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2006年4月27日

嶽本野ばら『ツインズ/続・世界の終わりという名の雑貨店』

読了本 | 書籍・雑誌

小学館、2001年12月。【Amazon.co.jp】

この作者の最初の小説単行本『ミシン』で表題作の前に収録されていた中篇「世界の終わりという雑貨店」の、その後の話。充分に美しく完結していた前作(ちなみにこれは私にとって初めて読んだ野ばら小説だったため、けっこう思い入れがあります)の結末から、どのように続編へと展開させるというんだ? と戦々恐々で読み始めました。

読了後の印象をひとことで言い表すならば、“過剰”。もっと俗っぽい言葉でいうなら、“てんこもり”?

えぐいところは徹底してえぐく、救いのないところは徹底して救いがなく、センチメンタルさは哀しい滑稽ささえ感じさせるところまで突き抜けており、物語の本質にとって重要でないところは豪快なまでに“お約束”を踏襲することでどんどん進めてしまう。そして前作のヒロインがお洋服に向き合うときの気持ちを「矜持」と表現していたのと同じく、本作でも、登場人物たちの口からはお洋服と対峙するときの熾烈なまでの心構えが説かれる。

前作では“こちら”と“あちら”のあいだで迷って宙ぶらりんなところで置いてけぼりを喰らったまま凍結されていた主人公(その宙ぶらりんさが儚くも美しかったわけですけれど)が、苦しむことになるのを分かっていながら自発的に自分の居場所を“あちら”と定め、新たに知り合った“存在の双子”たる少女と共に外部とのつながりを断って閉じこもってしまう。それは世間的には破滅と見なされるのだろうけれど、「矜持」をもって行われた選択は、そのような横槍をはねのけてしまっている。これはこれで、グロテスクだけど美しいのかなあ。

主人公の俗世での経歴には、作者自身を彷彿とさせる要素が多々あるけれど、現実の作者はおそらくは“あちら”側に惹かれるメンタリティを持ちつつ、今でも“こちら”側に留まっており、“こちら”側の私たちに通じる言葉によって作品を供給してくれ続けているわけなので、この主人公がたどった道は作者にとって、どうしても書かずにはいられなかった「かつてあり得た(これからあり得る?)自分のもうひとつの未来」なのかもしれない。

個人的には、痛みを抱えつつ“こちら”側に留まる可能性も半分くらい残された、前作の透明な余韻を大切に取っておきたかった気持ちもあるのですが。

Posted at 2006年4月27日 10:03



All texts written by NARANO, Naomi. HOME