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2008年1月 7日

2007年に出会った本と映画から

書籍・雑誌 | 映画・テレビ

どもども。家人の年始休暇も昨日で終わって、日常が戻ってきたので、そろそろと出てまいりましたよ。今年はさしあたり、ゆるゆるのんびり適度なマイペースを目指してみるつもりです。去年は(というか、思えばここ数年ずっと)、実生活上ではちょっと外部要因に振り回されすぎてたし、自分自身をも含めたあちこちに対して同時に「いい顔」しようとしすぎて実質的に破綻してました。己のキャパを知れっつーの。

そんなこんなでのんびりした結果、要らんことを考える機会が増えてつらつらと瑣末なことを書き綴るようになり、更新回数が増えるのか、はたまたあれこれと興味の対象が拡散してネットに割く時間が減り、これまでよりさらに寂しい更新頻度になってしまうのか、このブログに関しては半分なりゆき任せでGO!な気分ではありますが、少なくともいつだったかのように、生存報告にもならないくらい放置して「心配しています」とメールをもらってしまうようなことにはならないようにしますので(目標値、低すぎ?)、引き続き本年もよろしくお願い申し上げます。

さて。さっそくマイペースっぷり発揮で我ながらちょっとどうかと思いつつ、今さらながら、本当は年末に出しておきたかった、「2007年に読んだ本と観た映画のなかで特に印象に残ったもの」リストを挙げてみます。

最初、3点ずつにしようと思ったら迷いまくったので、結局5点ずつ。そもそも、大した数を読んでないし観てないので、ランクイン率がとても高くなってしまうのですけれど。

作品として高く評価している、ほかの人たちにも自信を持っておすすめ――というより、「自分にとって、ほかでもない2007年にこれを読んだ(観た)ことには大きな意味があった」というような観点で選んでいます。

だから、敢えて「ベスト5」とは言いません。順位もつけません。


《2007年に読んだものから5点》

J. K. Rowling "Harry Potter and the Deathly Hallows" (Bloomsbury)

何年もにわたって追いかけてきた「ハリー・ポッター」シリーズが、ついに完結。

前にも書いたように、決して手放しで絶賛しているわけではないのですが、やっぱり感慨深いものがありました。そして、これだけ世界中で盛り上がった物語の最後までをリアルタイムで新刊として楽しめて、ほかのファンの人たちと何年間も一緒にあーだこーだと語り合えたのは、それだけでも貴重な体験だったと思っています。〔関連記事〕


島村麻里『女はみんなミーハーです。』(河出書房新社)
島村麻里『ロマンチックウイルス―ときめき感染症の女たち』(集英社新書)

「そこそこの年齢に達した女性が、ある日いきなり、マスメディアに出ている情報だけをもとに、芸能人に思い入れしてしまう」という状況について、私のなかでは、正直いまだにあれこれ戸惑いや葛藤があります。でも島村さんは「現実の生活に支障をきたさず他人に迷惑をかけないよう定期的に自己チェックができるのならば、悪いことじゃない」派。考え方がいろいろ参考になりました。

結局まだ自分自身では、本当に納得のいく結論は出せていないので、常にスタンスがふらふらしていますが、今年もあれこれと自問しつつ、私なりにファンを続けてゆこうと思います。〔関連記事〕


諏訪緑『諸葛孔明 時の地平線』全14巻(小学館)

去年8月に完結した、三国志を題材とする少女漫画。この作品において作者が諸葛孔明に語らせている政治上の展望は、確実に「現代の価値観」に根差した理想論に基づいて構成されていると思うのだけれど、とにかく読み応えあったし、引き込まれて面白かった。絵柄も好み。〔関連記事〕


Cassandra Clare "City of Bones (The Mortal Instruments: Book I)" (Walker Books)

これは、去年のうちにちゃんと独立した感想文を書こうと思っていたのに、果たせなかったなあ。実は私は、クレアさんがアマチュア時代(職業ライターではあったので厳密には完全なアマチュアではないかもしれないのですが、フィクションを商業出版したことはありませんでした)にネット上で発表していた小説(現在はネット上から削除されています)が大好きだったので、プロ作家デビューが実現してとても嬉しい。〔関連記事〕


2007年に観たものから5点

『傷だらけの男たち』(2006年,香港)

原題:傷城/Confession of Pain
監督、製作:アンドリュー・ラウ
監督、脚本:アラン・マック
脚本:フェリックス・チョン
出演:梁朝偉(トニー・レオン)、金城武、シュー・ジンレイ(徐静蕾)、スー・チー(舒淇)ほか

映画では、これをトップに挙げないわけにはまいりません(笑)。すでに語りつくした感があるので、これ以上は自粛。2月にDVD発売だ!〔関連記事〕


『グブラ』(2005年,マレーシア)
『ムクシン』(2006年,マレーシア)

原題:Gubra/Mukhusin
監督:ヤスミン・アハマド
出演(G):シャリファ・アマニ、アラン・ユンほか
出演(M):シャリファ・アリヤナ、シャフィ・ナスウィブほか

一昨年VCDで観た『細い目 (Sepet)』(1回目感想)(2回目感想)の後日譚および前日譚。どちらも非常に印象深い映画でしたが、ぐるぐると考えすぎて、具体的な感想文を書けないでいるうちに年をまたいでしまった。ああ、上映情報を教えてくださった方にも、感想をウェブに出しますと言ったのに、すみません。でもこの2作については、そのうちぜひ、自分の思うところを文章にしてみたい。

『ムクシン』のほうが、映画作品としてのまとまりはよいように感じたし、実際とても好きなシーンが多いのだけれど、『グブラ』には、後半からラストにかけて、なにか圧倒的な迫力があり、どちらか片方を選ぶなんて無理でした。

単に、「ふーん、光良の生まれた街でロケしてる映画か、そしてヒロインは金城武ファンか」というだけのことが、きっかけになって観てみたシリーズでしたが、この監督さんの映画は、そういうこと抜きでも、すごくツボです。マレーシアが舞台だからこその問題と、その他の国の人間にとっても切実である普遍的な問題が渾然一体となって提示されていて、さらに映画として単純に面白いの。

新作(このシリーズではないらしいけど)も日本で公開されて、観にいくことができればよいのですが。


『靴に恋する人魚』(2005年、台湾)

原題:人魚朶朶/The Shoe Fairy
監督:李芸嬋(ロビン・リー)
出演:徐若[王宣](ビビアン・スー)、周群達(ダンカン・チョウ)ほか
(日本語公式サイトhttp://www.ffcjp.com/kutsu/)

年末に、英語字幕のDVDで観ました。どこまでもどこを切り取ってもとにかく洒落てて可愛らしい画面と、ちらちらと見え隠れするブラックさ、それでもまっすぐ健やかなメッセージ性。非常に好みだったので、そのうち特典映像が付いてる日本語字幕版のDVDも欲しい。


『呉清源 極みの棋譜』(2006年、中国)

原題:呉清源/The Go Master
監督:田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)
脚本:阿城(アー・チョン)
出演:張震(チャン・チェン)、柄本明、松阪慶子、伊藤歩、南果歩ほか
日本語公式サイト

1928年に14歳で中国から日本に囲碁留学してきて、その後、日本に帰化し、現在は小田原市に住んでいらっしゃる、実在の棋士・呉清源さんの伝記映画。11月に映画館で観ましたが、席に着いて周囲を見回したら、年配の男性(ほぼ「おじいさん」と呼んで差し支えなさそうな)がたくさんいらっしゃいました。皆さん、囲碁がご趣味なのでしょうか。

並ぶもののいない天才棋士による、対局での駆け引きや勝負の緊迫感を延々と描写するような作品になっているのかと思いきや、どっちかというと「たった14歳で故郷を離れ、しかもその故郷と留学先のあいだで戦争が始まってしまい、家族とも別れなければならなかった人が、何を心の拠りどころに日本の昭和を生き抜いていったのか」というようなことに重心が置かれている感じ。

しかし点から点へ飛ぶように、あいだの説明を極力排して淡々とエピソードを連ねていく構成が、「碁」というゲームそのもののイメージとも、どこかつながるような。中国人の監督・スタッフが撮った「日本の昭和の風景」がとても美しくて、溜め息が出そうになりました。

あと、チャン・チェンにあんなに和服が似合うとは思わなかったよ。


***


今年は、去年よりは時間的にも気持ち的にも余裕があるはずなので、もっといろいろインプットを増やせるといいなあ。まずは、年末の掃除で発掘された未読本の消化から!

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2008年1月 8日

Robert J. Sawyer "Mindscan"

読了本 | 書籍・雑誌

Mindscan

Tor(ペーパーバック2006年/ハードカバー2005年)【Amazon.co.jp】

今月から、「昨年末の書棚整理で発見された未読本を消化しよう」プロジェクト、発動しました(笑)。

これ、1年半ほど前に買ったときには、どうせ邦訳もすぐに出るんだろうなって思って微妙に気乗り薄だったのですね。でも気がついたら、一番新しい翻訳本である、ネアンデルタール3部作の完結編『ハイブリッド―新種』(ハヤカワ文庫SF)が出てから、すでに2年以上が経っていた。もうソウヤーは翻訳されないのかしら? まあ私もネアンデルタールのシリーズは、正直さほどのめり込めず、3部作の1冊目の時点で、これからはソウヤーを原書で追いかけるのはやめる、日本語だけにする、とか言ってたわけなんですが。結局この "Mindscan"を読んじゃったので、最新長編 "Rollback" (2007) もペーパーバック落ちしたら読んでしまうのかも。

で、本作。久々に読んでもやはり、「よくも悪くもソウヤーらしい」と思ってしまうSFでありました。

時は2045年。人間の「意識」をスキャンして人工のボディに「アップロード」する技術が可能になったばかり。当人の法的な権利をスキャンされた意識と人工ボディが行使できるよう手続きすることによって、実質的な不老不死を実現するというビジネスが提供され始めています。当然、これに飛びついたのは、とってもお金持ちで、かつ余命の短いご老人たち。地上でのアイデンティティを人工ボディ内のスキャンされた意識に明け渡した生身(オリジナル)の彼らは、この技術を提供している企業が月に造った施設「ハイ・エデン」で、肉体の寿命が尽きるまでを不自由なく暮らします。

そのなかに、ただ一人、比較的若い男性がいました。本作の主人公ジェイクは、先天的な脳血管の異常により、いずれ普通に生きることはできなくなると分かっていたため、早々に意識のスキャンを受け、生身の自分をリタイヤさせることを決断したのです。オリジナルとスキャン、ジェイクが2つのバージョンに分岐したところからは、物語も2人のジェイクの視点を交互に用いながら進められます。

オリジナル版のジェイクは、月に移り住んだあとになって発見された画期的治療法により持病から解放され、本来、生身の自分が謳歌するはずであった地球での人生を、激しく希求するようになります。

一方、正式にジェイクその人として地球での生活をスタートしたはずだった「スキャン」バージョンのジェイクは、当初の予想ほど、機械の身体を持つ自分たちの存在が、皆にスムーズに受け入れられはしないことを思い知ります。やがて、コピーされた意識を持つアンドロイド体を、本人として認めるべきかどうかをめぐって、裁判まで起こってしまいます。

裁判の当事者となったのは、同じく生身の体を捨てる選択をした、作家のカレン。(スキャン版のジェイクは、スキャン版のカレンと恋人同士になっているのですが、スキャン元すなわち生身のカレンは老婦人だったので、時折ジェネレーション・ギャップが生じたりして、微笑ましい。)そうそう、裁判とは直接関係ないんですが、小説家が法的に不老不死になった場合、著作権は……なんて話題が出てきたあたりでは、ソウヤーの本音もこうなのかなあ、なんて思ってしまうようなセリフもあって、興味深かった。

裁判シーン、かなり長いです。延々と裁判してます。これはちょっと、同じく裁判シーンが核になっていた『イリーガル・エイリアン』を彷彿とさせなくもありません。

またその裁判において議論される、「意識」や「魂」や「人格」とはなんであるのか、そして人間はこの世に生じたどの時点から「人間」として認められるべきであるのか……なんてテーマは、『Factoring Humanity』『ターミナル・エクスペリメント』でもすでに出てきていたような。もちろんこれらは、過去の作品とはまた違う角度から語られており、しかも裁判の場でのカレンたちの勝敗に関わる問題でもあるので、読んでてかなりドキドキします。

やっぱり、どうしても、「またこれですか」とは思ってしまうんだけどね(笑)。

そしてその裁判がそろそろ一段落する頃、月にいるオリジナルのジェイクがとった、ある行動……これ、けっこう残りページ数が少なくなってしまってからの急展開だったので、「ええ〜! それ、どうやって納得いく形で収集つけるんだよ!?」って思ったんですが……ふーん、そういう形で解決ですか(ちょっと脱力)。

反面、序盤のちょっとした記述が、ずっと謎だったことの種明かしへの伏線であったと分かったときには、「お!」って感じでした。加えて、最後の最後では、ばばーんと話のスケールが広がります。おおおおおっ!

ただ、これについても読了後はやっぱり、心の片隅で「またか……」と思っちゃったんだよなあ。さりげなく伏線を散りばめておいて忘れた頃に回収していくのも、最後で大風呂敷を広げるのも、結局は「ソウヤーのいつものパターン」だと感じてしまう回路が私のなかにできてしまっているみたいです。

また、本当なら、終盤になって新たに浮上する要素(これもソウヤーお気に入りネタのバリエーション)は、そういう使い方をするなら、それだけで独立した別作品が書けそうだよなあって思うんです。でもソウヤーはいつも、1つの作品に詰め込める要素をすべて詰め込んじゃう。その「てんこもり」状態が、うまく行けば賑やかで贅沢で楽しいんだけど、なんかこのお話では、バランスが悪くて読み手としては消化不良を起こしてしまったような気がしました。えー、いきなり「そこ」へ行きますか、そして読者はそこで置いてけぼりですか、みたいな感じで。たしかに、中盤でそういう要素を予想させる記述は、なくもなかったんだけど……。私の好みから言えば、さっくりなくてもよかったなあ。

とはいえ、そういうことは読み終わって全体の構成を思い返したときに初めて考えたことであって。読んでるあいだは、その場その場のちょっとした描写も楽しく、わくわくとページをめくることができました。これも、私がソウヤーを読むときの、いつものパターン。

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2008年1月 9日

北村想『怪人二十面相・伝』/『怪人二十面相・伝 青銅の魔人』

読了本 | 書籍・雑誌

『怪人二十面相・伝』(新潮社,1989年2月,絶版)
『怪人二十面相・伝 青銅の魔人』(新潮社,1991年1月,絶版)
この表紙デザインは、かなり好きです。特に『怪人二十面相・伝』のほう。

怪人二十面相・伝

現在入手可能なのは、『完全版 怪人二十面相・伝』(出版芸術社,2002年12月)ですが、とりあえず図書館にはこっちしかなかったので、こっちを読みました。出版芸術社のはおそらく、新潮社から出た2冊をまとめたものなんだろうな。

完全版 怪人二十面相・伝

2009年のお正月映画の原作ということなので、映画公開間近になったら、主役の1人である平吉を演じることになっている金城武の写真などあしらった新装版が出たりしないかなあ、と淡い期待を抱いて、現行バージョンは今のところ買い控え中です(笑)。あんまりそういうことする雰囲気の出版社じゃなさそうなので、無理か。新潮社のままだったら、これを機会に文庫化だってされたかもしれないのにねえ。

実は、最初の『怪人二十面相・伝』のほうは、10年以上前にハヤカワ文庫版を買って読んだはずなのです(ずいぶん、版権があちこち移動してるのですね、この作品)。でも、ストーリーのほとんどが、きれいさっぱり記憶から消えてました。今回、再読しながら、そうそう、こんな話だったわ……と、ようやくよみがえってきましたよ。あの頃はまさか、これが金城くん主演で映画化されるなんて思わなかったぜ。知ってたら記憶から抜け落ちるような読み方せずに、気合いを入れて精読しましたのに(ほんとかよ)。

これは、江戸川乱歩が創り出したかの有名なキャラクター、怪人二十面相を題材としたパスティーシュです。怪人二十面相と呼ばれた男は、実際にはどんな人物であったのか、どんな経緯で怪盗となったのか、どのように何を考えて、あのような脈絡のない犯罪をやっていたのか、そして何故、江戸川乱歩の作品群においては戦前から戦後にかけて、二十面相やライバルの明智小五郎の描写に、歳をとったようすが見受けられないのか……なんてことにまで、一応の回答と理屈付けが提示されています(単なるサザエさん方式じゃないのよ!←キャラが歳をとらない)。

乱歩の作品では謎に包まれていた怪人二十面相の裏事情は、そりゃあ面白い。けっこう間抜けだったり、情が深かったり。戦前・戦後の昭和の市井の描写にも、しんみり。そして、二十面相サイドから見る明智小五郎や小林少年の、そりゃまあ嫌味なこと(笑)。

でもねえ、いまひとつ、気持ちが盛り上がらない。だって、そういう書き方をするかぎり、この2作においては「謎に包まれた変幻自在の怪人」だったはずの二十面相が、「ちょっと器用な普通の人」レベルまで引きずりおろされてしまうのです。それって、なんだか寂しいような気も。

そしてまた、オリジナルの怪人二十面相が持つケレン味とアクのイメージが強すぎて、それに比べるとこの二十面相のキャラはずいぶんあっさり薄味だわ、と物足りなくも感じてしまうのです。前に読んだときの印象が頭に残っていなかったのも、その辺が原因かなあ。別に「贋作」として書かれたわけじゃないんだから、乱歩の作品とは違う読後感であっても、それはそれで作者の意図を尊重すべきだと、頭ではわかっているのですけれどね。

もっとも、このお話の「遠藤平吉」を金城武くんが演じるとなると、話は別(笑)。現在、報道されている情報を見るかぎり、映画はこの北村想の原作本とは、けっこう違うストーリーになりそうですが。絵的に、この世界の中に入った金城くんは、ぜひとも観てみたい気がしますよ。

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2008年1月25日

よしながふみ『あのひととここだけのおしゃべり』

読了本 | 書籍・雑誌

あのひととここだけのおしゃべり

太田出版(2007年10月)【Amazon.co.jp】

漫画家よしながふみの対談集(一部は鼎談)。相手はやまだないと、福田里香、三浦しをん、こだか和麻、羽海野チカ、志村貴子、萩尾望都。三浦しをんとの対談は、間を置いて2回に渡っています。

実は、ここに出てくる漫画家さんたち(BL系の人が多い)は、大御所の萩尾望都さん以外は作品を読んだことがないので、取り上げられている話題をちゃんと理解はできていないと思います(あの『ハチミツとクローバー』でさえ未読なのだ私は)。というわけで、いくつか作品を読んだことあった小説家の三浦しをんさんとの対談が、いちばん刺激を受けたかなあ。

とにかく、よしながさんの守備範囲の広さに感嘆しました。どの人との対談でも、どんな話題が出ても、ぴぴっと反応してるんだもん。そしてまた、よしながさんって、本当に漫画が好きで、本当に日々、いろいろなことを深く考察して自分の中で言語化してストックしているんだなあ、と舌を巻きました。読んだことのある作品の細部を思い浮かべて、ああ、そこまで考えた末での、あの描写だったのか……と溜息。よしながさんの、漫画に対する姿勢の真摯さに、こちらも読者として、改めて襟を正したい気持ちになったり。

以前、三浦しをんさんの『シュミじゃないんだ』についての感想で、私は自分がBL系の作品にうまくシンクロできないのは、構造的に女性(自分)が疎外される世界を受け入れられないからではないか、と書いたのですが、本書でよしながさんたちのBL論を読んでいたら、むしろ現実世界で疎外されている自分を受け入れられないがゆえのBL忌避感なのか? とも思えてきた。つまり、今まで見たくなかったものが見えちゃうと、あとが怖いな、そこまでダイブするだけの度胸がないな、と無意識にブレーキかけてる気がする。

でも、実際に見たくなくても見えちゃった人、あるいは敢えて見つめる選択をした人にとっては、ああいった作品によって自分が受け入れら得る世界もあるという実感が得られて、救いになっているのかもしれないな、とも思う。

そう考えると、やはり私は自分の世界を狭めているようで、ちょっと寂しいけど。

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2008年1月26日

堀井和子『「お買いもの」のいいわけ』

読了本 | 書籍・雑誌

「お買いもの」のいいわけ

幻冬舎(2002年10月)【Amazon.co.jp】

いろんなお買いものの話。ミルクティーを美味しく飲むための牛乳を、その牛乳よりも高い電車代をかけて買いに行ったり。パッケージのデザインに惹かれて、さほど好きでもないクッキーを買ったり。やはり容器が素敵で買ったフランスのはしばみオイルを、開封できないでいるうちに10年が経ってしまったり。コートを買うつもりで出かけたのに、そば猪口1つに4万5000円を注ぎ込んでしまったり。でも、そうやって家の中に「お気に入り」が増えていくんだよね。

いちばん(ワタシ基準で)すごい! と思ったのは、表紙に惹かれて、最初っから読むつもりのない本を何冊も買っちゃってる話。あまりの潔さに、気が遠くなりそうでした。貧乏性の私にはできません(というか、私はたぶん書籍に関しては、いくら装丁が素敵でも中身に興味がなければ、手に入れるほどの魅力を感じないタイプ)。でも、堀井さんみたいな買い方も、すごく心が自由な感じがして、いいなあって思います。

日々の生活で使うあれやこれやを、ひとつひとつ、直感を大事にしつつも真剣に考えて、選んでいくのって、けっこう難しい。今は、あとになって「ちょっと失敗したかも……」と思うこともしょっちゅうなのですが、いつか私も、自分なりに納得したお気に入りに囲まれた生活を実現したいものです。堀井さんご自身によるイラストのほか、取り上げた各アイテムの素敵な実物写真が目次ページにカラーで掲載されているのも、とてもよかった。本文に入る前に目次に添えられた写真を眺めてどんなことが書かれてあるのか想像し、次に各章の文章を読んで、改めて写真を確認して、ああ、なるほど……と、もう一度、本文を読み返して。何度も楽しめました。

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2008年1月28日

岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』

読了本 | 書籍・雑誌

いつまでもデブと思うなよ

新潮新書(2007年8月)【Amazon.co.jp】

岡田さんって、私はずっと、昔のあの体型を「戦略として維持している」のだとばかり思っていたから、去年ダイエットをして痩せたという写真入りの記事をネットで見て、すごく意外でした。

あのインパクトある、めいっぱいキャラ立ちしたお姿だったからこそ、私のような世間の情報に疎い者でさえ、岡田さんを岡田さんと認識できていたわけで。いま、どこかで岡田さんをお見かけしても、私はきっと、有名な方だということに気付かずじまいに違いありません。

とはいえ、健康が心配になっちゃうような体型でいらっしゃったことは事実なので、すっきり減量できたのは、素直に喜ばしいことだと思います。1年間で50キロ減というのはすごいよね。しかもそのダイエットについて書いた本書が、ものすごいベストセラーなのですから、今この時期に減量を成功させたというのは、やはり戦略としても正解なのでしょう。

痩せ始める前の岡田さんの食生活が説明されるあたりでは、そんなことできる人がいるのか! とびっくりでした。「度を越して太っている人」のメカニズムを、初めて知った気がする。ソフトクリームをなめなめ歩いて、口の中が甘くなったので中和するためにそのままミンチカツの列に並ぶ、というくだりなど、読んでるだけで胸やけしそうでした(吉祥寺のミンチカツのお店は、私も知っているところだけに、光景がリアルに浮かんだし)。

そういう私個人は、今のところ(体型バランス的に不満はあれど)特に体重そのものを大幅に落とす必然性は感じていないのですが、正直、「自分の身体を自分でコントロールする」ということは全然できていないと思います。私の体重の数値には、私自身の意志は、まったく反映されていないのです。

岡田さんは、身体の要求に逆らってでも、チャンスがあれば美味しいものを食べてしまう人を「欲望型人間」、お腹がいっぱいのときにはたとえ好物であっても食べられない人を「欲求型人間」と分類しています。それで言うなら、私は「欲求型」ってことなのか?

欲求型人間とは実は、食べ過ぎや空腹という、体からの不快なサインに、非常に弱い人だとも言える。こういう人は、あらゆる体のサインに敏感で、体が訴える苦痛に弱い。欲求の言いなりになりやすい人とも言える。

うう……心当たり、あるかも。で、岡田さんは、もともとご自身のように「欲望型」であった人が、「欲求型」のように身体の欲求に耳を傾け、お腹が空いたときだけ食べるようにして適正体重になったとしても、その時点で「欲望」と「欲求」の双方のバランスをとって自己コントロールができるようになっているので、望めばさらにそこから「こういう体型になりたい」という「欲望」に従って自分の身体をシェイプすることもできる、と言うのです。それ、いいなあ。

とりあえず、「欲求型」であるらしい私は、たしかに自分の身体に、ちょくちょく振り回されていますよ。身体のやつ、ときどき私(の意志)に断りもなく動かなくなったりするし。ダイエットとは関係なくても、レコーディングとまでは行かなくても、もう少し、いろいろ自覚的に生活するよう心がけたほうがいいのかなあ、と思い始めているところです。

あと、めちゃくちゃ八つ当たりで申し訳ないのですが。どっちかといえばチビな私としては、ダイエットに成功した岡田さんが、標準規格のお洋服を着られるようになって浮かれていらっしゃるあたりの記述を読んで、
「岡田さんが、ただ適正体重まで痩せるだけで普通のMサイズを着られるようになったのは、きっともともと《中肉》になるより前から《中背》だったおかげですよね!」
と、一瞬、非常に投げやりな気持ちになりました(笑)。同じ規格外でも、デパートの婦人服フロアなどにおける「小さい人」コーナーは、なんだか「大きい人」コーナーよりも、冷遇されてる場合が多いような気がするの。これってヒガミ? でもつい先日だって、ちょっと気になった服を試着してゆるすぎだったのでお店の人に尋ねてみたら、MサイズとLサイズはあるけどSサイズはそもそも作っていません、なんて言われて、すごすごと撤退したし。

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2008年1月29日

松谷みよ子『自伝 じょうちゃん』

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自伝 じょうちゃん

朝日新聞社(2007年11月)【Amazon.co.jp】

「モモちゃん」シリーズや『ふたりのイーダ』などで知られる児童文学者の自伝。『週刊朝日』2006年9月1日号から2007年3月16日号に掲載されたものを一部削除し、加筆訂正。

ご多分にもれず私も、幼児の頃は「モモちゃん」などのお世話になって育ったわけですが、1926年生まれの松谷さんは自分の親よりずっと年上だったんだなあ、ということに、これ読んで初めて気付きました。

のちに政治家としても活躍した弁護士一家のところの、末っ子のお嬢さんとして生まれ、しかしお父さんを11歳のときに亡くし、やがて戦争が始まり、食べるものにも困るようになり――といったいきさつが、淡々と、しかし瑞々しい文章で語られます。情景が、すごく遠いところなのにはっきりと目に浮かぶような、不思議な感じ。

読み進めるうちに、幼い頃から親しんでいた松谷さんの童話の中の一節を思わせるエピソードに気付いて、なるほど、これが作中でああいうふうに活かされたのか、と懐かしく思ったり、逆境に置かれたときの、友人たちや師事していた坪田譲治さんからのサポートに心が温まったり。そして同時に、ご家族とのあれこれに、切なくなったりも。

この本の内容だけでは分からないけれど、年齢から考えても、松谷さんのお姉さんとお母さんは、どちらももうご存命ではないのかな? このおふたりが読むかもしれないのであれば、書けなかったのでは……というような記述が、ところどころにありました。

本書は松谷みよ子さんの視点で書かれているので、ご家族にはご家族の言い分があるのかもしれないけれど、これを読むかぎりでは、お父さんが生きていらした頃に高度な教育を受けて育ったお兄さんやお姉さんと比べて、末っ子であったみよ子さんは、仕方のないこととはいえ、イヤな表現をすれば、かなり“貧乏くじ”を引いているように思います。

戦時下および戦後の頃など、華も教養もあるけど生活力が弱いお姉さんやお母さんよりも、まだ十代あるいは二十歳そこそこのみよ子さんのほうが、ひたすら家族のために頑張っていた感が。徴兵されていたお兄さんさえ、戦争が終わって戻ってきたとき、家が焼失したあとの東京に一家がふたたび基盤を築けていなかったことについて、まずは末っ子のみよ子さんを責めるのです。そしてみよ子さんは、その期待に応えようとまた頑張ってしまう。なのに、身体を酷使しつづけたみよ子さんが病に倒れて入院しているあいだに、お姉さんたちはみよ子さんを家に戻って来させないための算段をしていたりするのです。

それだけ、厳しい時代であった、ということなのでしょう。著者は、この頃のことを、静かに振り返って受け入れていらっしゃるようではありますが、それでも何か複雑で微妙な哀しみがないはずはないと、考えずにはいられません。家族って難しい。そして、そんな厳しい時代でも、親身になって動いてくれる恩師や友人に囲まれていらしたのは、それだけの何かが、松谷さんにあったんだろうなあ、とも思います。そういえば、ママやモモちゃんやアカネちゃんが大変なときに、見返りを要求することなくせっせと助けてくれるのも、“おいしいもののすきなくまさん”のような、血縁関係のない友人たちでしたね。

戦時中は、ためらいもなく女子挺身隊に応募し、御国のために命を投げ出すことを厭わない“軍国の乙女”であったというのも、その後の松谷さんの作品を思い返すと感慨深いものがありますが、裏返せば、ひたすら真摯に混じりけのない理想を追求する純粋な女の子だったのだろうな。

「モモちゃん」シリーズでも“パパを残してのお引越し”という形で触れられていた離婚については、最後のほうでさらりと言及されているのみですが、そこまで追いつめられていく過程は、淡々と書かれているだけに、胸が痛みました。その後のことは、『小説・捨てていく話』(筑摩書房)という本に書かれているそうなので、いつか受け止めるパワーのあるときに、読んでみたい。

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2008年1月31日

グレゴリ青山『ナマの京都』

読了本 | 書籍・雑誌

ナマの京都

メディアファクトリー(2004年7月)【Amazon.co.jp】

先日、当ブログのコメント欄で教えていただいて、面白そうだったので、早速読みました。グレゴリ青山さんって、お名前から判断してずっと男性だと思っていたのですが、実は女性だったのですね!(しかも、アジア放浪漫画などを描いてらっしゃるという中途半端な知識だけは前々からあったので、なんとなく“むくつけきヒゲ面のバックパッカー”みたいな感じで想像してました……大変、失礼いたしました。)

なんでまたグレゴリ? と思って検索してみたら、あの『ローマの休日』のグレゴリー・ペックから取ったペンネームなのか。わはは。これでまた印象変わった。アジア放浪のイメージ強い人なのに、『ローマの休日』に思い入れなさってるんだ。

作風も、思っていたのとは、かなり違ったなあ。ちらっと脳裏にあった豪快な絵柄から、風刺的な毒のある笑いを想像しちゃってましたが、このたび初めてちゃんと1冊読んでみたら、そういうんじゃなくて、もっとこう、「ディープな教養を備えた、善良な人」っぽい漫画。ご自分をも含めた、いろんなものへのツッコミに、温かさがある。お馬鹿さんを見つめる視線にも、脱力感のなかに対象をいとおしく思う気持ちが感じられる。

で、この『ナマの京都』。京都生まれ京都育ちのグレゴリ青山さんが、観光ガイドには書かれていない京都を語ってくださってます。最初のほうの、高校生時代に料亭でアルバイトしたときのお話が強烈。生粋の京都人であるとはいえ、いたいけな女子高生だった青山さんに涙を流させた、京都流イケズの数々! 関西だけど京都じゃない場所で育ち、4年間、自宅から京都市内の大学に通っただけの私も、ありがちありがち、と思ってしまいましたが。

東京に引っ越して来て、何がいちばんよかったって、関西の古い町ほど「言葉の裏の意味」や「新参者・異端者・若輩者に対する“空気読め”的な無言のプレッシャー」がないこと。そして、戦々恐々として「スマートなやりとり」を目指さなくても、愚直にやってるうちに「そういうキャラ」として受け入れてもらえて、なんとか最低限の人間関係を保っていけることです(笑)。やはり、いろんなところから人が集まってきているので、最大公約数的な分かりやすいコミュニケーション方式が確立されているのだろうな。

若い頃には、世間に揉まれても揉まれても、まだなんとかギリギリ全面戦争に突入せずにセーフゾーンに留まれていましたが、歳をとって体力が落ち、関東のぬるま湯に浸りきった今は、もうダメ。今、あっちに戻ったら、揉まれて人間が丸くなるどころか、揉まれまくった結果、角のみならず全体的にすり減りすぎて、私の存在そのものが危うくなりそうです。もう一生「よその人」扱いでお願いしたい。

でも、青山さんは、一時は京都を離れていたにもかかわらず、今は京都(市外だけど)に戻って暮らしていらっしゃるのですね。やっぱ「生粋の人」は違うぜー(私の亡き実母は関西出身ではなかったのですが、代々地元で続いてきた家の生まれである2人目の母と暮らし始めてから、どうやら自分は人格形成期に生粋の関西人とはかなり違う感覚を刷り込まれてしまっていたらしいと気付きました)。

私がいたあたりにしても、もっと顕著なイケズ文化で知られる京都にしても、自分を押し殺すことなく周囲と軋轢を起こすこともなく、いろんなことを受け流して、うまく世間を渡っていく能力さえあれば、生きていくためのエネルギーを枯渇させることなく幸せに暮らしていける愛すべきところなんだろうなってことは、私もしみじみ思うんです。青山さんは、子供の頃から自然に鍛えられて、そういう高度な技を習得していらっしゃると見た。

本書のなかにはそういう、一度京都を出て外部からの視線をも獲得した青山さんが、改めて京都という町にツッコミを入れながらも、そこを愛さずにはいられないのだな、という空気が充満しています。

本書を紹介していただくきっかけになった、入江敦彦『イケズの構造』(新潮文庫)を読んだときには、ピンと来ない話も多いなあ、という印象だったのに、こっちは京都の民だったことが一度もない私でも、「そうそうそうそう、そうだよね!」とうなずくことしきりでした。そういう意味では、より「よそさん」向けの分かりやすいネタが多いのかも。入江さんの本より共感しやすかったのは、世代が近く(青山さんは私より4つ上なだけ)性別が同じだからってのもあるかもしれないけど。もちろん、共感だけじゃなく初めて知ったこともたくさんあって、新鮮な驚きも少なからず得られました。

映画館の話は、自分の記憶とも重なる部分があって特に楽しかった。ルネサンスホールが閉鎖されたのは、'92年だったのかー。『ジャズ大名』、当時気になってたんだよなー。あれ、最終上映作品だったとは。観に行っておけばよかった(あの1年は卒論と就活でてんやわんやだったので、ほとんど映画館で映画観てない)。みなみ会館も行ったなあ。

京都人は観光名所を知らないってのも、そのとおり。私が行った大学は、全国的にかなり有名なお寺がすごい近いところに複数あったんですが(ちなみにもちろん、市内に無数に存在する“王将”も、めっちゃ近所に1軒)、入学してすぐの頃、周囲の京都出身者に尋ねてみたら、みんな足を踏み入れたことがないと言ってたっけ。ガイジン(何故かロシア系)のつもりになって金閣寺などを目指す漫画が、めちゃくちゃ可笑しかった。宇多野ユースホステルは、私も泊まったことあるよーん(宿泊料金が激安なので同じ学科の人たちとの親睦会か何かに使ったんだったと思う)。

脱力系・おおざっぱ系の絵柄なのに、背景などのディテールが妙に正しいのもツボ。嶽本野ばらが美しく描写していたはずのあそこも、この本の漫画の中ではコレかよ! でもたしかにコレだよ! などと、じたばたしながら読んでました。

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2008年1月に読んだものメモ

読了本 | 書籍・雑誌

なんとなく、「暮らし」や「ライフスタイル」について書いた本を芋づる式に何冊も読んでしまった今月。時間に追われまくりの毎日から解放されてちょっぴり余裕が出てきてみると、今までずっと、「日々の生活」に関しては、ものすごい行き当たりばったりだったよなあ、と思えてきて。しかしどうやら、どんな生活を目指すのであろうと、違和感の正体を突き止めて快適さを勝ち取るには、こまごまとした各要素について、とにかく意識的になるしかないようだ……と、まずは当たり前の結論。



北村想『怪人二十面相・伝』(新潮社,1989年2月)
北村想『怪人二十面相・伝 青銅の魔人』(新潮社,1991年1月)
 江戸川乱歩の有名シリーズを、怪人二十面相の側から描く。これの映画版に金城武が出るというので読んでみました。ネタばれ許容ラインの判断が難しかったのであんまり詳しく書いてないけど、読了時の感想はここ。現在、入手可能なのは『完全版 怪人二十面相・伝』(出版芸術社)【Amazon.co.jp】


Robert J. Sawyer "Mindscan" (Tor, 2005年)
 人間の意識をスキャン(コピー)して、機械の身体にアップロードすれば、不老不死? 久々にソウヤー読みました。やっぱりソウヤーっぽい作品でした。詳しい感想文もあります。【Amazon.co.jp】


横森理香『横森式シンプル・シック』(文春文庫,PLUS2002年4月)
 ずいぶん前に当ブログのコメント欄(確認したら2004年の夏でした)でおすすめいただいて購入したあと、本がどこかに紛れてしまって、ずっと読みそびれていたもの(すみません!)。
 どう工夫しても納得行く暮らしができなかった古い一軒家を手放し、都心の中古マンションを購入してリフォームすることにした著者が、どのように持ち物を整理し、さまざまなこだわりを実現させて、旦那さまと一緒にシンプルかつお洒落な住居と無駄のない充実した生活を手に入れたか、みたいな感じ。
 とにかく、徹底的に、自分にとって心地よい暮らしをめざして邁進していく過程が事細かに語られていました。自分とは考え方や感覚が違うなあ、という部分もいろいろありましたが、「違うなあ」と思うことで、改めて自分の感覚の再確認になりました。
 適当にありあわせで済ませたり、ほんとは要らないものを惰性で所有しつづけたりといったことをせず、とことん自覚的にモノやスタイルを選んでいくという姿勢は、ご立派。ここまでスタイリッシュを追求してたら、私の場合は疲れちゃうかなあ、個人的には、適度に統一感に欠けてて、適度に生活感のある暮らしにも愛着を感じるなあ、という気もするけど、あまりにも安きに流れそうになったときには、「ああいう方もいらっしゃるのだから」と、ちらっと思い出して自分を戒めてみるのも、悪くないかも。【Amazon.co.jp】


お勝手探検隊(編)『ずらり 料理上手の台所』(マガジンハウス,2007年9月)
 雑誌『クウネル』Vol. 25の特集記事に加筆・訂正を加え、取材記事を追加。料理研究家やフードコーディネーターのほか、生活のお手本的なポジションでよく雑誌に出ているような人たちが登場。台所って、本当にさまざまで面白い。さすがに皆さん、道具類や食器の所持数も多くて、それらをシステマティックに整理している方法もいろいろ。
 写真を見ていると、やはり台所はつるぴかでよそよそしいよりも、清潔だけど古びてあちこち傷つくほど使いこまれて生活感があるっていうほうが、断然かっこいいと思いました。ただ、長年使っているものは、どの人も惰性ではなくちゃんと理由があって使い続けているんですよね。
 うちはなー、実母のお古を、一人暮らし始めるときも結婚するときもなんとなくそのまま持ってきて……というような、惰性で使い続けているもの(買ってから30年は経っているに違いない)が、結婚10年弱にして、まだあれこれ残っているんですが、どれが手に馴染んで気に入ってるから使ってるもので、どれが新しいものを選ぶのがめんどくさいから使っているものなのか、一度じっくり検討してみたくなってきました。【Amazon.co.jp】


平野恵理子『やっぱりお家がいちばん』(ヴィレッジブックス+,2006年3月)
 これも、出てすぐの頃に買ったまま、放置してしまってました。親本は『ごきげん! ひとり暮らしの本』(講談社,2001年4月)。元のタイトルが示すとおり、イラストレーターでエッセイストの著者が、一人暮らしを楽しんでいるようすが、とても鮮明に浮かびます。家具や雑貨も、本来の用途と違う使い方をしてみたり、自力で改造してみたり。自分が一人暮らしを始めたときの、「なにもかも自分で決めていいんだ!」という、わくわく感を思い出しながら読みました。家族と暮らして、自分の好みと違うものと折り合いをつけながら共存していくのも、それはそれでスリリングで面白いものですけれど、一人暮らし時代も、なかなか楽しかったよなあ。【Amazon.co.jp】


吉野万理子『乙女部部長』(メディアファクトリー,2007年11月)
 32歳彼氏ナシ、でもいつか運命の人との出会いを信じてるから合コンなんてもってのほか。そんな主人公、小夏が、彼女の行く末を心配する現実主義の親友とのメールのやりとりのなかで、その乙女チックぶりを揶揄され「独りで一生、乙女部部長やってなよ」と言われたこときっかけに結成された「乙女部」。メンバーは4人、なぜかそのうち1人は男子。
 結局、要するに「運命」という単語をどう捉えるかって話なんだよなー(って大きくまとめすぎ)。個人的には、乙女部の黒一点、神無月くんがツボなんですけど。Afternoon Teaのティールームを待ち合わせ場所に指定されて、女性客ばっかりのなかで相手を待ちながら、スイートフルーツティーなんてものを注文して一人でゆったりくつろげる、控え目で物静で神経細やかな男子。いいじゃん、いいじゃん! 私が小夏だったら、このようすを見た瞬間に、神無月くんに運命感じてしまうかも! 幸せの青い鳥は身近なところに!(安直?)実際のストーリーでは、すっかりお互い「圏外」ポジションになっていて、わたくしは大変、寂しゅうございました(笑)。【Amazon.co.jp】


よしながふみ『あのひととここだけのおしゃべり』(太田出版,2007年10月)
 漫画家よしながふみさんの対談集。すごく刺激的でした。読了時の感想文はこちら【Amazon.co.jp】


三浦しをん『乙女なげやり』(太田出版,2004年7月)
 三浦しをんのウェブ連載エッセイ(現在は更新停止中)のシリーズは、ウェブでもずっと読んでいたうえ、出版社が統一されてなかったりタイトルだけでは同一シリーズと分かりにくかったりするので、もうどれが既読でどれが未読なのか、自分の記憶をたどってもさっぱり。これは、書きおろしの「なげやり人生相談」ページに見覚えがなかったので、初読かなあ。
 どんどん転がっていく妄想炸裂系のネタも楽しいのですが、実は私は、この人の家族ネタが大好きです。大勢の人が読むものに、こういうふうに思いっきり面白可笑しく書いても大丈夫なだけの信頼関係があるんだなあって、スピーディな罵倒の言葉を読んでいても、ほんわかします。【Amazon.co.jp】


堀井和子『「お買いもの」のいいわけ』(幻冬舎,2002年10月)
 自分の価値観で選んだ、お買いものの数々。別途感想文を書きました。【Amazon.co.jp】


永江朗『暮らしの雑記帖 狭くて楽しい家の中』(ポプラ社,2007年10月)
 こまごまとした「暮らし」のなかのあれこれについて語るような本って、ほとんどが女性によって書かれているような気がしていたので、なかなか新鮮でした。偏見かもしれないけど、やっぱりちょっと、女性が書く「暮らし」本の多くに比べると、どこか「趣味っぽい」雰囲気が漂います。カッコつけず、でも自分の感覚に正直に、こだわるところはこだわっている感じが、心地よかった。【Amazon.co.jp】


岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書,2007年8月)
 1年で50キロの減量に成功した著者が、なぜ痩せるとお得なのか、どういう仕組みで太っていたのか、そしてどうやって痩せたのか……などなどを大公開。別途、感想文を書いています。【Amazon.co.jp】


辛酸なめ子『癒しのチャペル』(ちくま文庫,2008年1月/親本は白夜書房,2003年9月)
 一部を除き、初出は雑誌『BUBKA』だそうです。この人の本を1冊まるまる読むのは初めてでしたが、なんと言いますか……怖いもんナシですな。ほかの本もこういう感じなんでしょうか。癒しとかスピリチュアルとかセレブとか、どっか胡散臭いんだけど、うかつにツッコミを入れたら大変なことになりそうなネタでも、絶妙に自虐を絡めてそれが許されるポジションに自分を位置づけつつ、毒を含んだ丁寧文で、がんがん俎上にのせていく。【Amazon.co.jp】


松谷みよ子『自伝 じょうちゃん』(朝日新聞社,2007年11月)
 著名な児童文学者の自伝。別途、感想文を書きました。【Amazon.co.jp】


菅野彰(文)+立花実枝子(絵)『あなたの町の生きてるか死んでるかわからない店探訪します』(新書館,2007年1月)
 初出は『季刊ウンポコ』Vol.1(2005年3月)〜Vol.6(2006年6月)。著者のおふたりが、生きてるか死んでるかわからない、つまり「ほんとに営業してんのか?」と入ることをためらうようなお店を見つけて、果敢に突撃。「生きてる(外観とは裏腹に、お料理が美味しい)」お店もあれば、「死んでる(命の危険を感じるレベルで酷い)」お店もあり。「死んでる」お店って……な、なんでその状態で営業できてるんだ? 巻末に、ヤバそうなお店情報を募集するページがあったので、この企画、さらに続刊が予定されているのでしょうけれど……菅野さんと立花さん(そして、ときおり参加する周囲の皆さん)のご健康をお祈りせずにはいられません。身体張ってるなあ。【Amazon.co.jp】


読了した漫画は、2冊。


西原理恵子『できるかなクアトロ』(扶桑社,2007年4月)
 ヒジュラ取材とか砂漠で恐竜発掘とか。西原さんの漫画は、最後まで読み通した時点で、いつもぐったり疲れてしまいます。手に取ったときの、本の薄さに油断して軽い気持ちで読み始めると、実はものすごく中身が濃いのです。ていうわけで、これもすごく体力を消耗しました。ほかの人の作品だったら居たたまれない気持ちで目をそむけてしまいそうな表現でも、西原さんだと大丈夫なのは、西原さんが、たとえ盛大に罵倒している相手に対してであっても、どこか親愛の情を込めて描いているように思えるせいかなあ。【Amazon.co.jp】

グレゴリ青山『ナマの京都』(メディアファクトリー,2004年7月)
 京都出身の漫画家であるグレゴリ青山さんによる、ディープな京都案内。長い感想文もあります。【Amazon.co.jp】

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All texts written by NARANO, Naomi.