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2008年4月17日

華恵『ひとりの時間 My Fifteen Report』

読了本 | 書籍・雑誌

ひとりの時間 My Fifteen Report

筑摩書房(2007年10月)【Amazon.co.jp】

Webちくまで現在も連載中(知らなかった!)のエッセイをまとめたもの。ついこのあいだ『小学生日記』)を読んで「すごい小学生だ」とびっくりしていたような気がするのに、この本の最後では、なんと中学を卒業していますよ!

これの少し前に出た、同じ筑摩書房の『本を読むわたし My Book Report』と違って、ここではテーマを本に特化せず、華恵ちゃんが日々の生活のなかで感じたこと考えたことを綴っています。ほとんどの場合、取りたてて波乱万丈な内容が書いてあるわけではないのですが、その分、華恵ちゃんの毎日が身近に感じられるようで新鮮……なんて言い方はストーカーっぽいか? でも、今となっては現役の女子中学生とおしゃべりすることなんてないから、やっぱり新鮮です。

まっすぐに、しなやかに、そして強くよい子に育っているなあ、ということが分かって嬉しい。周囲の大人の思惑どおりのよい子として育てられている、のではなく、自力で自分に合った栄養分を取捨選択して吸い上げてたくましく枝を伸ばしていってる、という感じ。

彼女がある意味でかなり恵まれた環境にいるというのも、たしかなのです。その辺の一般的な中坊には到底できないような経験もしてるし、お受験して入った中学校の校風もよさそう! でも、やはりそこから何かを受け取って内面化していく華恵ちゃんの吸収力と、浮かんだ考えをまとめて文章に落とし込んでいける表現力は、彼女が自分で獲得したものだもんね。

周囲の人びとに思いをはせるときの神経と想像力のめぐらせかたにも、繊細さと柔軟性が増している気がします。それが歳を食った者の目には、ときおりすごく健気に映る。

複雑な家庭環境にあり、外見的には黄色人種と白人の双方の特徴をあわせ持つ彼女は、今も彼女を直接知らない人からは偏見をぶつけられたりしているのだろうな、ということが、ちらりと察せられる記述もあります。学校の授業の一環で訪れた老人ホームでの、初対面のお婆さんとの対話とかね。でもそこで逃げて引きこもることも、周囲に攻撃的になることもなく、ただ自分で自分の心をどんどん鍛えて、明るいところを歩いていくスキルを昔から一貫して磨き続けている子なんだと思います。

また華恵ちゃんが今も、集団での学校課題に(時にめんどくさいという気持ちを正直に吐露しつつも最終的には)真面目に取り組み、家族やお友達を大事にする明るくやさしい女の子である一方で、本書のタイトルにもなっている「ひとりの時間」を慈しむ子でもあることが改めて感じられて、本当に嬉しかった。読みながら自分を省みて恥ずかしくなるくらい、内向性と外向性のバランスが取れているのだ。

本書の中頃に収録されているこの「ひとりの時間」という文章は、ある大人からどんなことをするのが好きかと尋ねられて「読書、ピアノ、生け花、山登り」と答えたら、相手の反応が思わしくなく……という出来事から書き起こされ、下記のように続きます。

「ひとり」で何かをする、というのは、ダメですか。いつも「みんな」と行動していないと、ダメですか。

そして、「ひとり」で何かに取り組んでいるときの自分の内面を鮮やかに描写し、その時間がいかに自分にとって意味を持っているかを、そして、ほかの人の存在(書物の中での出会いを含む)があるからこそ「ひとり」になれているのだというところまでを、平易な言葉使いできれいに分析してみせてくれるのです。

私自身が中学生の頃には、同じようなことを感じていても、こんなふうに言葉を連ね、感覚を異にする他人にも分かるように説明することは、たぶんできなかった(そもそも、他人に説明しようという気概がなかった)。これ、「よくぞ言ってくれました!」と思う読者は、子どもから大人まで、けっこう多いんじゃないかなあ。

なんとなく、榛野なな恵の漫画『Papa Told Me』の主人公、永遠の小学生である“知世ちゃん”が現実世界で中学生になってエッセイを書いたら、こういう感じかも……と思ったりしました。架空の誰かになぞらえるなんて、失礼かとも思うのですけれど。

Posted at 2008年4月17日 13:37



All texts written by NARANO, Naomi. HOME