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2008年4月 7日

グレゴリ青山『グ印亞細亞商會』

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グ印亜細亜商会

旅行人(2003年5月)【Amazon.co.jp】

今頃になって感想を書いてますが、3月の1冊目でした。アジア各国を旅してきた著者がさまざまな観点から「アジア」を語った、エッセイ中心の本(漫画も挿入されてるけど)。60年代の女性のヘアスタイル、同じ街を題材にした歌、映画などなど、ネタはさまざまですが、香港、台湾、タイ、インド、マレーシア、そしてちょっと昔の日本……と、どんどん繰り広げられる考察(および妄想)を読んでいると、どの国もそれぞれの個性を持ちつつ、同じアジアに属してもいるのだなあ、と感覚的に納得。グレゴリさんが語るアジアは、知らない国なのに、どこか懐かしく、どこか幻想的な、憧れの国って感じがします。なぜか。

圧巻は最後のほうの、台湾出身の画家「陳登波」氏(1895〜1947)について述べられた20ページ余り。時間つぶしのために入った徳島の近代美術館で、偶然目にした風景画に惚れ込んでしまったグレゴリさんは、展覧会目録に記載されていた短い説明だけを手がかりに、同じ画家のほかの作品も観てみたいと台湾を訪れ、かろうじて手に入れた過去の展覧会の図録の記述で、この画家が二・二八事件で命を落としているらしいと知ります。そしてさらに、風景画に描かれていた街を訪れてみたところ、冗談みたいに偶然に偶然が重なった結果、ついに画家本人の息子さん夫婦の家に招かれ、画家の生涯を詳しく知ることができるのです。この辺の経緯は、何か得体の知れないものが著者を導いていたのに違いないと思いたくなるほどの、怖いような不思議な感じ。

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2008年4月 8日

絲山秋子『豚キムチにジンクスはあるのか 絲的炊事記』

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豚キムチにジンクスはあるのか―絲的炊事記

マガジンハウス(2007年12月)【Amazon.co.jp】

初出は「絲的炊事記」のタイトルで『Hanako』2006年1月26日号〜2007年1月11日号。やはり3月に読みました。

これはいったい、そもそもどういうコンセプトの連載だったのかしら? いや、すっごく面白いんですけど、掲載誌が『Hanako』っていうので、ちょっと疑問が。とにかく、絲山さんが自分のご飯を作ったり食べたりしているようすを綴っているのですが、美味しそうなお話のときもあれば、絶対に真似したくないと思うお話、さらにはネタのためにそこまでしなくても……と読んでて一緒に泣きそうになってしまうようなお話もあり。

芥川賞を取ってるってことは、絲山さんって純文学フィールドのかたなんですよね? でもエンターテインメント精神満載の文章でした。たぶん、このひとは、ご自分のことについていろいろ茶化して書いてらっしゃるけど、基本的におそろしく律儀なのですね。こういうノリの連載で、しかも絲山さんのようなハイテンションな文体駆使能力があるなら、締め切りまでにさらっとなんか適当に作ってみて、たとえそれが失敗でも、そのこと自体をネタに読者を抱腹絶倒させる面白可笑しいエッセイに仕立て上げることだって、その気になればできたんじゃないかと、何度も思いました。にもかかわらず、一度テーマをきめたら、毎日のようにひたすら同じものを作り続けたり食べ続けたりして、とにかく確認作業を怠らない、自分を痛めつけてまでも納得のいく内容に持ってゆこうとする、この姿勢。連載継続の打診があったのを断ったと書いてありましたが、たしかにこれを続けるのは大変だわ。

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2008年4月 9日

石黒智子『わたしの台所のつくり方』

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わたしの台所のつくり方

暮らしの手帖社(2007年3月)【Amazon.co.jp】

1月の『ずらり 料理上手の台所』、2月の『ジャンク・スタイル・キッチン』に留まらず、3月にもまた「ひとさまの台所」覗きの本を手にとってしまったのでした。石黒さんがご自分でお使いの“日本で初めての「ガスバーナービルトイン、ダブルシンク、1.5ミリ厚18-8ステンレス製オーダーメイドシステムキッチン」”を紹介している本。

シンクの表面に使うステンレスの厚みや表面加工法からタイルの目地の色など、いろんな細かいところまで考え抜かれたシンプルで機能的なフルオーダーキッチンそのものに関しては、今後大々的にリフォームでもしないかぎり、直接的な参考にするようなことはないでしょうが、とにかく著者は、この23年間さまざまな工夫を凝らしながら使いつづけてきたこのキッチンのことが大好きなのだな、というのが伝わってきます。こまごまとした工夫や愛用している道具などについては、ちょっぴり現実的になって自分ちの台所に適用してみたところを想像してみたりもしつつ、なかなか楽しく読み終えました。
PEEL A PPEAL ベジタブルピーラー

高さ90cmの作業台でも高さに合った道具を使えば大丈夫という石黒さんの身長をうかがってみたい。洗い物はシンクが高いほうが楽と書いてありますが、私は標準的な高さ86cmのシンク使用歴4年にして、いまも昔住んでた家(および階下の義両親のキッチン)に入っていた80cmシンクでの洗い物のほうが楽だったなあと感じるので。もちろん、石黒さんもおっしゃるとおり、家族と共有するという意味では、ただ一人にとってジャストフィットサイズのキッチンってのは考えものではあるのですけれど。

そして、本書で紹介されていたPEEL A PPEAL ベジタブルピーラーが気になります!

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2008年4月10日

梶原由佳『『赤毛のアン』を書きたくなかったモンゴメリ』

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『赤毛のアン』を書きたくなかったモンゴメリ

青山出版社(2000年4月)【Amazon.co.jp】

3月に読んだ本。先日、当ブログの過去記事にコメントをしてくださった“ゆかじん”さんこと梶原由佳さんのご著書です。梶原さんは、トロントの図書館に勤務しながら、モンゴメリの研究をしていらっしゃいます。

本書では、モンゴメリにゆかりのある地を実際に探訪し、残されている日記や手紙を読み込み、生前の彼女を直接知る人びとにも取材しながら、その人生をたどって、彼女がどのような人であったのかを浮き彫りにしています。

カナダの作家、ルーシー・モード・モンゴメリ(1874〜1942)による『赤毛のアン (Anne of Green Gables)』が出版されたのは、ちょうど今から100年前、1908年春のことでした。

この作品が世に出たとたん、モンゴメリは一躍有名作家に。次々と他シリーズの新作に取り組みつつも、読者と出版社からはいつも「アン」のつづきを求められ、気が進まないままに「アン」のその後の物語を発表してゆきます。

一方で、モンゴメリの私人としての毎日は、主婦として母としてそして牧師夫人として自分を律し、地域の人たちとのソツのない交流を含む内助の功に励み、周囲には秘密にしておかねばならない夫の精神病に悩み、心を開けた唯一無二の親友が若くして病死したのちは遠く離れた文通相手と日記帳にしか心情を吐露できず、経済的に苦しかった時期もあり……と、ポジティブになれない要素も多々含まれたものでした。嫌々書いたはずの「アン」続編について、生活苦から打算的に映画化のオファーを願ったりしたこともありました。

しかし、そういうことを知ったうえでも……やっぱり、「アン」は続篇も含めて、生き生きとして、細やかな生活感と確固とした審美眼に裏付けられ、時に皮肉なユーモアがピリっと効いていて、シリーズ後期に至るまで面白かったと思うのです。自分ではもともと特に書きたくなかったものであっても、要請に応じてあんなにみずみずしい作品にすることができたモンゴメリの筆力、そして作家としての活動に専念できない状況の中でも書きつづける意志の力はすごかったのだなあ。

リアルタイムで「アン」の新作を待ち続けた100年前の読者たちの反応が興味深く、当時の「流行作家」の苦労に思いを馳せてしまいました。熱狂的なファンへの対処なんて、今の時代の作家なら、公式サイトを開いてFAQコーナーを作ったりすることでかなり負担を軽減できただろうにね(笑)。

ダークな部分も多かったモンゴメリの生涯については、前に読んだ(そして梶原さんのご著書を読むきっかけにもなった)小倉千加子『「赤毛のアン」の秘密』(岩波書店)でも大まかに知ることができたのですが、すべての作品を書き終えてしまったあとのモンゴメリの「死」を作品評価に反映させようとしていた『〜秘密』と違って、今回読んだこちらは作品を生み出しつづけていたモンゴメリの「生」に焦点を当てている本で、私としては、こういうアプローチのほうが抵抗のないものでした。

そして、「アン」には盛り込めなかったさまざまな思いが投影されているであろう、ほかのモンゴメリ作品も、ちゃんと読んでみたくなりました。

また生前のモンゴメリを覚えている人たちの談話は、とても貴重な記録でもあるのではないでしょうか。正直、モンゴメリの没年をちゃんと認識していなかった私は、この本が書かれた時期に、まだそういう人たちがご存命だったことに、軽く驚いてしまったのですが。今もモンゴメリの世界を愛し、さまざまな活動をおこなっている人たちに関する記述にも、真摯な共感がこもっています。

カナダに根を下ろし、モンゴメリを愛する人たちに寄り添うスタンスで丁寧な取材を進めることができた著者だからこそ、書けた本なのだと思います。

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2008年4月15日

三浦しをん『悶絶スパイラル』

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悶絶スパイラル

太田出版(2008年1月)【Amazon.co.jp】

3月に読んだ本。1月に読んだ同シリーズの『乙女なげやり』と同様、これもほぼ、ウェブ連載時のものを読んでるなあ。でもやっぱり可笑しくて鋭くて、ときに予想もつかない方向に飛んでいくのが、とても楽しい。よそのサイトの書評を見て、この時期に直木賞を受賞していることにようやく気付きました。おそらく、受賞前後から生活が激変しているでありましょうに、そこに触れた文章がないところが、とっても「らしい」。連載中も、受賞直後の更新ではたしか本文ではまったく関係ない、いつものような面白話をしたあと、最後にさらっと感謝の言葉が入ったくらいじゃなかったかな(記憶違いだったらすみません)。

本書に収録されてるなかでは、改めて読んでみて、やはりいちばん衝撃が大きかった……と感じたのは、お友達とカラオケで、とある男性2人組の曲を話題に盛り上がったときの回。

「たしかに。たとえば『きみ』と歌っていて、それはたぶん歌詞的には恋してる相手の女の子のことなんだろうが、しかしそのときに一瞬でもキ○キの二人が視線を交わしたりしようものなら、途端にお互いへのラブソングに変じてしまう危険性がある」

そ、そうなのか! 「男性デュオの閉鎖性と緊張感」だそうですよ。男性デュオの曲を聴いてもそんなこと考えたこともなかった私は、いろいろとニブいのかしら? それとも、私が聴くような男性デュオには、そういう要素がないだけなのかしら? 激しく名言であると同時に、私自身には果たしてそんなものを感知することはできるのだろうかと、自分のセンサーに不安を覚えるフレーズであります。

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中野翠『本日、東京ロマンチカ』

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本日、東京ロマンチカ

毎日新聞社(2007年12月)【Amazon.co.jp】

『サンデー毎日』の連載(本書で巻末の著者紹介文をちゃんと読んでみて初めて知りましたが、1985年から続いているのですね)を中心に1年間の書きものをまとめた、年末恒例の時事コラム集。特に何が好きってわけでもないんだけど、ふと読みたくなります。中野さんはこういうことに引っかかりながら1年を過ごしたのねえ、みたいな気持ちで。

今回、特にぴきゅーんと反応したのは、女子校に通っていた高校生時代を振り返っていらっしゃる、次のところ。

同じクラス(私立文系進学組)の女の子たちは、それぞれ自分の楽しみを追ったり屈託をみつめたりしているふうで、ひとのことにまで過剰な関心を燃やしたりはしなかった(……と思う)。  だから、『グロテスク』だったかな、何年か前に桐野夏生さんの女子校を舞台にした小説を読んだ時は驚いた。女の子同士の嫉妬とか虚栄とか、ネガティブな感情がじっくり描かれていて、そこが面白いようなのだけれど、私には全然ピンと来なかったのだ。

うわ、それ私とおんなじ! と思っちゃって。そうなんだよなー。私も女子校出身なのですが、思春期の女子だけの世界ならではのどろどろ、みたいなの、あんまり分からないのだ。みんな、あの年頃は自分のことに手いっぱいで、いちいち他人に干渉してるようなヒマなかったよなあ? と、思ってしまうのだ。だから2月に読んだ、細川貂々『どーすんの? 私』(小学館)で言われていたような「女子校の大変さ」、なんてのも読んでて正直まったくピンと来ていなかった。

で、同じくそういうところにピンと来ない中野さんが、60歳を超えても微妙に持ち続けてる「女子校テイスト」みたいなのが、私のツボにはまり続けているのかもなあ、なんて。

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2008年4月17日

華恵『ひとりの時間 My Fifteen Report』

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ひとりの時間 My Fifteen Report

筑摩書房(2007年10月)【Amazon.co.jp】

Webちくまで現在も連載中(知らなかった!)のエッセイをまとめたもの。ついこのあいだ『小学生日記』)を読んで「すごい小学生だ」とびっくりしていたような気がするのに、この本の最後では、なんと中学を卒業していますよ!

これの少し前に出た、同じ筑摩書房の『本を読むわたし My Book Report』と違って、ここではテーマを本に特化せず、華恵ちゃんが日々の生活のなかで感じたこと考えたことを綴っています。ほとんどの場合、取りたてて波乱万丈な内容が書いてあるわけではないのですが、その分、華恵ちゃんの毎日が身近に感じられるようで新鮮……なんて言い方はストーカーっぽいか? でも、今となっては現役の女子中学生とおしゃべりすることなんてないから、やっぱり新鮮です。

まっすぐに、しなやかに、そして強くよい子に育っているなあ、ということが分かって嬉しい。周囲の大人の思惑どおりのよい子として育てられている、のではなく、自力で自分に合った栄養分を取捨選択して吸い上げてたくましく枝を伸ばしていってる、という感じ。

彼女がある意味でかなり恵まれた環境にいるというのも、たしかなのです。その辺の一般的な中坊には到底できないような経験もしてるし、お受験して入った中学校の校風もよさそう! でも、やはりそこから何かを受け取って内面化していく華恵ちゃんの吸収力と、浮かんだ考えをまとめて文章に落とし込んでいける表現力は、彼女が自分で獲得したものだもんね。

周囲の人びとに思いをはせるときの神経と想像力のめぐらせかたにも、繊細さと柔軟性が増している気がします。それが歳を食った者の目には、ときおりすごく健気に映る。

複雑な家庭環境にあり、外見的には黄色人種と白人の双方の特徴をあわせ持つ彼女は、今も彼女を直接知らない人からは偏見をぶつけられたりしているのだろうな、ということが、ちらりと察せられる記述もあります。学校の授業の一環で訪れた老人ホームでの、初対面のお婆さんとの対話とかね。でもそこで逃げて引きこもることも、周囲に攻撃的になることもなく、ただ自分で自分の心をどんどん鍛えて、明るいところを歩いていくスキルを昔から一貫して磨き続けている子なんだと思います。

また華恵ちゃんが今も、集団での学校課題に(時にめんどくさいという気持ちを正直に吐露しつつも最終的には)真面目に取り組み、家族やお友達を大事にする明るくやさしい女の子である一方で、本書のタイトルにもなっている「ひとりの時間」を慈しむ子でもあることが改めて感じられて、本当に嬉しかった。読みながら自分を省みて恥ずかしくなるくらい、内向性と外向性のバランスが取れているのだ。

本書の中頃に収録されているこの「ひとりの時間」という文章は、ある大人からどんなことをするのが好きかと尋ねられて「読書、ピアノ、生け花、山登り」と答えたら、相手の反応が思わしくなく……という出来事から書き起こされ、下記のように続きます。

「ひとり」で何かをする、というのは、ダメですか。いつも「みんな」と行動していないと、ダメですか。

そして、「ひとり」で何かに取り組んでいるときの自分の内面を鮮やかに描写し、その時間がいかに自分にとって意味を持っているかを、そして、ほかの人の存在(書物の中での出会いを含む)があるからこそ「ひとり」になれているのだというところまでを、平易な言葉使いできれいに分析してみせてくれるのです。

私自身が中学生の頃には、同じようなことを感じていても、こんなふうに言葉を連ね、感覚を異にする他人にも分かるように説明することは、たぶんできなかった(そもそも、他人に説明しようという気概がなかった)。これ、「よくぞ言ってくれました!」と思う読者は、子どもから大人まで、けっこう多いんじゃないかなあ。

なんとなく、榛野なな恵の漫画『Papa Told Me』の主人公、永遠の小学生である“知世ちゃん”が現実世界で中学生になってエッセイを書いたら、こういう感じかも……と思ったりしました。架空の誰かになぞらえるなんて、失礼かとも思うのですけれど。

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2008年4月19日

三浦しをん『仏果を得ず』

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仏果を得ず

双葉社(2007年11月)【Amazon.co.jp】

去年の12月に同著者の『あやつられ文楽鑑賞』(ポプラ社)を読んだあと、同じく文楽を題材にした小説のほうはどんなのかしら、と思って。三十路かそこらの主人公ですが、文楽の世界ではまだまだ若造扱い。そしてお話も、なんだかとっても「青春」してる(笑)。

伝統文化を描いた小説というと、なんとなく世俗と隔絶されたお家で代々受け継がれてきた血縁関係の濃い芸の世界……みたいなのを想像してしまいがちだったんですが、この物語の主人公は一般家庭から研修所を経て師匠に弟子入りし、お金がないので友達が経営するラブホテルの一室に住んで、ボランティアで小学生相手の文楽教室の先生をやってたりします。

そんなイマドキの青年が、伝統芸能である「文楽」に魅せられて、自分の未熟さと向き合いながら、何と引き換えにしてもよいくらいにこの世界で高みを目指しつづけていくことを欲している、その心情に、すんなりと共感できてしまうのは、三浦さん自身が、文楽の世界にどっぷり浸かって、しかも理解を深めるなかで作り手側の視点をも獲得しているからなのでしょう。

事前に『あやつられ文楽鑑賞』を読んでいたので、作者の舞台裏が透けて見えてしまう感じにちょっと居心地悪いものがあったりもした反面、なじみのない世界を舞台にした物語のわりにはディテールまで無理なく楽しめて面白さ倍増でもありました。

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2008年4月21日

酒井順子『携帯の無い青春』

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携帯の無い青春

幻冬舎(2007年11月)【Amazon.co.jp】

1966年生まれ(私より4つ年上)の酒井さんが振り返る、1970〜1980年代のあれこれ。懐かしいネタに「そうそう!」って思うよりもむしろ、同じものを見る視線が、こんなに違うんだなあ、というほうに感心。もちろん、単なる年齢差だけではないことは明白なのだけれど。

特に、70年代ネタにその違いが顕著。ピンクレディーの章とかね。だって私、本書で初めてちゃんと認識したんだけど、ピンクレディーのデビュー直後に渡米して、解散後に帰国してる……そりゃーデビュー曲以外あんまり記憶になくても無理ないわ。つーか、デビュー曲だけでも記憶に残っているというのがすごいわさすがだわピンクレディー。(とはいえ実は私、たぶんアメリカのテレビ番組で一度、ピンクレディー見たことあるよ。いきなり日本語でハモる振袖姿のお姉さん2人がスポットライト浴びながら画面内でクローズアップされて、司会者が「彼女たちの日本での人気ぶりをご覧ください」みたいなことを言い、2人がオープンカーの上から熱狂的なファン集団に手を振っている映像が出て、そのあと英語でも歌ってました。いきなり日本語が聞こえてきてソファからずり落ちそうになったので、今でも覚えている。)

で、酒井さんは、当時人気があったのは圧倒的にミーちゃんのほうだったと書いているのですが……ええええ、私の記憶と反対だよー。小学1年生だった私の周囲では、どっちかというとケイちゃんが人気で、私は
「ミーちゃんだって可愛いのに、世の中のひとたちは所詮、髪が長かったりと分かりやすく女らしいケイちゃんのような子を好むのであるなあ」
と、子供心に無常感を覚えたものでした。これは、1年生と5年生の差? それとも関西と関東の差? それとも、単に私の記憶が間違っているの? あるいは、顕著な人気の差が全国的に出てきたのは、私の渡米後だったのかも。酒井さんと1つ違いの同居人A氏に訊いてみたら、やっぱりミーちゃんのほうが人気だったと言ってました。

あと、酒井さんが高く評価(?)している「ペッパー警部」における“ガニ股”の振り付け。私あれ、大っ嫌いでした。あのお姉さんたちは、いったいなんであんな下品なしぐさをするのだろうって思ってました。あれにグッとくるためには、もうちょっと、少なくとも酒井さんくらいの年齢になっていなければならなかったのでしょうね。たしかに今でも覚えているってことは、インパクトあったんだろうな。

同じく小学生時代のネタだと、「口裂け女」の章もびっくりだったなあ。酒井さんの周囲では、みんなあれを本気で怖がって、お稽古事の教室から一人で帰れなかったり部活動が中止になったりしていたそうなのです。

うーん、たしかに口裂け女の話、記憶にあるけど……私の周囲では、あれを本気で怖がる子っていなかった気がする。もっと身近な、たとえば通っている小学校の旧校舎のトイレにお化けが出るらしい、みたいな噂は、本気にして泣いちゃってる子もいたけど、全国に広まっていた口裂け女の噂はみんな、単なる話のネタで済ませていたような。やはり、幼すぎて具体的に知っている場所に関わっていない漠然とした噂を怖がるだけの想像力がなかったのかもしれません。――あ、でも本書によると、マジで怖がる子が出ていたのは、酒井さんが小学6年生〜中学1年生の頃だったということなので、単に日本を離れていた私が、口裂け女の“全盛期”を知らないだけかも。コックリさんも、あれ、マジでやってた子なんていたの!? って思っていたけど、いたんですね。

さらにバブル期の話になると、完全に「東京」と「東京以外」では、感覚変わると思うし、この辺がかみ合わないのは、予想どおり。固有名詞出されてもなー。

一方、「そうそうそう、そうですよねっ!」と力強くうなずきながら読めたのが、雑誌『オリーブ』に関する章。とはいえここでもやはり、私が『オリーブ』のターゲット層にモロに入る年代だった頃、酒井さんはすでに女子大生コラムニスト「マーガレット酒井」として、この雑誌に連載を持っておられたのですが。うん、私も、もしなにかのめぐり合わせで酒井さんと対面することがあったら、まずは
「オリーブ、読んでました!」
って言っちゃうと思うな(そういうひとが多いのだそうです)。

……って、ついつい「自分のむかし語り」をしてしまいましたが。だってなんか、すごく「自分の記憶」を語りたくなる本なんだよー。たぶん、ここに挙がっているものが記憶にあるひとは、みんなそうなんじゃないかなあ?

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2008年4月22日

香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』

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ポケットは80年代がいっぱい

バジリコ(2008年3月)【Amazon.co.jp】

サブカルチャー(って何なのか、いまだにちゃんと定義が分かっていませんが)黎明期の渋谷で、ミニコミ系の雑誌の編集部に入り浸っていた、香山さんの大学時代のお話。精神科医としていろんな本を出すようになる前から、ライターとして活動してらしたこと自体、ほとんど知らなかったので、ちょっとびっくりでした。

1960年生まれの香山さんが語る、バブル景気が盛り上がる直前の80年代の東京は、自分の覚えている1980年代初頭とは、あまりにもかけ離れているのですが(まあその頃、私は関西で小学生やってたわけだから、当然だ)、今でも活躍しているようなさまざまな著名人が出てきて、「ほえー」という感じ。途中からは、ニューアカデミズムという言葉が広まって一般人のあいだでも有名になる直前の浅田彰や中沢新一も登場人物に加わり、巻末には現在の中沢新一と香山リカの対談ページ。

当時のサブカルチャー最先端にいて「カリスマ」だった人やその周辺の常識を超越した人々の描写など読んでいると、正直、私のようなものは「本で読む70年代の若者と印象似てるなあ」と思ってしまう。

んーとね、これの次に『らも 中島らもとの三十五年』(中島美代子)という本を読んだのですが、その中で描写されている、18歳頃の中島らも(1952年生まれ)や周辺の神戸の若者たちの遊び方やジャズ喫茶に入り浸って小難しいことをぐだぐだ言ってる感じと、なんかそこはかとなく共通する空気を感じてしまったのだ。

要するに、ある種の若者というのは、いつの時代だってそういうもの……なのでしょうか。大人たちが眉をひそめるような、一見堕落した毎日の中で、本人たちは真剣に自分の感覚を尖らせており、そのわけわからん活動の中から、何か時代に乗って突出したものが出てきて、ぱーっと光り出したり、のちのちまで残ったり、時代が一巡して復活したりするんでしょうね。

香山さんは結局、メジャーなメディアを介さない文化がそういう雑然とした中から生まれてきつつあるのを目の当たりにしつつも、規律のないカオスなコミュニティに完全に身を投じることはできないで(当時は、カリスマ編集長に言われるまま雑誌作りを優先させて大学を中退した人や、かなり「いっちゃってる」アブない活動をしている人もいたようです)、進路を変えることなく順当に医大を出てお医者さんになるわけで、当時から、渦中にいながらもちょっと腰の引けたポジションにいた香山さんの心情には、妙に共感できてしまった。

って、当時のそういう文化をきちんと知らないので、すごいポイント外した感想かも。うーむ。

このように、「80年代」とで言っても、そこで見ていた風景、感じていた気分は、それぞれの人によってかなり違うのではないだろうか。(あとがきより)

というのは、ほんとにそのとおりなんだろうなあ、と思う。前のエントリに感想を書いた酒井順子の『携帯の無い青春』に出てくる70〜80年代ともまた、香山さんの描く80年代は違うんだよね。酒井順子も香山リカと同じく、学生時代からライターとして活躍していたわけなんだけど。

80年代は、85年の「プラザ合意」(これが87年以降のバブル景気につながった)を境に分断されている――という指摘には、そうだったのかー、と今頃になって納得。ぼんやり中学生にとっては、当時話題になってたあれやこれやって、いつのまに世間はそんなことに? みたいな感じでした(そもそも、日本に暮らしていながら親の給料がドル建てだったので、あの円高バブル時代も、我が家の生活は地味でした)。

本書あとがきの中で言及されていた、原宏之『バブル文化論』(慶應義塾大学出版)にも、ちょっと興味アリです。著者は私と歳が近いみたいなので。

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2008年4月29日

細川貂々&ツレ『専業主夫ツレのプチベジ・クッキング』

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専業主夫ツレのプチベジ・クッキング

2007年6月(角川SSコミュニケーションズ)【Amazon.co.jp】

『ツレがうつになりまして。』のご夫婦の初の正式な共著。メインはツレさんのレシピやお料理コラムで、それに貂々さんが漫画でツッコミを入れたようなかたち。結婚する前からもともと凝り性だったツレさんは、うつで会社を辞めたことをきっかけに、現在は家庭内の家事責任者となっていらっしゃいます。

載ってるレシピは、昨今のコジャレたレシピ本を見慣れているとちょっと拍子ぬけするような、日常的なお総菜、といった感じのものが多い(この所帯臭さは、料理写真をツレさんが自分で撮ってるせいもあるかも……やっぱりプロの写真とは明らかに違ってて、よくも悪くも「リアルな生活感」が見えちゃう)。ただ、「アレルギー体質のため肉や魚が食べられない(かつおぶしで出汁を取る程度なら大丈夫)」、「子供の頃はヨーロッパに住んでた」というツレさん本人の事情と、「イグアナを飼っているため、やたら葉野菜やカブを買う(イグちゃんがカブの葉好きなので、本体の白い部分が大量に残る)」という細川家の事情が如実に反映されたラインアップになっていて、ご夫婦の食事風景を覗き見しているような気分に(笑)。

レシピに添えられている、貂々さんの漫画が、ますますその「覗き見」感を強めています。なぜなら、ツレさんとはまったく違う食環境で育ってきた貂々さんは、ツレさんの日々の料理を決して手放しの称賛とともに受け入れているわけではないことが、漫画のなかでは率直に語られているのです。

正直、こんなお料理本、初めて見た! 普通、商業出版されるようなレシピ集って、「美味しいよ、周囲にも好評だよ」ってことしか書かないよね? でも本書ではときおり、ツレさんが子供の頃の思い出の味のレシピや、ベジタリアンとしての工夫を凝らしたレシピを書いてる、すぐ隣のページに、貂々さんが「これあんまり好きじゃない」とか、「眉間に皺寄せ」みたいな雰囲気の漫画を描いてたりするんだ(大笑い)。

でも……そうなんだよな、結婚生活って、そうだよねえ? どんなに気が合う相手でも、一緒に暮らしてみて初めて「えええ!? 普遍的と思っていた部分の感覚がおそろしく食い違ってるよ!」みたいなの、絶対あるよねえ(しみじみ)。それでも、ずっと一緒にいるうちに、だんだんと新たな基準や妥協点が見出されてきたりしてね。なんか読んでるうちに、レシピそのものよりもむしろ、そういった「夫婦の寄り添い」が透けて見えるところが、この本の醍醐味なのかもって気がしてきた。

私個人はどっちかといえば、育ってきた食環境は、貂々さんよりもツレさんのほうに近いのかなあ? というか、わりと雑食度が高い。洋風・和風、東南アジア風、どんな味付けもそこそこOK。フランス育ちのツレさんほど本格的なものが出てたわけじゃないけど、キッシュやじゃがいも入りのスペインオムレツは、亡くなった実母がよく作ってくれて子供の頃よく食べてたし、青カビ系のチーズなんかも小さい頃から大好き。貂々さんは、どれもツレさんに出会うまで食べたことがなかったそうです。

あと、この本を読んでるうちに、やたらオートミールのお粥を食べたくなってきました。同居人A氏も貂々さんと同じく「粥と言えば米!」の人なので、一人暮らし時代は常備品だったのに、そういえば結婚してからはほとんど作ったことなかったや。今度、買ってこよう。でもツレさんは、煮るときから牛乳入れちゃうんだね。私の家では、水だけで煮たオートミールに、あとから牛乳をかけて食べてました。こういうところでも、各家庭の差ってあるんだ。面白い。(つか、もしかして私の実母のオートミールの作り方のほうが異端? でも牛乳で煮込むとタンパク質が固まってモロモロが出ませんか? いや、オートミールそのものがモロモロな感じなので、あんまり関係ないのか?)

さて、ちょうどこれ読んだ数日後に近所の八百屋さんでカブが安かったので、ツレさんのレシピで「かぶのマリネ」を作ってみました。漬け込んだカブに粉チーズをかけるというのが、ワタシ的には「大丈夫か?」という感じで、食卓にはかけずに出して「よかったらレシピどおりにかけて試してみて」と言ったのですが、意外や意外、私より味覚が保守的なはずの同居人A氏にも、チーズありのほうが好評。

ただ、A氏はもともとちょっと「酸っぱいもの」が苦手なので、単にチーズをかけたほうが、酸味が緩和されるからというだけの理由かも。本のレシピよりも心持ち、甘めのマリネ液にしたんですけどね。A氏が酸味の強いものを敬遠しがちなので、大体いつも、我が家のサラダのドレッシングやマリネは、世間一般よりもお酢が少なめだったり甘味が強めだったりします。レモンのかわりにシークヮーサーを使うとか。同居している義母に、「お酢は身体にいいんだから、Aにはお酢のものなんかもちゃんと食べさせてね!」ってちょくちょく言われるのを免罪符として、A氏が苦手なのを知りながら、それなりに酸っぱいおかずも作るのです。実は私が食べたいから。ははは。

――そう、ツレさんと貂々さんの食生活が、おふたり固有の事情で特徴づけられて、裏でさまざまな攻防戦が繰り広げられているのと同じように、うちだって、いつのまにか私たち固有の事情や思惑が反映された味が定着してきてるんだよなあ。

どこのご家庭も、そんなものなのでは。

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2008年4月30日

Shanna Swendson "Don't Hex with Texas"

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Don't Hex with Texas

Ballantine Books(2008年4月)【Amazon.co.jp】

創元推理文庫から出ている<(株)魔法製作所>シリーズの4作目。タイトルからも分かるように、主人公ケイティの故郷であるテキサスの小さな町が舞台です。

もともとは、ケイティも大人になってニューヨークに出てくるまで自分の特殊な体質にまっっったく気付かずにいたほど、これまでずっと魔法的要素皆無だった田舎町で、いきなり奇妙な出来事が起こり始めます。未知の魔法使いによって悪事がおこなわれているらしいと判断したケイティは、背後にイドリスがいる可能性も考え、マーリンに連絡をとりますが、調査のためにやって来たのはもちろん……!?

前作では、オーウェンが育った家や町が出てきましたが、今度はケイティがどんな環境で生まれ育ったかが分かります。オーウェンの場合とは対照的に、とってもにぎやかな大家族。お兄さんたちは一応みんな結婚して家を出ているんだけど、全員近くに住んで職場も同じなので、奥さんや子供も加わって、かなりすごいことになってます。プライバシーを守るのも一仕事。基本的によい人たちなんですが、末っ子のケイティが都会に行ってOLとして暮らしてみたいと思った気持ちも分かるなあ。そうそう、初登場のケイティの母方のおばあちゃんが、とっても素敵(笑)。

それにしても、ケイティとオーウェン、2作目で晴れて両想いになったカップルのはずなのに、4作目でまだこんなにじれじれで、盛り上がれずにいるって、すごいよ。お互いが過度に控え目で、最後の最後になるまで間合いをはかりすぎちゃってる感じ。ケイティは自分が一人で空回りしているように感じてフラストレーションためているけれど、そしてケイティの目に映るオーウェンは仕事の鬼になってるあいだは恋愛方面では相変わらず、なかなか感情が見えない人だけど、たぶんオーウェンも3巻ラストのあれ以来、独りでぐるぐるしちゃっているんだよなあ。なぜそこで、腹を割った話し合いができない! と、こっちはやきもきしながらページをめくるわけですが、そういう性質のペアだから仕方ない。

3作目の原書が出たときに、本当は5作目も書くつもりだったけれど、4作目までしか出版社のGOサインが出なかった、というような話が著者ブログに書いてあって、もったいないなあと思っていましたが(当ブログ2007年6月の記事を参照のこと)、とりあえず、主人公たちが直接的にわずらわされていた当面の問題には本書で一応の決着がつきます。

邦訳が出るに違いない作品なのでネタばれせずにおこうと思うと、具体的に書くのが難しいのですが、今回も魔法と現代的ツールが組み合わさって引き起こされるてんやわんやが、大変、楽しゅうございました。イドリスは、ほんと「思いつき」だけは素晴らしい子なんだよなあ(笑)。そう来ましたか! って思ったもん。

ただ、シリーズ当初から最終的にはもっとスケールの大きい展開にしていくんだろうと、なんとなく予測していた部分が、結局そこまで行かずに終わっています。たとえば、あのマーリンが眠りから目覚めて現代によみがえるほどの敵にしては、やけに小物感バリバリだったイドリス(そして資金提供者だったシルヴィア)の背後で糸を引いている、黒幕の正体とか、何か大きな事情があって本当の両親から引き離されたと考えられるオーウェンの出自(そして並はずれた魔力)にまつわる秘密とかは、前の巻でも思わせぶりな記述があったはずなのに、明らかにされないままなのですよ。この辺がぜひぜひ知りたかったのに!

まあでもつまり。一応はまとまりのあるエンディングにはなっていますが、著者と出版社の条件がそろえば、ぜんぜん不自然なことなく続けられそう、続編の余地は大アリ……ってことですな!

現在、著者公式サイトのトップページからリンクされているFAQでは、少なくとも5作目までは書きたい、さらに同じキャラで新シリーズの構想もある、というような回答になっているので、まだまだ希望は捨てません!

続編さえちゃんと出るのなら、上に書いたような「謎のまま終わったこと」って、これからもしばらく読者(そして主人公)に分からないままにしておいたほうが、面白いと思うんだよね。

追記:
2009年2月に邦訳出ました。
コブの怪しい魔法使い―(株)魔法製作所 (創元推理文庫)
シャンナ・スウェンドソン『コブの怪しい魔法使い』
(訳:今泉敦子/創元推理文庫,2009年2月)
【Amazon.co.jp】

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2008年4月に読んだものメモ

読了本 | 書籍・雑誌

いつになく(私にしては)せっせと本の感想を書いて更新していたら、映画の感想を書きそびれました。3月に観た金城くんの『Sweet Rain 死神の精度』、もしかしてもう巷ではとっくに上映、終わっているのでは。こっちに、ひとことだけコメント載せましたが、もしちゃんとした感想文を待ってたかたがいらっしゃったらすみません。書く気はあります。4月に入ってからも、また観ました。

あと4月には、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『マイ・ブルーベリー・ナイツ』も観ましたよ。『Sweet Rain〜』が金城ファン的には美味しい映画だったのと同じく、これも王家衛ファン的には非常にツボな映画でございましたが、一般の映画ファンにとってどうだったかは正直、よく分かりません。



香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』(バジリコ,2008年3月)
まだバブルで浮足立つ前の東京において、香山リカさんがまだ学生で、黎明期のサブカルチャーにどっぷりつかっていた頃のお話。香山先生のルーツはここにあったのか。別途、感想文を書きました。【Amazon.co.jp】


華恵『ひとりの時間 My Fifteen Report』(筑摩書房,2007年10月)
1991年生まれ、現在16歳の著者の3冊目。中学卒業までの身辺雑記エッセイ。1冊目の『小学生日記』からずっと読んでいますが、前から持っていた率直さと繊細さと心の強さをそのまま伸ばして、まっすぐに育っていっていることがうかがえて、なんだかとても嬉しい。別途、感想文を書きました。【Amazon.co.jp】


角田光代『八日目の蝉』(中央公論新社,2007年3月)
 不倫相手の赤ん坊を誘拐して新興宗教施設に逃げ込んだ女が主人公の前半と、本当の両親のもとに戻されて大きくなった子供の視点から語られる後半。スキャンダラスな題材ですが、犯罪者であるはずの前半の主人公の、そこまでやってしまう気持ちの切実さが胸に迫ってきて、さらってきた娘とのあいだに築き上げる束の間の幸福が美しく貴重なものに思え、つい「逃げて!」という気持ちになってしまった。
 後半では、さらわれた娘がその後、実の両親のもとに戻されても本当の家族として受け入れられはしないままだったことが分かります。むしろ、事件をきっかけに、もともと水面下ではほころびを見せていた家庭が、どんどんバラバラになっていっている。さらわれた子にしてみればしかし、そんなのまったく、自分のせいじゃありません。それでも、閉塞感のある状況から先へ進もうとしていく、年若い主人公の最後の姿勢が、さわやかでした。これからどうなるのか、まるっきり未知数なところで終わってるけど。【Amazon.co.jp】


中島美代子『らも 中島らもとの三十五年』(集英社,2007年7月)
中島らも(1952-2004)の死後に、奥さんが書いた本。らもが高校生、美代子さんが短大生だったときの出会い、結婚して子供が生まれた直後の真面目な会社員時代、一時期の自宅に「ヘルハウス」とあだ名が付くような生活、人の期待に応えようとする生真面目さの裏返しとしての躁と鬱……。
 私は、中島らもさんの作品はあまり知らなくて、「なんだか面白い人だけどアル中小説は実体験がベースなんだよねえ? 麻薬取締法違反で逮捕されてたよねえ? ということは、けっこうハチャメチャな人? 奥さんはさぞかし大変だったのでは……」などと漠然とイメージしていただけだったのですが、これを読むと、むしろ奥さんの美代子さんのほうが、キャラとしては突き抜けてる感じがありました。この人の夫をやるのは、らもさんくらいの人じゃないと駄目だったろうなあ、みたいな。【Amazon.co.jp】


穂高明『月のうた』(ポプラ社,2007年10月)
 4つのお話が入った、連作短編集。実母を亡くしてまだ継母に馴染みきれない中学生の女の子、夫の連れ子のあまりの優等生ぶりに引け目を感じてしまっている継母、女の子を見守り続ける亡母の親友、そして最後に女の子の父親……と視点が移っていきます。なんだかんだあっても、徐々に互いに受け入れ合った新しい家族ができあがっていく。
 やー、この女の子があまりに人間の出来たよい子で。こんな子を嫌いになる人はいないでしょう。実母の死後も父親の再婚後もかなり駄目駄目でいーかげんな娘だったワタクシとしては、尊敬です。【Amazon.co.jp】


平野恵理子『きもの、着ようよ!』(ちくま文庫,2008年3月/親本:筑摩書房2003年12月)
 実はこの4月から、義母とふたりで着付け教室に通い始めました。まだぜんぜんうまくいかなくて、悪戦苦闘中(汗)。とにかく私の場合、実践に至る以前に、和服に関する基礎知識もなさすぎる! すごく小さかった頃は、実母が和裁を習っていたり子連れでお茶会に行く趣味があったりしたので、着物を着る機会もちょっとはあったんですけれど、当時は自分で選んで着ていたわけじゃないからなあ。
 数ある「着物入門書」のなかで、とりあえずの1冊目に平野恵理子さんの本を選んだのは、今年の1月にこの人の別の本を読んで、「ものごとの楽しみ方は既存の考え方に固まらず自力で見つけていこうよ」という論調と、かわいいイラストに馴染んでいたから。ちょうど文庫落ちしたばかりで、書店でも平積みだったしね。
 織りや染めのことなどについてさえ、独特の絵柄によるイラストでしか図解されていないうえ、それらを文庫化の際にそのまま縮小しちゃっているので、興味がわいたところに関しては、写真付きの本を別にゲットしたほうがよいのかも(もちろん、実物を見るのがいちばんなんでしょうけど)。
 でも、平野さんが、基本的なことは押さえつつも、自分の判断で気軽に着物を毎日の生活に取り入れ、楽しんでいるようすがうかがえて、「和服って決まり事が細かいし、怖いなあ」と怯えていたのが、ちょっと肩の力、抜けました。【Amazon.co.jp】


絲山秋子『袋小路の男』(講談社文庫,2007年11月/親本:講談社2004年10月)
 表題作「袋小路の男」は、高校時代から12年間ずっと特に進展もないままの片思いのお話で、片思いしている女性側からの一人称。次に収録されている「小田切孝の言い分」では、前作の語り手の視点と、片思いされている側の男性の視点を交互に出しながら、同じ状況が三人称で語られます。1作目では、ただひたすら、女性側が真意の分からない相手に振り回されているだけのように思えていたのが、2作目を読むと、男性側も相手の真意がよく分かってなかったり、自分側の事情ではっきりしたことを言えずにいたりしています。淡々と、そんな関係が続いていく。そういうのを臆病だとかずるいとか言うのは簡単。でも結局、ここまで極端(ドラマティックという意味ではなく)じゃなくても、互いに踏み込んで決定的な白黒をつけないまま続いていく、そういう人間関係って、わりとありがちなのかもしれませんね。男女関係でそれをやられると、もどかしくなっちゃうけど。2作を続けて読むからこその面白さ。
 収録されている3つ目の作品「アーリオ オーリオ」も、遠いような近いような不思議な距離感が印象に残るお話でした。【Amazon.co.jp】


細川貂々&ツレ『専業主夫ツレのプチベジ・クッキング』(角川SSコミュニケーションズ,2007年6月)
 フランス育ちで、ゆるいベジタリアンで、ペットのイグアナくんたちのために大量に買い込んだ野菜の残りの処理に燃えるツレさんの野菜中心レシピ集に、奥さんの貂々さんが漫画を付けたもの。「食」をめぐる夫婦のスタンスの違いと歩み寄りが垣間見えるところが面白かった。別途、感想文を書きました。【Amazon.co.jp】


能町みね子(絵と文)『オカマだけどOLやってます。ナチュラル編』(竹書房,2007年12月)
 2007年10月に読んだ『オカマだけどOLやってます。』の続編。前の本では、身体は男性でも自分は女性として生きていったほうが楽みたい、ということに気付く前の、違和感を抱きつつ男の子をやってた頃のことなども書かれていましたが、こっちははっきり「OL」として会社勤めを始めてからの日々のあれこれがメイン。男性だったこともある女性(この時点では身体的にはまだ男性)として、どういうところで戸惑ったり面白かったりするのか、というのが女性しかやったことない身には「ほほー」って感じでした。次の巻で、手術を受けて身体的にも女性になるみたいです。【Amazon.co.jp】


平野由希子『料理研究家のつくりかた』(白夜書房,2007年6月)
 平野由希子さんのお料理本、気がついたら何冊も持ってました。うちは煮込みものやオーブン料理が出る頻度が高いので、ル・クルーゼ大好きな平野さんのレシピは、ちょうどいいのです。今回読んだこれは、その平野さんの初のエッセイ集。もちろんレシピ付き。
 お仕事としてレシピを考案する際の、いろんな制約(雑誌ごとに使える道具や調味料が違うとか)や、写真付きのレシピが雑誌に載るまでのプロセスなんかは、初めて知ることが多くて興味深かった。雑誌のレシピ特集を見る目がちょっとだけ変わりそう。
 また、文字数を絞るためにいつもは敢えて削ぎ落としているけど本当は作りながら脳裏にものすごくいろんなポイントが浮かんでいるというお話(実際に、「書きたいことすべてを盛り込んだラタトュユのレシピ」が掲載されているのですが、なんとまるまる1章、これに終始しちゃってる)とか、お料理ができていくときの匂いが好きでわざと換気扇を回さずにいるお話とか、雑誌撮影のために朝から晩まで大量にお料理を作ったのに、仕事が終わったら自分用にまたお料理したくなるお話とか、パリのお友達の家に泊めてもらっても、そこのキッチンでひたすら楽しく毎日お料理しているお話とかは、読んでると、この人って、なるべくして料理研究家になったのだなあって感心。とにかく、寝ても覚めてもお料理なんですね。【Amazon.co.jp】


ソニア・パーク『ソニアのショッピングマニュアル』(マガジンハウス,2004年10月)
 最近になって、第2弾の発売とともに『ソニアのショッピングマニュアル 1 新装版』として改めて出ているようですが、私が読んだのは図書館で借りた古いほうです、すみません。ソウル生まれハワイ育ちで、日本を拠点として活躍中のスタイリストである、買い物好きの著者が、ウィンドウショッピングではなく本気のお買い物道に邁進する "serious shopper" たちに贈る、さまざまなジャンルの良品紹介。
 ぶっちゃけた話、いくら「マニュアル」と銘打たれていても、一般人でここに書かれているソニアさんの買いっぷりを、そっくりそのまま踏襲できる人なんて、そうそういないでしょう。良質で流行に左右されないデザインだからって、シーズン毎にセーター1枚20万円、アナタ出せますか!?(少なくともワタシは出せません。)とはいえ、ちょっと背伸びすれば手が届く範囲のものもあったりして(小物やお菓子など)、いつかそのうちもしかしたら……と「夢を見る」にもちょうどいい配分かも。そんなこんなで、本来のターゲット読者は「シリアス」なショッピングをしたい人かもしれませんが、あくまでも目の保養、心の栄養補給として、気軽なウィンドウショッピング的に読ませていただきました。どこがどうよいのかを説明してくれる際の語り口の熱さ、各ブランドの背景解説などのうんちくも面白い。
 それと、ソニアさんのお買いもの、たしかに当方の可処分所得範囲とは桁が違うんだけど、ファッション業界で仕事をする身として、頑張ってほしいブランドやデザイナーを応援する意味もあるんだっていう主張も、非常によく分かるので、読んでてヒガミ心が湧いてこないんだよね。【Amazon.co.jp】


シャンナ・スウェンドソン『おせっかいなゴッドマザー』(訳:今泉敦子/創元推理文庫,2008年3月/原書 Shanna Swendson "Damsel Under Stress" 2007)
 <(株)魔法製作所>シリーズの3作目。原書は、去年の6月に読んでいます。あの原題(damsel in distressのもじり)に、どういう邦題を付けてくるのかなあと楽しみにしていたら、こう来ましたか! たしかに、そういう話だ! 的確だ! そして原書で読んだときは、Fairy godmotherって日本語でなんて言うんだろって思いつかずにいたんですが、「フェアリーゴッドマザー」でよかったのか。ははは。
 ところで、この邦訳版の巻末解説(妹尾ゆふ子)では、ヒロインの「自信のなさ」が分析されていたのですが、そういえば最初に読んだとき、私はここの部分には、あまり注目していなかったのですね。で、それがなぜかと言うと……この「十二時の鐘が鳴りっぱなしのシンデレラ(解説文より)」のような、ものすごく疲れそうなメンタリティは、ケイティにとってデフォルトであると同時に、私にとっても、あまりにも「自然」であったからなのではないか、と。私もたぶん、マズいとどこかで思いつつ、こういう状況下に置かれたら、ケイティとまったくおんなじ行動パターンに陥る気がする……。ちょっとヘコんだ(笑)。でも作品世界への愛にあふれた素敵な熱い解説でした。【Amazon.co.jp】


Shanna Swendson "Don't Hex with Texas" (Ballantine Books, 2008年4月)
 上記<(株)魔法製作所>シリーズの4作目。舞台をテキサスの田舎町に移して、ケイティの家族が勢ぞろい。相変わらず楽しかった。でも相変わらず、主役の2人はじれったかった(笑)。この人たちが仕事と恋愛を両立できるようになるには、オーウェンにもちょっと変化してもらわないといけなかったんですね。別途、感想文を書きました。【Amazon.co.jp】


以下、漫画本。


西原理恵子『毎日かあさん 4 出戻り編』(毎日新聞社,2007年7月)
 西原さんの、子どもたちふたりが出てくる漫画は、いつも「正しい生命力」と言いたくなる何かを感じます。豪快で直観的で、ときに破天荒で、でも決して、外しちゃいけないところを外さない子育て。それは、子どもたちのお父さん(カメラマンの鴨志田譲さん)がガンで亡くなってしまうところまでが描かれているこの本でも、同じ。だからこそ、ストレートに悲しい。【Amazon.co.jp】


いなだ詩穂(原作:小野不由美)『ゴーストハント』第10巻(講談社,2008年4月)
 しばらく出ないうちに、なんか絵柄変わった……? いよいよ、ラストに向けて本格的に動き出しましたねえ。原作の「悪霊」シリーズを読んでしまっているのでオチ(?)は分かっているのですが、この漫画版は全体的に、伏線を丁寧に書き込んでくれてて、キャラも鮮明に立ってて、可愛い絵柄なのに怖いシーンはちゃんと怖くて、とてもよかったと思う(って、つい過去形にしてしまったが、まだ終わってませんよ)。原作小説の挿絵とはぜんぜん違うんだけど、もうこのシリーズのキャラのビジュアルイメージは、いなださんバージョンの設定でしか思い浮かばない。【Amazon.co.jp】


高津カリノ『WORKING!!』第5巻(スクウェア・エニックス,2008年4月)
 ドラマCDを聴く習慣がないので、買ったのは付録のない通常版です。分かりやすすぎだよ自分と思いつつ、伊波さんと佐藤くんをそれぞれ別々に絶賛応援中。【Amazon.co.jp】


細川貂々『その後のツレがうつになりまして。』(幻冬舎,2007年11月)
 去年の8月に読んだ『ツレがうつになりまして。』の続編。1冊目を出したあとの反響や、あとになって初めて知ったこと、そして薬を飲まなくても大丈夫になったけど、昔のような「スーパーサラリーマン」ではなくなった、ツレさんの現在について。こういう、補足というか「アフターケア」的な本を出してくれるというのは、とても誠実な感じがしますね。
 前作よりも全体的にページ構成がシンプル、悪く言えば読むところが少ないのですが、Amazonの顧客レビューで、「これならうつの人にも読めそう」的な意見があるのを見て、はっとしました。そういえば前作のレビューでは、「実際にうつに陥っている最中の人には読み通せない」みたいな意見が出てたっけ。今回のこのシンプルさが、そこまで考えてのことなのかどうかは分からないけど、結果的には功を奏しているのでしょう。【Amazon.co.jp】

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All texts written by NARANO, Naomi.