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2006年2月14日

ロアルド・ダール『チョコレート工場の秘密』(旧訳版)

読了本 | 書籍・雑誌

田村隆一・訳、評論社、1972年9月刊。【Amazon.co.jp】

それなのに、毎日、雪のなかを、よろめきながら学校へかようチャーリー少年は、ウィリー・ワンカさんの巨大な工場の前を、通らねばならないのです。そして、いいですか。毎日、工場のそばまでくると、少年は、その小さな、とんがった鼻をヒクヒクさせながら、チョコレートがとける、あのなんともいえない、甘ったるい匂いをかぐんですからね。ときによっては、工場の門の前で、何分間も、じっと立ちどまったまま、まるでチョコレートの匂いを、食べてしまうみたいに、ふかぶかと、息をのみこむこともありました。

去年の春頃までは書店に並んでいたけれども現在は絶版、復刊ドットコムで159件(2006/02/14現在)の投票を得て復刊交渉予定の旧訳バージョン。

以前、柳瀬尚紀さんによる新訳バージョンの話を書いたときには、すぐに出せるところに旧訳版の本がなくて確認取れてなかったので触れなかったのだけれど、実は自分の記憶がたしかなら、いくら復刊投票が集まっても、以前のままで旧訳版を復刊するのは難しいんじゃないかなー、と思っていました。

今回、読み返してみて(結局、自分の本が発掘できなくて図書館で借りてきました)、やっぱり、というかんじです。現在の基準だとおそらくNGな用語がけっこうたくさん……。いわゆる「差別表現」と言われるような言葉ね。1972年だからなあ。そういったところだけ手直しして改めて出せるなら、一番いいんだろうけど、訳者さんが故人なので、本人の了承もらいに行くわけにもいかないし、いろいろ問題ありなのかもしれませんね。ほかにも、今の感覚で読み返すと、ちょっと苦しいかな、という文章がちょこちょこあった。

でも、すんごい好きなんだなあ。やっぱりなんか、こっちのほうがチョコレートが美味しそうな気がするよー。子供の頃の思い入れがあるからにすぎないと言われてしまえば、それまでなのだけれど。柳瀬センセイの新訳バージョンだって、決して悪くはないんだけど。むしろ、原文に対する忠実度とか、政治的な正しさ度とかを基準に評価するなら、おそらく柳瀬バージョンのほうが上なんだけど。

井伏鱒二さんが翻訳なさった『ドリトル先生』が、たしか「断り書き」付きで差別表現を含んだまま出版され続けているように、『チョコレート工場』も断り書き付きで復刊するわけにはいかないのかなあ。『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝・訳)と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹・訳)が同じ白水社で共存しているみたいに、『チョコレート工場』も評論社のなかで共存させてもらえないものかなあ。

ちなみに、冒頭に引用した段落、柳瀬さんの新訳バージョンではこうなってます。

しかも毎日、チャーリー・バケツは、雪の中をとぼとぼ学校へ通う途中、ウィリー・ワンカ氏の巨大な工場の前を通る。毎日、そこへさしかかると、小さなとがった鼻をつんと上へ向けて、とろけるチョコレートのすばらしい甘いにおいを、くんくんかいだ。ときには、数分、門の前でじっと立ちどまり、そのにおいを食べようとするかのように、深々と息を吸いこむ。

……なにほどの違いなけれど。

Posted at 2006年2月14日 00:02

コメント

うわ、ずいぶん違うものですねー。どちらも読んだことないんですけど、圧倒的に田村訳が味がありますね。これを小さいときに読んだ人はこれしか受け付けないでしょうねぇ。

投稿者 雪見 : 2006年2月16日 12:04



ストーリーそのものを楽しむという意味では、どちらでもOKだと思うし、言葉遊びや詩の部分の扱いなんかは、柳瀬訳のほうが個性的で凝っているので、最初に柳瀬訳を読んだ人は、むしろ田村訳を物足りなく感じることもあるかも……なんてことも思わないではないのです。

でも私は、田村訳を「小さいときに読んだ人」なので、どうしてもこっちが好きだな、と思ってしまいます。

投稿者 ならの : 2006年2月17日 00:16





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