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2007年4月 2日

中島義道『働くことがイヤな人のための本』

読了本 | 書籍・雑誌

働くことがイヤな人のための本

新潮文庫(2004年5月刊)/親本は日本経済新聞社(2001年2月)。
【Amazon.co.jp】

とても「なつかしい」ものに再会した気がしました。14〜15年ほど前、実際にコンスタントに働き始める前の私が考えていたのは、まさにこういうことだったのだ……! と、目の前が開けたかんじ。もやもやとしか感じ取れていなかったことを、ものすごく整然と、すっきり言語化してもらえた爽快感。

反面、結局これを読んだって、労働すること、人の世で生きていくことにまつわる辛い側面の輪郭がはっきりするだけで、辛さが軽減されるわけではありません。ただ、それをスルーして、努力によって前向きに「よかった探し」をしていくだけが、道じゃないだろっていう。理不尽なことに理屈をつけようとせず、理不尽なもののまま、あるがままに受け入れて、別の評価軸を追求していくこともまた、ある意味、救いになりうるし、動けずにいる身体を後押しする原動力になりうるのだ、という――すみません、私が要約すると、すごくバカっぽくなりました。分かったような気がしているだけで、実はまったく分かっていないのかも。

ちなみに、申し訳ないのですが文庫版の巻末解説(斎藤美奈子)は、自分の理解にいまいち自信のない私でさえ、ちょっとびっくりするくらい、なんか違うと感じてしまいました。斎藤さんが解説文の中で紹介している本書の内容を読んでも「いや、そういうことじゃないような?」ってしか思えない。もともと私は、斎藤さんのファンでもあるわけですが、彼女の文章で、ここまで壮絶に拒否感を覚えたのは久々(前回そういうふうに感じたのは、斎藤さんの「ハリポタ」評を読んだとき)。

とはいえ、斎藤さんが中島センセイのような人に苛立ちや違和感を覚える気持ちもまた、私は理解できなくはないのです。というか、本来なら、むしろ私は立場的には、斎藤さんサイドじゃなくちゃいけないはずなんだよなあ。

つまり、中島センセイのような「哲学を専門とする大学教授」が提示する形而上のあれこれ(斎藤さんのいう「中産階級的な悩み」)に引っかかっていられるほど恵まれた(ヒマな)環境になく、さらに言えば理不尽は社会の問題として具体的に捉えていかねばならぬ立場にある、斎藤さんが言うところの「生活者」であるはずなのですよ私は。

そんな私が中島センセイの本を読んで「これこそが私がかつて悩んでいたこと」などというのは、実は非常におこがましいことではないのか。

斎藤さんはこの本を読んで、まず「なんだかグチャグチャした本だなあ。これではよけいドツボにハマっていくじゃんか」という感想を抱いたそうなのです。そ……そうなのか(汗)。私も、本当は「目の前が開けた! モヤモヤしていたことがすっきりと整理されてきた!」なんてことを、言っていては、いけないのかもしれません。

大体にして、生活者としての現在の私が「働くのイヤ」って思うときに、まっさきに浮かぶ理由は、もはや中島センセイがおっしゃるような、そんなことではなくなっているのに。

今、働くのがイヤな理由はねえ……。たとえば、

――などなど。どれもとても形而下っぽく、表面的で、世俗的なことばかりです。私は基本的にナマケモノなので、私程度の仕事でも疲れているし「イヤ」って思ったりしますが、もっと働いているしもっと疲れているけど「イヤ」と思わずにがんばっている人は、いくらでもいらっしゃるでしょう。

つまり、「仕事をすること」そのものに対する本質的なイヤさについては、今の私はすでに、押さえ込めている、ないし、この本に書いてあるような道筋を、ここまで理論整然とではなかったけれど、私なりにこの十数年でぐちゃぐちゃと紆余曲折しながら辿って、ある程度の折り合いはついているように思うのです。決して「私」じゃなくちゃいけないような性質の仕事ではないけれど。私はその他大勢の「歯車」の1つに過ぎないけれど。たまに「もっと面白い仕事をやりたいと思ったりしないの?」的なことを言われたりするけれど。やってる本人は、今の仕事もけっこう面白いと感じていたりするし。

それでも。かつて、この本に書いてあったような、斎藤さんには地面から足が3センチくらい浮いてると揶揄されそうなことをまさに「自分の問題」としてひしひしと感じていた私は、やっぱり今でも、どこかに存在するはずなのです。見過ぎ世過ぎのために黙々と(いや、時にぶちきれてわめきながら)働き続ける私のこの身体のなかで、虎視眈々と、表出する機会を狙っているのです。多分。この本に呼応したのは、《わたし》の奥深くに眠っている、そういう部分なのだと思う。

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2007年4月 3日

墨攻

映画・テレビ

2006年、中国・日本・香港・韓国
原題:墨攻/A Battle of Wits (公式サイト)
監督/脚本/製作:張之亮(ジェイコブ・チャン)
キャスト:劉徳華(アンディ・ラウ)、アン・ソンギ、范冰冰(ファン・ビンビン)、呉奇隆(ウー・チーロン)

酒見賢一の小説の漫画版(作画:森秀樹/脚本:久保田千太郎)の映画化。

上映初日だった2月3日に観たんですが、今頃の感想文です。すみません。

紀元前370年頃、戦国時代の中国。趙国と燕国の堺に位置する梁城は、趙により燕への進攻の要とみなされ、危機に晒されていた。住民わずか4000人の梁に対し、攻めてきた趙の軍勢は10万人。

そこへ現れたのが、革離(アンディ・ラウ)という男。「非攻・兼愛」を説く墨家という思想集団に属する彼は、攻め入られて助けを求める人々のために各地に出向いて働く、守備戦術のエキスパートだった。戦いの総指揮を任された彼の多彩なアイディアで、梁城はなんとか敵の攻撃にも持ち堪える。

しかしいったん希望が見えてくると、梁の支配層は、革離(というか墨家)の「戦いの目的は、自らが生存の危機に晒された場合の防衛のみ。こちらから理不尽な侵略・殺人をしてはならない」という思想を、「婦女子の道徳」、「国の繁栄を妨げる考え方」として見下し、さらには革離が民衆に熱狂的に支持されはじめたことを危惧して排除にかかる……。

やー、なんか、期待値を大幅に越えて、すっごい面白かった!
脚本が、予想以上にしっかりしていて驚いた。全体的に画面は地味〜なんですけど。でも、ストーリーの主旨からすると、これは整然とした美しい画面であってはいけないんだ。

そう、これは、とても面白いんだけど、苦いお話でもある。

前半の、革離が梁を守り抜くところでも、その巧みな戦術を繰り広げるさまの面白さに引き込まれる一方で、彼が自分の仕掛けた戦術に嵌って死んでいく趙の軍人たちを目の当たりにして悩みはじめたり、降伏して武器を捨てた敵まで殺戮してしまう梁のやり方にショックを受けたりと、単純明快なヒーローになりきれない部分が描かれて、遠くのほうに暗雲が見えてるかんじ。

で、後半からは、せっかく知力の限りを尽くして守ってあげた梁から革離は手酷い裏切りを受け、守備であろうが侵略であろうが「殺し合いによって国や人同士の力のバランスを変えていくこと」そのものの矛盾や理不尽が噴出して、やり切れない話になっていく。また、墨家の思想である「兼愛=平等に愛すること」を実践してきた革離が、ある特定の人に惹かれてしまったとき、取るべき道はどこにあるのか。

結局、思想家である革離にも、すっきりとした答えは本当には見えてなかったんじゃないかな。でも、己の道徳に従って、目の前のことをやっていくしかないんだ。

アンディ・ラウは、ほんと、40代に入ってからのほうが、ギラギラしたところがなくなって、断然いいかんじだよなあ。すっきりしてる。小汚いボロ服を着込んでヒゲを生やし、私利私欲を捨てた流浪の思想家が、こんなに似合って、しかもカッコいいなんて。

しかし、ヒロインに笑いかけるときの表情だけが、ボロボロのドロドロな格好をしていても、なんか突然「スマートでダンディでなおかつ熱い、いつものアンディ」オーラ全開になっちゃうのは、どういうわけだ(笑)。私の目に見えてるだけか?>オーラ。

あとで、改めて原作小説を読んだら、小説での革離はもっとずっと冷徹なキャラだったのですが、アンディならやっぱり、これくらいの甘さが残っていてほしいような。というわけで、これはこれで、悪くないのではと、思います。

それと、革離の考えに共鳴する(そしてそれゆえに、のちに上から睨まれて悲惨なことになってしまう)弓矢の名手、子団を演じていた、ウー・チーロンという台湾の俳優さん。どっかで見た顔……と思ったら!!!

昔、日本ではニッキー・ウーという名前で認識されていた人でした!!! 

1990年代に金城武と映画で何度か共演していた人で、独特の雰囲気が印象に残っていました。台湾で徴兵されてキャリアが途切れているあいだに身体を壊して引退したと以前どこかで読んで、残念に思っていたのですが、数年前から復帰していたのですね。知らなかった! 気付いたときは、心から「よかったなあ」と思いました。これからもがんばってほしいな。

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2007年4月15日

更新情報と最近の私

音楽 | サイト管理 | 近況

先日のお知らせ(削除済み)ではネット落ちするかもと言ったのですが、なんだか現在、身動きが取れない状況になってしまっています。

仕事の受注だけは、最初に身辺が慌ただしくなるかもと思った時点でストップしたので、中途半端に空いた時間で、ここ2〜3日はちまちまとサイトのメンテナンスをしていたり。

というわけで、引き続き、いつなんどき音信不通になるか分かりません。メールや書き込みをいただいても、反応が遅くなるかもしれませんが、悪しからずご了承くだされば幸いです。


さて、ちまちまとあちこちを手直ししつつ、とりあえず大きな更新としては、最近の私が惚れ込んでいる中華系マレーシア人ミュージシャン、光良(マイケル・ウォン)のコーナーに、『第1次個人創作專輯』というアルバムの感想を追加しました。

……って、こっちのブログを見に来てくださっている方々には、ものすごく需要がなさそうな更新だな。

でもちょっと思うところあって、試験的に今後、そこそこボリュームのある更新については、この雑記ブログにも記録してみることにしました(いつまで続くか知らんが)。それでこそ「雑記」だ!


そうそう、ついでに弁解させてもらうと、前にも書いたかもしれませんが、私にとって「愛は分割されるものではなく、増殖するもの」なので、「光良コーナー」なんてものがいつのまにか新たに登場しているからといって、アレッドくん金城くんへの関心が薄れたわけではないのですよ。
(↑先日、某所でうちのことを「筋金入りアレッド・ジョーンズ ファンのサイト」みたいに言っていただいたので、そのわりにはアレッドくんコーナーの更新がほとんどないことを、ちょっと気にしているらしい。ちなみに、金城くんコーナーについては、どうせ私ごときががあれこれ言わなくたって、ネット上には金城くんを語る言葉が溢れているんだしぃ……と開き直っているらしい。)

たしかに現時点ではちょっと、偏ったことになっているかも、とは自分でも思います。これまで、「好きな歌声を聴きたい欲」をアレッドくんで満たし、「中華系文化への興味を刺激されたい欲」を金城くんで満たす……という面があったのが、光良に出会ってから、いきなり両方が満たされる一石二鳥な状態になってしまったっていうのも、要因としては大きいのかなあ。うーむ。

ただ、これだけは断言しますが、そもそも、いまさらアレッドくん(ファン歴20年)や金城くん(ファン歴12年)を応援していない自分なんて、想像もできません。

そんなこんなで、とにかくネットを介してせっかく知り合うことのできた(あるいは、直接の知り合いではないけれど遠巻きにサイトの存在を通じて気に掛けてくださっていたかもしれない)アレッドくんファン仲間、金城くんファン仲間の皆さま、なにとぞ今後ともよしなに。

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2007年4月21日

遠い誰かのファンであること、そしてそれを表明すること 《1》

音楽 | サイト管理

えー。とりあえず、前々からネット落ちするすると言ってた件は、落ち着きました。通常モードです。とはいえ、通常モードということは、仕事状況もいつもどおりということなので、週明け以降、またまたここの更新は滞りがちになることでしょう(笑)。

さて、いまさらですが先週は、早々に音信不通になる気まんまんで、継続的に請け負っていた仕事もいったん抜けさせてもらってしまったので、気持ち的には不安定でありながらも、実際にネットにつながらなくなるまで久々に数日間、時間的には余裕のある日々を送っていました。BGMも久しぶりに、アレッド・ジョーンズです。どうも私は、仕事が詰まっていると、英語の歌を心穏やかに聴けないみたいなんだな(いっそアレッドくん、ウェールズ語オンリーのCDとか出してくれないものだろうか……そしたら仕事中も聴けるのに)。

それで、そうこうしながら、やっぱりちまちまとサイトをいじっており、17日にはこのあいだからずっと気になっていた、当サイト内アレッドくんコーナーにおけるCD等の紹介ページである、「散財促進委員会」の情報補完作業をおこないました。

どうもねえ、当サイト全体の中で、微力ながらも、最も世のため人のため、そして私のためになっているのは、この「散促」ページのような気がしているのですよ。すごくささやかなものですけれど。

アクセスログを見てても、検索ワードにはアレッドくん関連がいちばん多いような気がするし。

きっと、ほとんどは「そういえば20年ほど前に神童として話題になっていたあの子供は今、何をしているのかな?」なんて、ふと思い出して、軽い気持ちで検索サイトに彼の名前を入力してみた人たちなんだろうと思います。

でもそれで、うちのページの情報を見て、今でも彼が現役で歌いつづけていることを知りました、あるいは今でも入手可能な少年時代のCDがあることを知りました……みたいなメッセージを時折いただいたりすることもあるし。だから、ちょっとは役立っているかなあ、なんて。

そうそう、ウィキペディアのアレッド・ジョーンズの項目から来てくださる方も、ちょくちょくいらっしゃいます。いつからか、ここのページの「関連サイト」欄に、うちを挙げていただいているのね。どこのどなたが掲載してくださったのか存じ上げませんが、ありがとうございます。ていうか、どこのどなたが存じ上げませんが、このウィキペディアのアレッドくんプロフィールを書いた方、"Strictly Come Dancing"(2004年にアレッドくんが参加した英国のBBC放送による勝ち抜き社交ダンス・コンテストのチャリティ番組)までチェックしているなんて、“通”ですね!

……話が逸れました。とにかくそんなこんなで、あんな程度だけど、アレッドくんページは、私なりにちょっとだけ(本当にちょっとだけ)真面目に、「今の大人になったアレッドくんのことを知ってほしい」という意識で作っています。そのわりに情報が遅くてまばらなんですが。

アレッドくんが歌手活動を本格的に再開した2002年頃に、日本人ファンがみんなして集って最新情報を交換していた専用掲示板はすでに停止しているし、少年時代のアルバムを日本語で詳しく紹介してくれてたサイトの中にも閉鎖されてしまったところがあるし、こうなったらもう、たとえ細々のへなちょこでも、「古参サイト」となってしまっても、ずっとずっと続けていくわ……という意地めいた気持ちもないではありません。

通販サイトへのリンクだって、ちょっと他のページの場合とは感覚が違う。このブログで読んだ本の話題などを出すときには、該当する商品にリンクを張るのは別に、うち経由でそれを購入してもらいたいわけじゃなくて、あくまでも読み手が具体的な書影や書誌データを自分の目で見てくれたら話が通じやすくて便利かもしれないと思っているだけ……と常々言っているし、それは根っからの本心だけど。

アレッドくんページに関してだけは、心の奥底の本音を正直に言えば、売れてほしいの。単にCDのタイトルを記載してあるだけじゃ、ちょっと気になっただけの人はすぐに忘れてしまうかもしれないけど、そのまま通販サイトの商品ページにワンクリックで飛べたら、そのまま勢いでショッピング・カートに入れてくれる人だって、もしかしたらいるかもしれないでしょう? もうね、1枚でも多く、売れて!……って、思っていますよ。「買って、買って!」って、あからさまに言ってもカッコ悪いだけだって分かっているから、言わないだけで(ここで言っちゃったら駄目じゃん!)。

そして実際に、日本国内で売れたアレッドくんアルバムの、少なくとも何枚かは、私がこのサイトで紹介していたからこそ、存在を知られて、買われることになったに違いない……って、心の中でひそかに自負していますよ。その数枚程度で、アレッドくんに対する日本での総合的な認識度が目に見えて変わるはずもないんですけれどね。ええ、あまりにも微々たる応援活動です。

でもね。10代半ばの頃にアレッドくんを知って以来、30代半ばの現在までずっとアレッドくんの歌声の恩恵を受けつづけている私だけど、貧乏ヒマなしを地で行く自分自身の日々の生活の合間に、ファンとしてできることなんて、せいぜいそれくらいなの。

あとね。たとえば、一時期このまま「たまに歌うテレビ・タレント」くらいのポジションでやっていくのかなって雰囲気にもなっていたアレッドくんが、ついにレコード会社と契約を交わして本格的に歌手活動を再開したとき、私があまりにもあまりにも、自分のウェブ日記や掲示板で浮かれまくって長い文章を書き散らして盛り上がっていたのを見て、その盛り上がりっぷりに興味を引かれて、「それまでまったくアレッドくんのことは知らなかったけど、ちょっと聴いてみたくなった」とおっしゃった方も、当時、いないではなかったのですよ。

で、そういうふうなことを言われると、とにかく単純に、嬉しかったのです。私が盛り上がることで、他人様がアレッドくんに興味を持ってくれてしまうのなら、私はどんどん大っぴらに盛り上がって見せましょう! と思ってしまったのです。

そして、そういったことが原動力になって、今でも細々と、アレッドくんページに手を入れつづけているわけです。

さて。

なんで今頃、そんな自分自身にとってだけしか意味のないようなことを、つらつらと書いているのかというとですね。

去年の8月末から、当サイト内にこっそり新しく追加された光良コーナーについては、同じように日本ではあまり知られていない海外の歌手について語るページでありながら、ちょっと違う意識で作っていたなあ、ということに、先日ハッと気付いてしまったのですよ。ごく最近まで、具体的な自覚なかったんだけど。


えーと、めちゃくちゃ長くなったので、次回につづく(←更新滞るんじゃなかったのか)。

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2007年4月30日

2007年4月に読んだものメモ

読了本 | 書籍・雑誌

前回の記事の最後に「次回につづく」なんて書いたきり、そのままになっていますが(すでにもう、何を書くつもりだったのか、忘れかけていたりして←こらこら)、先に月末恒例の読んだものメモを出しときます。


岸本佐知子『ねにもつタイプ』(筑摩書房,2007年1月)
 一見、ぶっとんだ論理展開のようでありながら、なんだか段々(大変におこがましいことで恐縮ですが)「この人は私ですか」とも思えてくる、なんとも不思議なエッセイ集。とりわけ、子供時代の自分の目から見えていた、世界の得体の知れなさ、つじつまの合わなさと表裏一体の奇妙な符合、孤独感……みたいなものを、大人になってしまってから、こんなにリアルに文章で再現できてしまう人がいるなんて、と非常な感動を覚えました。
 とりあえず、私も「べぼや橋」の検索ヒット数アップに貢献してみることにする。べぼや橋。【Amazon.co.jp】


斎藤美奈子『それってどうなの主義』(白水社,2007年2月)
 “「それってどうなの主義」とは、なんだか変だなあと思ったときに、とりあえず、「それってどうなの」とつぶやいてみる。ただそれだけの主義です。”……だって。声高に反論してみせるわけでもなく、しかし違和感をそのまま放置するわけでもなく。『物は言いよう』なんかでも思ったのだが、この人は、こういうところが「うまい」のだよなあ。たとえ本当は旧弊な保守派の人々の神経を逆なでするようなことを言っていても、とにかく「搦め手」から攻めて、尻尾をつかませない。真っ向からぶつからないで、いつのまにか優位に立っている。そして言いたいことを言ったうえで逃げ切っている、という。こういった文章テクニックはぜひとも見習いたいものでございます(無理)。
 地方紙「新潟日報」から再録されたコラム群が、地域密着なかんじで新鮮でした。【Amazon.co.jp】


近野由紀『ダーリンは、マレーシア人』(三修社,2004年10月)
 日本で知り合ったマレー人の彼と結婚して、クアラルンプールに渡った著者の、国際結婚生活エッセイ。言葉や環境の違いに加えて、“常識”レベルからくつがえされる、現地の人たちとの習慣や感覚の違い。それでも、つらかったことについては、泣き暮らしていた頃もあった……と、さらりと書くに留めて、全体のトーンとしては明るく異文化体験を楽しんでいる毎日を綴っているところが、とても素敵。
 マレーシアで暮らし始めたからといって、自分が子供の頃から馴染んできたマレーシア式を奥さんに押付けるわけでもなく、「どちらかに合わせるんじゃなく、ふたりのやり方を見付けて真ん中になるようにしようよ」と言って、一緒に考えてくれるダンナさんも素敵。結局、国際結婚にかぎらず、どれだけ柔軟な思考でいられるかだよなあ、こういうのって。
 ところで、マレー系、インド系、中華系が入り混じる多民族国家であるマレーシアですが、私の場合、この国に興味を持ったきっかけがきっかけだったので、どうしても中華系の人たちに肩入れした視点で考えてしまいがちで、そうすると多数派であるマレー系をさまざまな局面で優遇する「プミプトラ政策」なんて、どうしてそんなものが、まかりとおっているんだろう……と、初めて知ったときから疑問に感じてしまったりしていました。この本では、マレー系である著者のダンナさんの意見が紹介されていますが、なるほど、そういう理屈で支持されてきた政策だったのですか。やはりガイジンの目で見ると納得は行かないのだが、いろいろ奥が深いなあ、マレーシア。【Amazon.co.jp】


松本美香『ジャニヲタ 女のケモノ道』(双葉社,2007年4月)
 実は、去年くらいから、オトナと呼ばれる年齢になった女性が芸能人のファンをやるときのスタンス……みたいなことについて、ちょっと考え込んでしまっていて、そういうテーマの本が目につくと、ついついチェックしてしまう。
 松本さんという方は、寡聞にして存じ上げなかったのですが、1970年生まれ(同い年!)の松竹芸能に所属する芸人さんで、ジャニーズのコアなファンとしても有名なのだそうです。この本では、すでに独自の文化が形成されているらしい、ジャニーズファンの世界について、一般人にも分かるように解説してくださっています。
 芸人さんなだけあって、一見、思い込み激しいかんじだけど、読んでいくと「ほらほら、こんなにイタいのよ」と部外者の笑いを取るためのネタとして、計算ずくで書かれていることが分かる、自己ツッコミ満載の文章。
 でも、だからといって、それが「ウソ」ってわけでもなくて。傍から見ればイタいって分かっていても、自分でもイタいと思っていても、やっぱりこういうふうに心が動いちゃうんだよねえ……みたいな。そしてやっぱり、根底にあるのは愛なのよ。たとえ、客観的には、どっかズレていても、愛なのよ。ジャンルは違えど、そして私の場合は実際には「おっかけ」に該当するような行動を取ったことなくても、心情的には身につまされるようなところがあったよ。【Amazon.co.jp】


柴田錬三郎『三国志〜柴錬痛快文庫』(2002年3月,講談社文庫/親本1952年1月,偕成社 世界名作文庫)
 金城武くんが、ジョン・ウー監督の「三国志」映画に、諸葛孔明役で出演することになったというニュースが3月に出て以来、今までまるっきりスルーしてきた「三国志」に関する知識を、手っ取り早く仕入れなければ……という焦燥感に駆られているのでした。もう、ほんとに、まったく疎かったのです。諸葛孔明って言われても、とっさに「えー、それって、中華まんじゅうを初めて作ったとされてる人だっけ?」ということしか思い出せなかったくらい。
 柴田錬三郎のこの本は、カバーの紹介文に「最高に面白く胸躍る名場面を1冊で楽しめる“はじめての三国志”」なんて書いてあるだけあって、さくっと読めて、それなりになんとなく、「あー、そういうお話なんですね」ということは、分かったような気になれるので、とっかかりとしてはよかったかも。
 まあ、いかにも「あらすじ読んでます」っぽいかんじではありましたが。すごいダイジェストなんだろうなあ、ということが、本来のストーリーを知らなくても分かってしまう。本書では、「赤壁の戦い」の決着がついたあと、(この後も劉備は)「百戦百勝、ついに大蜀の国を建立することができたのであった。」 という記述が入って、いきなりおしまいになっていますが、いくらなんでも、本当の「三国志演義」は、こんなんじゃないよねえ? その「ついに大蜀の国を建立」するまでも、もっといろいろ細かいエピソードがあるんだよねえ?【Amazon.co.jp】


漫画は、今月は1冊だけ。


清水玲子『秘密―トップ・シークレット』第3巻(白泉社,2007年3月)
 先月、2巻まで読んであまりに怖かったので、まだ3巻を読めていないと書きましたが、ついに読んじゃったよー。そして、やっぱり怖かったよー。【Amazon.co.jp】

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All texts written by NARANO, Naomi.