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2007年10月 6日

ハ・ジン『待ち暮らし』

読了本 | 書籍・雑誌

待ち暮らし

土屋京子・訳/早川書房(2000年12月)【Amazon.co.jp】

中国生まれの在米作家ハ・ジン(金哈)が英語で書いた小説(Ha Jin "Waiting", 1999)の和訳版。1999年全米図書賞、2000年PEN/フォークナー賞受賞作。ピーター・チャン監督が、金城武とチャン・ツィイーを起用して映画化するというニュースを見たので、目を通してみました。

真面目な軍医である孔林(クオン・リン)は、1960年代に親から命じられるまま故郷で紹介された淑玉(シュユイ)と結婚しますが、その後になって、勤務先の看護婦、呉曼[女那](ウー・マンナ)と親しく言葉を交わすようになります。ふたりは結婚の意志を持ち始めますが、ろくろく心を開きあった会話をしたことすらないのに妻として母としての務めは申し分なく果たしてくれる、淑玉を離縁することはできません。裁判官の前に出るたびに、離婚の申し立ては却下されてしまいます。

孔林が既婚者であるかぎりは、お互いあくまでも軍病院に勤める「同志」としてのみあらねばならず、ふたりっきりで病院の外を歩くことすら規定により許されないまま、1984年の到来を待ち続けるしかすべのない孔林とマンナ。夫婦の別居が18年間続けば、相手の同意がなくても離婚できると軍規で認められているのです。

その18年のあいだに、ふたりとも歳をとり、社会状況は変遷し(この期間にあの文化大革命が起こっています)、事態を打破しようと試みた行動は中途半端に終わり、彼らの関係が公然の秘密となってしまったために真面目に働いても職場での評価はさほど上がらず、後ろ指をさされ、進展のないまま両者間の空気には倦怠が混じり込み、かといって時だけが過ぎるなかで今さら心変わりもできず。

そんな年月を重ねてしまったふたりだから、ついに念願の満18年を迎えたあとも、そのまま単純な「そしてふたりはいつまでも幸せに暮らしました」的なエンディングにはなり得ない。

孔林という人は落ち着いた雰囲気のインテリで容姿にも恵まれた、傍目には素敵な人なのですが、基本的に「自分のやりたいことを追求する」よりも「他人から見てあるべき姿を保つ」ことに人生の比重を置いた、周囲に流されがちな人です。

決して悪人ではない。むしろ彼の置かれている環境においては珍しいほどに良心の人。大それた野望も、世間一般の価値観からはみ出すような欲望もない穏やかな常識人。そんな彼の唯一の「逸脱」が、妻帯者なのにマンナが寄せてくる好意を拒めなかったことでした。けれども互いの気持ちが確認できてからも、孔林の本質は変わらない。そこから自分で積極的に断固として何かを変えることができない。

だから、孔林とマンナが待ち暮らした18年は、決して清らかでまっすぐな純愛期間などではありません。常に保身と逡巡と諦念、そして生々しい打算に彩られている。その、ふたりの感情の動きが、ふりかかってくるさまざまな出来事と共に緻密にリアルに淡々と、それでいて容赦なく描かれているこの小説を読んでいるあいだ、私はずっと――


すーーんごくイライラ


していました(わーっ、すみません!)。文芸作品としては、この端正な筆致ときれいごとに終わらないリアリティは、高く評価されてしかるべきものなのであろうことは、ふだん娯楽小説ばかり読んでいる私にも、なんとなく(って、「なんとなく」かよ!)感じられます。

でも、この誠実なようでいて、実はその生真面目さ、融通のきかなさ故に、どっちつかずでズルい優男にもなってしまっている主人公を、映画版で金城くんが演じる予定っていうのは、ファンとしては正直キツいなあ。このままの雰囲気で映画化されるとしたら、なんかこう……カタルシスを感じることをあらかじめ拒絶されてるっていうか。

そしてまた、今回の映画化報道でいちばん気になっているのは、「ピーター・チャン監督ってば、3作も連続して金城くんを主役に使うなんて、どうしちゃったの!?」ということです。去年日本で公開された「ウィンターソング (如果・愛 Perhaps Love)」、今年の冬に中国語圏で公開予定の「投名状 The Warlords」、そしてこの「待ち暮らし」こと「等待 Waiting」

いったい何が、チャン監督に金城くん映画ばっかり撮り続けさせてしまっているの? そんなに監督にとっては、立て続けに「次はこんな役をやらせてみたい!」と、どんどんインスピレーションが湧いてしまうような魅力的な素材なんですか? いや、私たちファンにとっては、そりゃあ常に魅力的な人ですけど! 監督がそんなにも金城くんに入れ込んでくれるのは、そりゃあ嬉しいことですけど! でも、そんなことしちゃって、大丈夫なの?……とも思ってしまうのですよ、ピーター・チャン監督のお仕事をも愛する身としましては。特に理由はないのだけれど、なんとなく、恐ろしい(←おいおい)。

どんな映画になるんでしょうね。「ラヴソング」の頃のピーター・チャン監督しか知らなければ、もしかして原作の枠組みだけをもらって、「いろいろ横槍も入って翻弄されたけど結局は18年間の愛を貫き通したふたり」ってなポジティブ路線の後味よい映画にしてくれるのでは、という可能性も否定できなかったところだけど(いや、私は基本的に、原作の雰囲気をがらりと変えてしまうような映画化には反対なんですよ、本当は)。

「ウィンターソング」を観てしまった今となっては、主人公たちの決して美しくはないうじうじした側面をシビアに丹念に描き、人生における陽が当らず盛り上がらない部分を克明に提示して「世の中こんなもんだけど、それでも人は死ぬまでは生きていくのだ」みたいなかんじの、エンターテインメント性を極限まで削減した原作どおりの文芸映画になるんだろうなあ、と素直に覚悟しておくのが吉って気もします(ってそんな映画、涙を誘う美しい純愛物語が歓迎されがちなこの日本において、果たしてすんなり公開してもらえるんでしょうか? イヤな予感……)。

ああでも、「ラヴソング」も「ウィンターソング」も、共に「10年」がキーワードだったことを考えると、この作品でも原作の18年が映画版では10年に縮められていたって驚かないなあ、なんてことは、実はこっそりと思っていたり(笑)。

とりあえず、金城くんが今までやったことのないタイプの役であることはたしか。これで彼がまた新境地に到達してくれて興味深い映画になりますよう、ファンとしては心から祈っておきましょう。

(なんか後半、本そのものに対するコメントじゃなくなっちゃった……。)

Posted at 2007年10月 6日 23:22



All texts written by NARANO, Naomi. HOME