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2008年4月22日

香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』

読了本 | 書籍・雑誌

ポケットは80年代がいっぱい

バジリコ(2008年3月)【Amazon.co.jp】

サブカルチャー(って何なのか、いまだにちゃんと定義が分かっていませんが)黎明期の渋谷で、ミニコミ系の雑誌の編集部に入り浸っていた、香山さんの大学時代のお話。精神科医としていろんな本を出すようになる前から、ライターとして活動してらしたこと自体、ほとんど知らなかったので、ちょっとびっくりでした。

1960年生まれの香山さんが語る、バブル景気が盛り上がる直前の80年代の東京は、自分の覚えている1980年代初頭とは、あまりにもかけ離れているのですが(まあその頃、私は関西で小学生やってたわけだから、当然だ)、今でも活躍しているようなさまざまな著名人が出てきて、「ほえー」という感じ。途中からは、ニューアカデミズムという言葉が広まって一般人のあいだでも有名になる直前の浅田彰や中沢新一も登場人物に加わり、巻末には現在の中沢新一と香山リカの対談ページ。

当時のサブカルチャー最先端にいて「カリスマ」だった人やその周辺の常識を超越した人々の描写など読んでいると、正直、私のようなものは「本で読む70年代の若者と印象似てるなあ」と思ってしまう。

んーとね、これの次に『らも 中島らもとの三十五年』(中島美代子)という本を読んだのですが、その中で描写されている、18歳頃の中島らも(1952年生まれ)や周辺の神戸の若者たちの遊び方やジャズ喫茶に入り浸って小難しいことをぐだぐだ言ってる感じと、なんかそこはかとなく共通する空気を感じてしまったのだ。

要するに、ある種の若者というのは、いつの時代だってそういうもの……なのでしょうか。大人たちが眉をひそめるような、一見堕落した毎日の中で、本人たちは真剣に自分の感覚を尖らせており、そのわけわからん活動の中から、何か時代に乗って突出したものが出てきて、ぱーっと光り出したり、のちのちまで残ったり、時代が一巡して復活したりするんでしょうね。

香山さんは結局、メジャーなメディアを介さない文化がそういう雑然とした中から生まれてきつつあるのを目の当たりにしつつも、規律のないカオスなコミュニティに完全に身を投じることはできないで(当時は、カリスマ編集長に言われるまま雑誌作りを優先させて大学を中退した人や、かなり「いっちゃってる」アブない活動をしている人もいたようです)、進路を変えることなく順当に医大を出てお医者さんになるわけで、当時から、渦中にいながらもちょっと腰の引けたポジションにいた香山さんの心情には、妙に共感できてしまった。

って、当時のそういう文化をきちんと知らないので、すごいポイント外した感想かも。うーむ。

このように、「80年代」とで言っても、そこで見ていた風景、感じていた気分は、それぞれの人によってかなり違うのではないだろうか。(あとがきより)

というのは、ほんとにそのとおりなんだろうなあ、と思う。前のエントリに感想を書いた酒井順子の『携帯の無い青春』に出てくる70〜80年代ともまた、香山さんの描く80年代は違うんだよね。酒井順子も香山リカと同じく、学生時代からライターとして活躍していたわけなんだけど。

80年代は、85年の「プラザ合意」(これが87年以降のバブル景気につながった)を境に分断されている――という指摘には、そうだったのかー、と今頃になって納得。ぼんやり中学生にとっては、当時話題になってたあれやこれやって、いつのまに世間はそんなことに? みたいな感じでした(そもそも、日本に暮らしていながら親の給料がドル建てだったので、あの円高バブル時代も、我が家の生活は地味でした)。

本書あとがきの中で言及されていた、原宏之『バブル文化論』(慶應義塾大学出版)にも、ちょっと興味アリです。著者は私と歳が近いみたいなので。

Posted at 2008年4月22日 17:00



All texts written by NARANO, Naomi. HOME