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2006年2月 9日

譚[王路]美/編・著『譚夫人(マダム・タン)の欲深的香港の旅〜コンプリート・ガイドブック〜』

読了本 | 書籍・雑誌

新潮社、2002年5月刊。【Amazon.co.jp】

 ちょっとしたお出かけに着るチャイナドレスは、フランス製の高級生地を選んで職人に仕立ててもらい、靴はイタリア製の良質の革を選んで好みのデザインで職人に作ってもらった。行きつけの広東料理店では、いつでもメニューを無視して注文に応じてくれるコックさんがいた。既製品の洋服はフランス製もイタリア製もふんだんにあり、その他の品物も世界中の良いものが免税価格で気軽に手に入った。ケーキはふわふわ、ハムはイギリス製の舌もとろけるようにおいしいものがあった。私はそれが当たり前だと思っていた。

広東省出身の中国人の父と日本人の母のあいだに横浜で生まれ、子供時代の一時期を香港で暮らし、若い頃の大半を在日中国人として過ごし、現在は結婚してニューヨークに住居をかまえる著者による、思い入れたっぷりの香港紹介。

2部構成になっている本書の前半は、一般のツアーよりちょっとディープな滞在を体験したい旅行者向けに書かれた街歩きの指南書(情報は2002年時点のもの)。奮発してゴージャスに過ごすペニンシュラ・ホテルのひとときを語ったかと思えば、観光客用でないホンモノのチャイナドレスの老舗仕立て屋さんを訪れ(ものすごい具体的な着こなしアドバイス付き)、そうかと思えば伝統的手法で細工を施された竹の鳥かごが並ぶ市場の露店や現地の人たちが頼りにしている占い師などなども紹介。もちろん東西の美容術やマッサージ、中国茶や中国料理が楽しめる場所もしっかり載ってます。これはこれで、華やかな写真も満載で、かなり楽しめる。

そして読み進めていくうちに、“譚夫人”の心の中にある香港というのは、社会主義国になってしまった中国が失ってしまった東洋の伝統文化と、イギリスの植民地であったことによって培われた西洋の文化が巧みにブレンドされている、ものすごく洗練された「粋」な場所なのだなあ、ということが自然と理解されてきます。

そして著者と同年代で、さまざまな政情の変化を見ながら香港に育ち「東情西韻(東洋の情感と西洋の韻律の融合)」をモットーとするデザイナー、アラン・チャン(本書のカバーデザインも手がけている)との対談をあいだに挟んだあと、第2部のエッセイ群へ。

これがですね。非常に、興味深かった。1997年、香港がイギリスから中国に返還された当日の思いを克明に綴った「香港の一番長い日」を皮切りに、その後の香港の変容を、古きよき香港を記憶している者としての目でセンチメンタルに綴った文章が続きます。

中国国籍保持者であり、中華系民族としての自覚を持ちながら、一度も中国大陸で生活したことのない著者の目に映る返還前後の香港は、今までに読んだどの香港返還がらみの文章よりも主観的に思え、それでいてリアリティにあふれているのでした。

冒頭で引用した文章からも分かるように、この著者の香港時代というのは、かなり恵まれたもの(よく分からんけど、いくらなんでも香港在住者の誰も彼もがこういう生活できていたわけではなかろうと思うよ)だったわけで。そんな優雅な思い出の場所としての香港に、突如として立ち入ってきた中国勢力は、彼女の視点からは、とても粗野で粗暴なものとして描かれます。その一方で、香港人たちがみんな配布されたパンフを見ながらでなければ歌えない中国の国歌を、日本の中国人学校で教育を受けた彼女だけが、そらで全部、歌えてしまい、あまつさえ胸の内に自分でも予期せぬ誇らしささえ湧いてきてしまったり。そういう矛盾した思いも正直に書かれており、ちょっとしたエピソードに、ハッとさせられる。

変換後の香港について書いた文章では、東洋の真珠と謳われた愛すべき香港の街並みに段々と中国風の「下卑た極彩色」が増えていくことに対する哀しみとともに、中国大陸で農民をしていたような人々が香港の都会的なレストランへやってくることなどについての反感が、はっきりと浮き出てしまっていて、最初は読んでてちょっと鼻についていた。でも実際問題、著者のような経歴を持つ人の中にそういう感情が芽生えてしまうということも、紛れもない事実なんだろうな、とも思う。やはり、部外者による理解の試みという観点からは、こういう「本音の感情」の部分まで率直に書かれたものを読むこともまた、意味のあることかもしれない。

この本が出てから、さらに数年が経過した「いま」の香港を、“譚夫人”がいったいどのように見ているのかを、すごく知りたいと思った。最近は中国史全般に関する著書が多いみたいだけど、また香港に特化した本を作ってほしいなあ。

Posted at 2006年2月 9日 22:52



All texts written by NARANO, Naomi. HOME