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2006年3月17日

マクダル パイナップルパン王子

映画・テレビ

2004年公開の香港製アニメ映画。原題『麥兜菠蘿油王子/Mcdull, Prince de la bun』(公式サイト

監督:トー・ユエン(袁建滔)
製作/原作(物語)/脚本:ブライアン・ツェー(謝立文)
原作(絵)/美術:アリス・マク(麥家碧)


香港製のアニメって初めて観ましたが、子ブタの幼稚園児マクダルは今、香港では子どもにもおとなにも大人気のキャラらしいのです。絵本が原作で、テレビアニメになって、今回、初めて日本で公開された本作『パイナップルパン王子』(2001年)は、映画版第1作『麦兜故事/My Life as Mcdull』に続く映画第2弾。

えーと。なぜ、日本での紹介は映画2作目から?

……と、思ってしまったのは、なんだかこれ、どうにもこうにも、「番外編」ぽい雰囲気なんだよなあ。主役のはずのマクダルより、サブタイトルになってる“パイナップルパン王子”のほうが断然、画面に出ている時間が長いんですけど。こういうのって、大前提のお約束として「マクダル」シリーズのレギュラーなキャラや定番パターンを知っている人が、その上で楽しむためのものなのでは。

とはいえ、面白くなかったわけでは決してなく。誰にでもお勧めできる面白さではないにしても。一緒に観た同居人A氏は、ただ一言、「ものすごく香港映画らしい作品だと思った……」と語ったのちは、一切感想を述べませんでした(笑)。

そう、いろんな意味で、とっても「香港」を感じさせてくれる映画ではあった。まず何より、ほわほわした可愛らしいキャラクターたちが動きまわる舞台としては不似合いにも思えるほど、細々と3Dタッチで描き込まれた、背景のあの街並み! ブタやカメや人間が共存する童話風の世界観にもかかわらず、妙に現金でリアリスティックなセリフ群。そのセリフのなかに、ものすごい勢いで挟み込まれる、下町の中華料理メニュー(笑)。一見次々とコテコテのギャグを繰り出すなどサービス精神旺盛なようで、全体としてはなんだか行き当たりばったり風に、整合性など度外視で観客を突き放してくれる、アンバランスな構成。クラシックの名曲にとぼけた歌詞をつけ、時に実写映像までをも織り交ぜた、なんでもアリな「ごった煮」具合。

もうね、アニメだけど、これまで見てきたいろんな香港映画からイメージしていた「香港」が、そのまんま詰まってるってかんじだったのですよ。とにかくまずは、その点が面白かった。香港って、日本のようにアニメーションの手法が確立してなくて、アニメに携わる人の数も少ないらしいんだけど、その分、今はこれまでの実写映画のやりかたを応用しつつ手探り状態でやりたい放題やっちゃってるのかなー、なんてことを、ちょこっと思った。

子ブタのマクダルは、香港の猥雑な街の片隅でお母さんブタのミセス・マクとアパート暮らし。「将来のために」と、のんびりやなマクダルのお尻を叩いてしきりに賢い子にしようとする、教育ママ的な面もあるお母さんだけど、母子で身を寄せ合って、仲むつまじく暮らしています。

旅先でむずかるマクダルにお母さんが話して聞かせたのが、「パイナップルパン王子」の物語。(パイナップルパンというのは、メロンパンそっくりの形状をした、香港ではどこにでもある菓子パンらしいです。以前読んだ『食べ物が語る香港史』(新潮社)でも考察されていたので、「おお、あれか!」と思いました。)

幼いパイナップルパン王子は、あんまり頭も要領もよくなくて、城を離れている隙に王子に成りすました従者タルトに地位を奪われたまま、下町で一般市民に身をやつして大人になってしまいます。そして若い娘ブタと恋に落ちますが、やがて「普通に幸せ」な生活に焦りを感じ、王家の者にふさわしい冒険人生を求めて出奔。

そのいなくなった王子が実はマクダルの父親で、恋人の若い娘さんというのは若き日のワタシ……というのが、シングルマザーであるミセス・マクの主張です。でもそれは果たして、本当なのか嘘なのか。お母さんのお話を聞いた幼いマクダル自身、決してそれを額面どおりに信じているわけではありません。マクダルが生まれる前、実際のところ何があったのかは、おそらく永遠に、ミセス・マクの胸中に仕舞い込まれたままなのでしょう。

ただそれでも、旅先の海を見下ろす草原でパイナップルパン王子のお話をしてくれるお母さん自身の「何か」は、確実にマクダルにも通じているのです。そして、それと同時に、子ども心にも迫り来たのは、圧倒的な「お母さんとぼくは、別のブタ」という実感だったのではないかとも思えるのです。

「パパは“過去”にいた。ママは“未来”にいた。僕だけが“現在(いま)”にいる」……というマクダルのモノローグの、なんと孤独で寂しく、なんとたくましく前向きなこと。ちょこなんとたたずむ、いたいけな子ブタ(しかも幼稚園児)のくせに。そう、たとえ大好きなママとでさえ、共有できない世界はあるのです。自分の「いま」を生きることができるのは、自分しかいないのです。うーん、シビアだなあ。香港の子どもは、こんなの観てるのか。

なんかなー、個人的な経験がよみがえってしまって、けっこうずずーんと来ましたわ、これ。私も、父親が仕事の関係で日本にいないことが多かったので、生まれてから母親が死ぬまでのあいだは、かなり母子密着型の親子やってましたからな。幼い時期の、母親との二人旅、その旅先で普段は厳しい母親が見せる、いつもとちょっと違う顔……っていうのが、今、思い返すとなー。終盤、誰もいない草原で、マクダルとママが二人っきりでダンスするシーンで、なんかわーーーっと涙が。別に全然、「泣かせ」の演出をしたシーンじゃないんですけど。

ああ、アレですよ。『ブエノスアイレス (春光乍洩 Happy Together)』の、故レスリー・チャンとトニー・レオンがキッチンで踊るシーンみたいに。あまりにも曇りなくハッピーなシーンは、どこか哀しくて寂しい。いやその、マクダル可愛いし、お気楽に鑑賞すればいいんだと思うんですけどね。

それにしてもやっぱり、このいきなり2作目からの日本公開っていうのは、ちょっとムリがあったのではないかなあ。私は、映画を観る前に『春田花花幼稚園 マクダルとマクマグ』(原作絵本シリーズからいくつかエピソードを選んで翻訳したらしいもの)を読んでたので、ある程度は馴染みのある世界だったけど、いきなり観た人はどうだったんだろう。上映前に第1作『My Life as Mcdull』(邦題は仮題で『マクダルの話』)の予告編も流れたので、そのうちこちらの公開もあると思われ。早くしてね。

Posted at 2006年3月17日 21:35



All texts written by NARANO, Naomi. HOME