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2007年10月18日

リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

読了本 | 書籍・雑誌

扶桑社(2005年6月)【Amazon.co.jp】

読了本記録によると、去年の秋に読み終えていて、その時点ですでに「いまさら」感がただよっていたのですが(ベストセラーとして話題になったり、「本屋大賞2006」で大賞作品として選ばれたりしたのはもっと前)、さらにさらに遅ればせながら、そのとき思ったことを書き留めたものを発掘してみました。

すごい「ひねくれたイヤなひと」っぽい感想なので注意。まあ、ものすごく世間の評価の高い作品だったし、たまにはこんな意見があっても、バランスが取れるというものだと思って、あるいは、素直に読めなかったカワイソウな人なのねと思って、この本が大好きで感動のあまり落涙を抑えられなかったという皆さんも、さらっと見逃していただければ……と。


*

 
図書館で予約してあったリリー・フランキーのあのベストセラーが忘れた頃にようやく回ってきたので読んでみたら、ものすごくブラックな感情が胸の内で渦巻きはじめて、どうしましょうってかんじだよ。なんなんでしょう、これは。

ウェブでちょっと検索すると、どの人もこの人も「号泣しました」、「感動しました」、「親孝行がしたくなりました」と絶賛の嵐なので、こんな私は心が汚れているのね……と、さらに暗い気持ちに。いや、心が清らかじゃないことなんてもう、もとから自覚しまくりなんですが。

「泣かせ」に持っていくための道具立てはそろっているのになあ。少年時代を過ごした九州の田舎町のノスタルジー。世間一般的な意味でのお上品さはないけど確固とした高潔なポリシーを持つ人情派の肝っ玉かあさんである「オカン」。ヤクザ者すれすれなんだけど憎めないキャラの「オトン」。ぐだぐだに自堕落な時期を経て、なんとか都会で一人前の仕事ができるようになった「ボク」。

癌を患って闘病生活をしながらも、上京して甲斐甲斐しく息子の世話を焼くオカン。その周囲に広がっていく人間関係。そしてついに訪れる別れ――

普段は(よく知らんけど)露悪的なことを言いまくっているリリー・フランキーが、臆面もなく真面目モードになって母への愛を綴った自伝的小説であるというのも、キャッチーだよね。

面白いところは、すごく面白いんですよ。育った町の描写とか、オカンがおばさんパワーを炸裂させてるエピソード(ハワイ旅行でコンビニの袋を帽子に、みたいなの)とかは好き。あと、東京に出てきてからの、ボクの友達とオカンが仲良くなっていくあたりもいい。

でも、全体的には、なんだかどよどよとした読後感なんだよなあ。

若い頃から苦労ばっかりで、自分のための居場所を持たず、息子のために身を粉にして働いてきたオカン。東京で伝染性の病気になったボクのために、朝一番で新幹線に乗ってやってくるような、そういうオカン。そりゃあ、残された側としては、なんとも言えない気分になるさ。

でもなあ。そもそも、オカンの苦労の少なくとも半分くらいは、ボク(≒著者)のせいじゃん!

実質的に母子家庭状態で、経済的に苦しいなか大学に行かせてもらったにもかかわらず、ロクに通いもせず、だれだれした生活を送って借金しまくって留年してオカンの貯金を使い果たして。もちろん、そのことはボクだって重々、承知していて、心苦しく感じていることは伝わってくるよ。

でも結局「それでも息子を見捨てず自己犠牲的に面倒を見る感動的な母の愛」のほうにストーリーの焦点が行ってしまうところに、なんとなーく「ずるい!」みたいな感情が。

自分がどんなふうに生きていけばいいのか分からずにいる若き日のボクが、そんな場合じゃないのにどんどん自堕落な生活を送ってしまっても、最終的にオカンを頼ることができるのは、心の奥底に、無自覚だったかもしれないけど「それでもオカンだけはボクを見捨てない」という確信があったからじゃないのかなあ。

もしかしたら私は、そのことが、憎しみを感じてしまうほどにうらやましいのかもしれません。とても健全なかんじがして。まぶしいほどに。

私自身は、物心ついた頃から母が亡くなるまでずっと、「何かお母さんの気に食わないことをしてしまったら、自分は速攻で見捨てられるに違いない」と信じていたから。今は、さすがにいくらなんでもそんなことはなかったでしょう、と思っているけれど、それはあくまでも理屈としてで、今でも心の底から理屈抜きで分かってはいないと思う。

実母が、私に愛情を持っていなかったとは思っていません。自分の人生を犠牲にしてまで身を粉にするタイプの母親じゃなかったかもだけどね(そんなこと、してほしいとも思わないわけだけど)。そして、通夜の席で親戚のおばさんが私に向かって
「あんたのお母さんは、あんたのことを自分のおもちゃのように扱っているところがあった」
などと言い出すくらいには、ちょっと愛情の示し方がズレてたけどね。

そのことについてはもう、納得はしているんだ。たとえ本当におもちゃだったとしても、私はあの人にとって、とても大切な、最愛のおもちゃだったはずだ――理性で考えれば。

十代に入ったばかりの頃に一度、直談判で、
「お母さんは、よそのおうちのお母さんと比べて、実の娘に接するときの態度が、あまりにも冷たくないですか?」
と訴えたことがあってね。

そうしたら大変、理性的に淡々とした口調で

「お母さんは若い頃から、あまり長くは生きられないと思っていたので、他人様にあなたを育ててもらう場合にご迷惑をかけないように……ということを常に念頭に置きながら子育てをしてきた。しかし思ったほどには早死にしなかったので、その状態が、あなたが大きくなるまでずっと続いてしまった。そのためにあなたがお母さんとのあいだに距離を感じているなら申し訳ないが、突然には変われない」

という、明解な回答をもらったので、もうこの人に動物的にぎゅーっとくるような、温かみのある、理屈を超えた、なりふりかまわぬ母性の表現を求めちゃ駄目だ、そんなことをしたら、この人が可哀相だ……と思ったよ。実際、決して長生きしたわけじゃないし、気持ちはすごく分かるんだよ。今は。

うん、マジで、愛情がなかったとは決して思っていないのだ。ある程度、私が大きくなってからは「共通の趣味を持つ年上の友人」としては最高の相手だったと思うし(その趣味っていうの自体が、母の影響によるものだったんですけどね)。

大体、母親から子への態度がどうであれ、子から見た母親は、常に絶対的な愛情の対象になるんだよ。どんなことがあっても。だからこそ心を引き裂かれて苦しむ人もいるわけですが、私はそこまで追い詰められはしなかった。それだけでもラッキーだった。だったらもう、それでいいじゃん? 私は、私の母のことを、最後までほぼ「好き」という側に傾いた感情だけで見ていることができた。それって、とてもありがたい、感謝すべきことだよね?

でもやっぱり、こういう『東京タワー』みたいなお話を読むと、ついつい、ものすごおおくブラックな気持ちになるんだよね。どっかで、今でも割り切れていないのかしら?

実母に対しては、「同じ土俵に上がる前に逃げられた」とか「私のことを海のものとも山のものともつかぬヤツと思われたままに終わった」とか、そういう気持ちもあるからなあ。リリー・フランキーがああいう本を書けちゃったのは、なんとかやっていけそうな、いっぱしの大人になった自分をオカンに見届けてもらえたからこそじゃん! という醜い嫉妬が湧いてきたり。うーん、うーん。他人と比べても仕方ないんですけどね。そもそも私、この歳になってさえ、全然「いっぱし」じゃないし。

あるいは、もっと思いっきしフィクションとして技巧的に作りこんであれば、もう少し素直に読めてたかもしれない。記憶が昇華され、込められた思いだけがすくい取られ煮詰められ表現された、純粋な「作品」として評価できるものになっていれば。

親との関係および親の死なんてものに対する、センティメンタルな思いは誰しもみんな、他者とは共有しづらい自分だけのそれを胸の内に抱えていて、だけどふつーの人はそれを外には出さずにぐっと呑み込んで日々の生活を送っているのに、アナタは思う存分、ほぼナマに近いまま、いや、むしろおセンチさをさらに演出する方向で、げろろろろんと大勢の人の前に吐き出しちゃって、そりゃー、さぞかしスッキリできたことであろうよ……みたいな「ひがみ根性」が入っていることは自覚してますです、はい(と、いうわけで試しに上述のように自分もちょっと一部を吐き出してみた←こらこら)。

あと、正直ドン引きしたのが、オカンやボクが形成する世界の外にいる人たちへの、視線の冷たさですね。

オカンが躾をしなかったボクの箸の持ち方を笑った女の子、オカンのごはんを食べずに帰った女の子、オカンの癌が再発していたのに対応がクールだったお医者さん、臨終間際に「人の命や死に対して、完全に麻痺した」言動をとった(と、ボクに感じられた)看護師さんなどなど。

ボクにとっては薄っぺらい、本当に大事なものが分かっていない、馬鹿な人間たちかもしれないけれど。でも私は彼らに対する悪意たっぷりな書かれ方に、哀しい気持ちが湧きました。

こういう箇所でいたたまれないものを感じるのは、私自身が、たとえば母の闘病中にお世話になったお医者さんや看護師さんたちのことを、今でも強烈な感謝の念と共に記憶しているせいかもしれません。私たちだって、すごく事務的に対応されたりもしたけれど、それでも。

ある程度、感覚が麻痺してなくちゃ継続できないことって、あると思うんだ。そういう人たちのおかげで、麻痺していないボク(そして私)たちは、のうのうとナイーブなアフォリズムを口にしていられるんだよ。

Posted at 2007年10月18日 13:35



All texts written by NARANO, Naomi. HOME