど、会話だけでものすごい緊張感があって、ほとんど動きがないのに全然画面がダレないのがさすが。

しかしながら、私がそう思うのは、アンディやエディソンくんに思い入れがあるからってだけかもしれず。うん、この人たちなら、別に何もしなくたって、画面に出ているだけで、私の興味は薄れないよ。ははは。一夜のできごとを淡々と追っかけていくこの映画は、観る側が能動的に感度を上げて「観る姿勢」にならないと、ちょっと大変かもしれない。

実は、この映画のストーリテリングにはある「仕掛け」があって、ラストのオチに向かっていろいろと伏線が張られているので、DVDが出たら、じっくり見直したいな。さまざまに解釈できる「オチ」であるような気もするので、余計に。メインの4人それぞれが、直接的に吐露することのない自分の思惑を胸に抱えて行動しているので、とにかく観る側がぐるぐる考えるしかないのですよ。

あと、「暴走しがちなジャッキー・チュン」と「その手綱を取ろうとするアンディ・ラウ」っていう図は、なんだか彼らの若い頃の共演作『いますぐ抱きしめたい』(1988年)を彷彿とさせるなあ、と思いながら観ていました。

関係ないけど、私が行った池袋の映画館では、作中でエディソンくん、ショーンくん、若手側ヒロインのリン・ユアンちゃんが実際に着用していた衣装が展示されていました。写真撮りたかったんだけど、誰もそんなことしてなかったので気後れしてできなかったー(涙)。別に撮影禁止じゃなかったみたいなんだけどなあ。まあ、ガラスのケースに入ってうしろからライト当ててたので、どっちにしてもあんまりきれいには撮れなかったかも。

ずっと前、この映画館が関東圏で唯一の『ラベンダー』上映館だったときには、場内のポスターから何から、熱心な金城ファンらしき人たちが、ばしばし写真撮ってたんですけどー。言いたかないが(私も含めて)、ファンの「あつかまし度」の違い?

Posted at 13:39 | 個別リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月20日

『チャーリーとチョコレート工場』

映画・テレビ

2005年のアメリカ映画。原題『Charlie and the Chocolate Factory』。監督:ティム・バートン。出演:ジョニー・デップ、フレディー・ハイモア、デイビッド・ケリー、ヘレナ・ボナム=カーター、クリストファー・リー他。
【公式サイト】

ロアルド・ダールの同名小説(邦題『チョコレート工場の秘密』)の映画化。この原作は、1971年にもジーン・ワイルダー主演で映画化されています。そのときのタイトルは『夢のチョコレート工場 (Willy Wonka & the Chocolate Factory)』。

原作準拠のところや細かいお遊びはとっても楽しめました。破天荒な工場内の風景やウンパ・ルンパのお歌とダンスは素敵だし、チャーリーの薄幸っぽくも健気な良い子っぷりも可愛いし、ジョー爺さんお茶目だし。

あと、「いけすかないガキども」のうちの女の子2人が、どちらもお人形さんのような人工的美少女で目の保養でした。もう1人、超ナマイキなゲーム小僧の子も、『Second Sight 2』に出演していた時代のトム・フェルトンくんに微妙に似ているように思えて(←なんかマニアックな連想だな)個人的には高ポイント。ほかの映画のパロディ的なシーンなどが散りばめられている遊び心もマル。

しかしながら、映画オリジナル設定の部分が全部、私には駄目でした。むしろ、観る前はその部分が一番楽しみだったのに。ジョニー・デップとクリストファー・リーが親子だなんて、すごいじゃないですか。ところが実際に目にしてしまうと、拒否感だけが残りました。

別に、映画と原作の違いを楽しめない人間ではないつもりだったんだけどなあ。『指輪』映画で、原作では50歳のおじさんであるところのフロド・バギンズを20歳かそこらのイライジャ・ウッドがやったことにだって、文句つけたことない私なのになあ。なのに、ジョニー・デップが演じる、原作本の挿絵よりちょっぴり若造なワンカさん(敢えて字幕のようにウォンカさんとは言わぬ)は、受け入れられませんでした。

ジョニー・デップの演技自体は、すごくよかったと思うんですが。作品ごとに、存在そのものが全然違う人みたいになるよね、ジョニー・デップは。こういう人を、真の役者というのでしょう。うーむ。

何が嫌って、私の心の中のワンカさんは、映画の中で描かれていたような子供の頃のトラウマなんて、もしあったとしても、ゴールデン・チケット企画を考え付いて他人を自分の城に迎え入れる決心をした時点では、自力で乗り越えているはずなのです。すべてを達観して突き抜けて、心の安定を得てああいう奇矯な非常識人として完成されていたはずなのです。だから原作のワンカさんは、映画の中での彼がチャーリーの家族と最初に対面したときみたいな、ああいった態度は取らなかったでしょう?

私の心の中のワンカさんは、チャーリーごときの言葉で動揺したりスランプに陥ったり、人生の転期を迎えたりはしないのです。もう、とにかく「悔しい! ワンカさんはあんな人じゃないのに!」と歯噛みをしながら映画館を後にしましたことよ。

大体、『チャーリーとチョコレート工場』の主人公は、チャーリーなのに、なぜそこで、「ワンカさんの人生の物語」を挿入して、ワンカさんに人間的な弱点を設定したり、彼視点のビジョンを導入する必要があるんでしょうか!? ワンカさんは、ワンカさんは、少なくともチャーリーに出会った時点では、もっともっと達観した「オトナな変人」のはず!

……もしかして、「作品の目指すところ」が変わってしまったのが、拒否感の原因なのかしら? テーマが変わったら、その他の表面的なディテールがどんなに原作準拠でも、それはもう私にとっては「原作の映像化」ではなくなってしまうということなのかしら。だって今までの経験からして、原作付きの映像作品でディテールがどんなに違っていても、作品の中核の部分がちゃんと中核のままであれば、よっぽどでないかぎり私は満足するのです。『ハウルの動く城』のときのもやもやも、結局はそれだもんなあ。最初から「二次創作」、「パロディ」だと思っていれば、受け入れられたのかも。ハウルにしてもこれにしても、映像作品としては、とても面白く鑑賞したものね。

ところで、私が行った映画館では、上映中にチョコレートの香りを流していると書いてあったんだけど、残念ながら隣の席に座った人がずーっとチキン・ナゲットやフライド・ポテトを食べていたため、そっちの匂いにかき消されてさっぱり感知できませんでした。

【10/25 追記】
原作本をざっと読み返してみました。えーと、上の感想だと、私が不満を感じたのは、ワンカさんの「いい人」の部分がなくなっているから、とも取れそうなんだけど、むしろ原作のワンカさんの「毒」が、映画では薄まっているところが私には違和感だったのかも。

映画のウォンカさんだと、「彼は子供時代に親との関係をうまく築けていないので、親に猫可愛がりされてるガキに冷淡なのはその後遺症なのよ」みたいなエクスキューズが与えられてしまっているのだ。

だからそのトラウマが解消されたときには、映画のウォンカさんはソフトでイノセントな、人の言うことに聞く耳持った人になってしまう。原作のワンカさんは、たとえばチャーリーの家族に対しても友好的ではあるけど、最後の最後まで人の言うことなんか聞いちゃいない独善的に突っ走る人だよね。

もっと、あっけらかんと、なんの屈託もなく、トラウマのせいなんかじゃなく、バッサバッサと確信犯でスポイルされた子供たちとその親を切り捨てて奈落の底に突き落としてほしかったの! ファミリー映画では無理?

まあ、原作を念頭におかなければ、よくできた映画ではあります。

Posted at 14:43 | 個別リンク用URL | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年10月30日

LIBERA Japan Tour Autumn 2005

音楽

イギリスの少年合唱団「Libera」のコンサート行ってきました。文京シビックホールにて、10月30日午後2時開演。2度目の来日ツアーの最終日。

パンフレットが販売されていなかったので(最近発売されたばかりで会場にも置かれていた写真集を買わせるためだろうか?)、当日会場では曲目の書かれたものがなかったのですが、日本側の公式サイトに曲目リストが掲載されていたので、忘れないようにメモしておきます。

【曲目】
《First Half》 
1. クリエイター/Creator
2. リベラ/Libera
3. アンジェリス/Angelis
4. オールウェイズ・ウィズ・ユー/Always with you
5. シング・フォー・エヴァー/Sing for ever
6. アニュス・デイ/Agnus Dei
7. アヴェ・ヴェルム/Ave verum
8. ラクリモサ/Lacymosa
9. フエン・ア・ナイト/When a knight won his spurs
10. ロクス・イステ(サンクトゥス)/Sanctus

《Second Half》
11. 自由への翼/Wings of a dove
12. アヴェ・マリア/Ave Maria
13. ミステリウム/Mysterium
14. フエン・アイ・サーヴェイ/When I survey the wondrous cross
15. サルヴァ・メ/Salva me
16. 自由/Adoramus
17. サクリス・ソレムニス/Sacris solemnis
18. 永遠/Sempiterna
19. 生まれくる日/I am the day

《アンコール》
リベラ/Libera

最初に暗いステージの中央に古いメンバー2人が立ち、低音パートで短い導入曲("Creator")を歌ったところで、舞台がライトアップされてほかのメンバーがステージ左右からしずしずと登場し、彼らのテーマソングとも言うべき "Libera" になだれ込んだ時点で、なんかじわーっと涙が(笑)。

Liberaの子たちのトレブルは、きちんと訓練を受けた歌い方ではあるけど、声質はみんな、80年代のアレッドくんなんかと比べると、明らかに線が細いと思うのです(ボーイソプラノとしてはこちらが普通で、アレッドくんの声が特殊なのですが)。でもやっぱり、一過性の「今しかない」声を持つ少年たちが、これだけ揃って目の前で一心に歌っているというのは、こう、ぐっと来るものがあるなあ。それに私は、ロバート・プライズマン(舞台の左端のボックス内から頭と手だけ出して指揮してたのは彼だよねえ?)の書く曲が好きだからな。

ボーイソプラノの声にシンセやパーカッションを重ねたり、キリスト教音楽をポップス調に仕上げたりという、音の作りの面白さがLiberaの特徴だと思うのですが、今回のコンサートでは、一部の曲で年長メンバーの一人が木管楽器を吹いていたのと、女性バイオリニスト(コンサート当日には紹介がなかったけど、Fiona Pearsという人。かっこいい演奏でした!)が参加していた以外は、多分ほぼカラオケ。英国公式サイトにある、バックバンドを従えた過去のライブの動画ファイルがクールだったのでちょっと期待していたのに残念だ。

白いローブのフードをかぶったり下ろしたり、曲の途中で移動してフォーメーションを変えたりといった演出が、まるで「おゆうぎ」のようで可愛かったけど(年少の子とか、微妙にヨロヨロしてるし)、果たして本当に必要だったのか。プロモーション・ビデオでくるくる並び方を変えてるのと同じ動きを、ライブでもやってるとは知らなかった(笑)。S席だったので、場所は悪くないはずなんだけど、メンバーの並び方によって時々聞こえ方が「あれ?」って瞬間がありました。マイクの配置のせいかなー。それとも、もともと聞こえ方の面でもああいう演出なのか?

贅沢を言うなら、本当はもう少し、小さいホールで聴いてみたかったです。それなら、歌いながらステージ上で多少移動してもそんなに違和感なかったと思うし。せめて室内楽向けのとことか。イギリスからこれだけの人数を呼んでしまったら、そこそこ大きい会場でたくさんお客さんを入れなければ採算取れないんだろうとは思いますが、生で聴いてみて、やはり本質的にこの子たちは「聖歌隊」なんだなという思いを強くしました。たとえシンセばりばりでライトぴかぴかのステージでも、チャペルの空間が似合う音楽なのだ。

当日、会場でCDと写真集を両方とも購入した人は公演後のサイン会に並ぶ整理券がもらえたのですが、私はパス。正直、阿漕じゃのう……と思いました。だって、CDも写真集も、熱心なファンなら、とっくに買ってるはずでしょ。それでも、どうしてもみんなのサインがほしい人は、ダブリで買えってことじゃん。って、私は写真集を買う気はまったくないのですが。ちょっと前に出ていた最新CDはコンサートの帰りにHMVで買ったよ(←駄目ファン)。

あと、曲の合間に、メンバーの1人ががちがちのイギリス英語でMCをやってくれたんだけど(曲の説明のほか、みんな近い地域に住んでるけど学校は違うんだよとか、最年少はあの子だよとか、このローブはぼくたちのシンボルみたいになっちゃったよねとか)、通訳がつかなかったため、お客さんの反応が悪くてかわいそうでした。通訳つけてあげればよかったのに。

Posted at 23:40 | 個別リンク用URL | コメント (2) | トラックバック (0)

2005年10月31日

2005年10月に読んだ本

読了本 | 書籍・雑誌

なぜだか『機動戦士ガンダムさん』に非常な衝撃を受けた10月でした。


ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』(柳瀬尚紀・訳/評論社,2005)
 賛否両論の新訳バージョン。私は旧訳(田村隆一さん)に馴染んでいたので、どうしてもそっちを贔屓してしまうが、これはこれでアリだと思う。ものすごく「柳瀬尚紀さんらしい」訳文でした。これについては、別に書くかも。【Amazon.co.jp】


ロアルド・ダール『ガラスの大エレベーター』(柳瀬尚紀・訳/評論社,2005)
 『チョコレート工場の秘密』のラストシーン直後から始まる続編。旧訳版のタイトルは『ガラスのエレベーター宇宙に飛び出す』だったかな。『チョコレート工場の秘密』と比べると、なんだか行き当たりばったりにとにかく突飛な展開をつなげたようなストーリー展開が子供の頃から少々物足りなかったのだが、とりあえず『チョコレート工場』を読んだら続けてこれも読んでしまうのが常。寝たきりだったチャーリーのおじいちゃんとおばあちゃんたちが、若返りの薬に目の色変えて常軌を逸してしまうところが、子供心に強烈だったことを思い出しました。【Amazon.co.jp】


妹尾ゆふ子『小説 ロマンシング サガ - ミンストレルソング 皇帝の華』(スクウェア・エニックス,2005)
 ゲームのノベライズ版。ただし外伝的なものらしいです。ゲーム自体をまったく知らないまま読んだので、どこまでがゲーム設定に基づく記述なのかはよく分かりませんが、違和感を覚えることもなく、純粋に小説として楽しむことができました。もちろん、元のゲームを知らないために汲み取れなかった部分はいろいろとあるのでしょうけれど。
 やはり私は妹尾さんの文章が好きだなあ、と思いました。描かれているものがすんなりと目に浮かび実感できるのと同時に、言葉そのものの妙や、重厚な部分と軽みのある部分とのバランスのよさを楽しむこともできる。
 物語の中に入り込んでいる自分と、文章そのものを味わいつつどこまでがゲーム設定なのだろうなどと考えている自分が同時に存在するということ自体が、そのまま、作中の皇帝たちが実際に経験した事実と、皇帝たちの前に出た詩人の唄に歌われ後世に伝えられていくであろう物語との関係に連想でつながったりもして。
 私が「異世界もののファンタジーが好き」というときに漠然とイメージしているものは、各キャラがそれぞれの思惑で動きそれが噛み合ってものごとが動いていく流れを、全体を見渡せない者たちのミクロな視点で描くと同時に、展望的に「歴史が作られていく過程」として描き、かつそのマクロな視点を持つ何者かもまた、なんらかの存在として描かれている……というような構造なんだな、というようなことを、読みながら物語とは直接関係のないところで漠然と考えていました。【Amazon.co.jp】


麻耶雄嵩『神様ゲーム』(講談社,2005)
 ラストで主人公が味わう、自分の目に見えていた世界が崩壊していくような感覚はいかにも麻耶雄嵩で、ファンの期待は裏切らない。後味の悪さも含めて。ただ正直、大っぴらに児童書として出されるとなんか納得行かないというか。子供が読むなとは言わないんだけど、大人向けに出版されてて子供がこっそり手に取るくらいの位置付けであってほしいような気がしますよ。【Amazon.co.jp】


小倉千加子『シュレディンガーの猫〜パラドックスを生きる〜』(いそっぷ社,2005)
 あちこちに掲載された短文をまとめたもので、かなり古いものもあり、1冊の本としてはけっこうバラバラな印象。なんかなー、読んでると、この人はとにかく「観察者」であり「分析者」であって、どんなことについても「当事者」の位置に自分を置かない人なのかな、というもどかしさがつのってくる。あと、尾崎翠関連の文章で、同じ著者の『「赤毛のアン」の秘密』で感じた違和感と同じものを覚えた。尾崎翠の晩年が実際にどのようなものであったかによって、彼女の作品に対する見方が変わってくるっていうのは、読者としては不幸なのではなかろうか。作品は作品として読みたいなあ私は。【Amazon.co.jp】


よしながふみ『愛すべき娘たち』(白泉社,2003)
 前に、よしながふみはいいと思うんだけど、かなりどぎつい描写が含まれる作品もあるという噂を聞いたので未読のものに手を出せていない、という話をしていたら、そういうのでない作品を教えてもらいました。連作短編集。うむ、なるほど、どのお話も名作である。あまりにも端整な名作すぎて、本当は目を逸らしているほうが楽な部分をえぐりすぎていて、読んでいると息苦しくなるほどだ。いろんな要因で歪んだ部分(歪まされた部分)を持ちながら、そこを矯正するのではなく、受け入れようとしながらしなやかに生きている人々の姿は、救いでもあるのだけれど。【Amazon.co.jp】


よしながふみ『こどもの体温』(新書館,1998)
 これも、『愛すべき娘たち』と一緒におすすめいただいた連作短編集。淡々と過ぎていく毎日の中にも、そのときどきの悩みや苦しみや葛藤があって、それでもやっぱり、毎日は過ぎていって……というのがすごくうまく切り取られていると思った。第1話で中1だった子が最終話で中3になっているのを見て、なんだか親戚の子の成長に気付いたときのようにしみじみしてしまったよ。【Amazon.co.jp】


よしながふみ『大奥』第1巻(白泉社,2005)
 連載が始まったときに、ネット上であれこれ話題になっていたので、単行本をすごく楽しみにしていました。おおお、面白い! こういうパラレルワールド設定のよしなが作品って初めてですが、なんかすごい作品になっていきそうな予感がします。【Amazon.co.jp】


佐々木倫子『Heaven? ご苦楽レストラン』全6巻
 現実にこんな人の下で働いたら胃に穴が開きそうですが、この漫画の舞台となっているレストランのオーナーの、すがすがしいほどにゴーイング・マイ・ウェイなキャラが素晴らしい。スタッフ一人一人も、なんとも個性的。ストーリー運びも佐々木さんの作品ならではの独特のテンポで笑わせていただきました。そしてあまりにもあっけないような、それでいてもうこれしかないような、第1巻の冒頭にきれいにつながる、巧いラストでした。【Amazon.co.jp】


大和田秀樹『機動戦士ガンダムさん さいしょの巻』(角川書店,2005)
 今頃になって初代ガンダムのネタ満載のこんな本が堂々と出るのもすごいが、そのネタをほぼすべて理解できる自分にも驚いた。【Amazon.co.jp】


今市子『幻月楼奇譚』(徳間書店,2004)
 『百鬼夜行抄』を読んでから、この作者さんのほかの作品も読みたいなと思っていたら、たまたま目につくところにあったし、雰囲気的にも『百鬼夜行抄』に似ているのかなと思ったので。CharaコミックスというのがBL寄りのレーベルだというのは、買ってから知った。でも、ほとんど気にならないくらいBL色は薄かったと思います。昭和初期の老舗の味噌屋の若旦那を主役とした連作短編集。『百鬼夜行抄』と同じく人外のものたちは登場しますが、人間ドラマにより重点を置いたかんじ。【Amazon.co.jp】

Posted at 23:31 | 個別リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年9月 | 最近 | 2005年11月 »


Generated by Movable Type  

All texts written by NARANO, Naomi.