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2005年11月12日

賛否両論の新旧チョコレート訳

書籍・雑誌

先日、ちらっと書いたのだけれど、映画版を観たのをきっかけにロアルド・ダールの『チョコレート工場の秘密』(評論社)を再読したのでした。夫が買ってきたので、最近出た柳瀬尚紀さんの新訳バージョンです。

そしたらまあ、予想どおりの「ヤナセ節」炸裂だったので、わははは、相変わらずじゃのう、と思ってAmazonを見てみたら、予想以上にカスタマー・レビュー欄が爆発していた(11/12現在レビュー数60)。特に、子供の頃に旧訳バージョンに慣れ親しんだ人たちの多くが、新訳に反発しているようです。

今年の春先に絶版にされたらしい1972年初版の旧訳(田村隆一さん)バージョンは、すでに復刊ドットコムで150票弱(11/12現在)を集めており、こっちのコメント欄でも、新訳への批判が散見されます。

まあでもねえ、まるっきり違う訳だからこそ、改訳の意味があるとも言えるわけで。同じテイストを求めるなら、旧訳の装丁変えて出せばいいことなんだし。白水社の『ライ麦畑』みたいに、新旧の両バージョン現役にしとけば一番よかったのに、とは思うけど。

英文学教授でもある柳瀬尚紀さんの翻訳は、よくも悪くもアクが強いんだよねえ。かつてアメリカ文学者で翻訳家の柴田元幸さんが、エッセイ集『佐藤君と柴田君』(佐藤良明さんとの共著)のなかで、


翻訳の快感は、自分の痕跡がどんどん消えていくのを目撃することにある。


とおっしゃっていたのですが、柳瀬尚紀さんのは反対に、「自分の痕跡」をガンガン残していくタイプの翻訳だと思います。そして、「オレの翻訳サイコー!」と思っていることを隠さない(ある意味、「日本人離れ」してるよね)。それに留まらず、いろんなところでほかの翻訳者を平気でこきおろす。

この辺がなあ。私は、柳瀬さんのこれまでの翻訳物や、翻訳絡みのエッセイを読んでいるので、もう「この人はこういうキャラなんだ。これが芸風なんだ」と思っちゃってて、いまさら驚きはしませんが、それでも正直、新訳バージョンの翻訳者あとがきで、田村さんの旧訳があからさまに貶されているのを読んで、いい気持ちはしませんでした。こういうのって、もっとさらりと、「私のポリシーで旧版とは異なる訳にしました」程度に留めるくらいがスマートなんじゃないかなあ。柳瀬さんにそれを求めるのは野暮というものかもしれませんが。

柳瀬尚紀さんの翻訳批判が心臓に悪いのは、攻撃対象となるのが原文読み込み不足や日本語の間違い、リサーチ上の怠慢など第三者にも容易に検証できる部分ではなく、もっと本質的かつ主観的な「言葉のセンス」の部分だからだと思う。

故・田村隆一さんだって、本業は詩人で、今と比べれば海外文化の情報入手経路が限られていた時代に数多くの翻訳を手がけた実績もあって、日本語の文章や翻訳という仕事に対する確固としたポリシーを持っていらして、そのうえであの旧訳バージョンが存在したのだと思うのですよ。そして、そこについてるファンもいたわけですよ。そのポリシーを踏みにじりファンの神経を逆なでするようなあの「あとがき」は、本当に必要だったのだろうか。あれがなければ、Amazonのカスタマー・レビューもあそこまではヒートアップしてないと思うぞ。

って、実際の本を見ていない人には何が何やらな話ですみません。

で、ここまで書いたら、私自身がどっちのバージョンを選ぶかということまで書かないとフェアじゃないかなと思うのですが。うーむ。

やっぱり、子供の頃に田村訳で刷り込まれているので、もともと私の判定はフェアじゃないのだ。はい、田村バージョンが大好きですとも。

柳瀬訳は柳瀬訳で、「アリ」だと思う。英語の言葉遊びなどを訳注に頼らず丹念に拾い出して日本語のダジャレに置き換えているところとか、あれはあれで原文に対して誠実に向き合っているし、ポリシー貫いてるんだよな。そして、全体的に文体が軽妙。初めっからこれしか選択肢がなければ、読者の反発は現状ほど顕著じゃないんじゃないかな。

ただ、原文ではそれとなく連想を促しているようなさらりとした洒落っ気を、オヤジギャグ的にベタであからさまな日本語ダジャレにされてしまうと、個人的にはちと興醒めするというか。もっと言えば、引っかかってしまって読みにくいというか。

たとえば、Veruca Saltという女の子の名前が、訳本では「イボダラーケ・ショッパー」になってるの。(「r」の1つ多いverrucaという単語が「いぼ」という意味だから「イボダラーケ」、salt(塩)は「しょっぱい」から「ショッパー」。)

それもひとつの見識ではあるんですが。でも名前の「音」や「字面」って、私にとっては重要です。ハリポタのドラコ・マルフォイが「タツオ・アクイ」とかにされてたら私、めっちゃ暴れますよ?(註:Dracoはラテン語の「竜」、Malfoyは一説によるとラテン語のMal〔英語だとbad〕とフランス語のfoy〔英語だとfaith〕から来ているらしい。)金城武くんだって、韓国の人に「キム・サンムさん」とか呼びかけられたら訂正するって言ってましたよ?(結局そっちへ連想が行くのか>私)

Verucaちゃんなら、たとえ綴りの似た変な単語があってもギリギリ女の子名として通用するかな、と思うけど、イボダラーケは一瞬ギョッとしません? というか、Verucaちゃんのあのアマアマな親が、一人娘にイボダラーケなんて名前をつけるとは思えません(笑)。

田村訳は、原文の言葉遊び的な部分はいったん脇において、読みやすさと日本語としてのきれいさを優先する方針をとったんじゃないかな。それでいて、物語自体のドキドキ感や、シニカルな部分は、きちんと残せていると思う。たとえばもし自分に子供がいたとして、どっちを与えたいかというと、ちょっと古い表現も出てはくるけど、田村訳かなあ。妙にテンションの高い「あとがき」も付いてないし。

あと、やはりこれは私の中に刷り込みが行われているせいだと言われればそれまでなんですが……田村訳の文章のほうが、登場するチョコレートが美味しそうに思えます。柳瀬訳は、才気走って原文の細部にこだわった言葉選びが行われている反面、かえってイメージされる美味しさが低減されているような。チョコレート工場のお話でチョコレートが美味しそうかどうかというのは、ひじょーーーに重要な問題ですよ!

Posted at 2005年11月12日 22:38



All texts written by NARANO, Naomi. HOME