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2008年7月15日

勝間和代『勝間和代のインディペンデントな生き方実践ガイド』

読了本 | 書籍・雑誌

勝間和代のインディペンデントな生き方実践ガイド

ディスカヴァー携書(2008年3月/親本『インディでいこう!』2006年1月)【Amazon.co.jp】

去年の秋に休業宣言をして以来、今も明るい無職生活を満喫しています(ただし、いまだに病院には通っているし、以前と比べて自分のための支出をかなり抑えているつもりでも、自分名義の貯金はじわじわと目減り中)。

ささやかながら、前々からやりたいと思ってたことにも手を出してみたりして、ヒキコモリ度も緩和され知り合いも増えて、なんだか私にしては穏やかに充実した毎日。ちなみに、最近いちばん強烈にしみじみと「幸せだなあ!」という思いが込み上げたのは、モヤシ(1袋22円)のひげを1本1本、取っているときのこと。なんだか一瞬、すごく余裕のある人になれたような気がして(笑)。

そんなこんなで、めっきり労働意欲が低下してしまっている今日この頃です。しかしながら、先日ふと魔がさして(?)、ちょっくらこの辺でがっつり稼いでいる人の本でも読んでみっかー、と思ってしまったのでした。

そう思えるようになったことだけでも、私にとっては、かなりの進歩かもしれません。仕事の受注をやめた直後は、全力投球で働く女性が主人公の小説なんかを読むだけでもどっと疲れが出て、途中で本を閉じてしまったりしてましたから。

というわけで、掲題の書は、ここんとこあちこちでお名前を見かける経済評論家の勝間和代さんが、まだ今ほど有名じゃなかった頃、初めて出した単著の再リリース版。若い女性に向けて、仕事や生活への取り組み方について説いたもの。

本書の中で勝間さんは、女性のライフスタイルの対極的な2つのモデルとして、経済的・精神的に自立した「インディ」と、依存的な「ウェンディ」という、2タイプを挙げています。

さて、自立しているいい女として定義される「インディ」の条件とは

 1. 年収600万円以上(≒働く女性の上位10%)
 2. 自慢できるパートナーがいる
 3. 年をとるほど、すてきになっていく

だそう。各項目に関する根拠と定義付けの説明は非常に具体的で明確で、なるほどこの条件を満たしている人ならば、さぞかし充実した毎日を送っていることでしょう。

ただ、その「インディ」自体が、社会の中で補助的な役割に甘んじて経済的には配偶者などに依存せざるを得ないこともある「ウェンディ」たちを踏み台(というのは言葉が強すぎるか?)とすること前提というのが、ちょっと引っかかりはします。いくら、昔に比べて「ウェンディ」の居場所が狭くなってきていると言っても、現状、ゼロでは社会は回らない。あるグループが全体の「上位」とみなされるためには、必ず同じ評価軸に基づいて「下位」のグループが存在していなければならないのです。

たとえば、勝間さんは頑張りすぎず自然体で仕事と家庭を両立させた生活を維持するために、家事サービスの導入も検討してみては、とおっしゃっていますが、そういった家庭内のこまごまとした雑事(勝間さんオリジナルの表現ではありませんが、「家庭での産廃処理」という非常にネガティブな響きの言葉が使われています)を外注したとして、それを受けてやってくるハウスキーパーさんは、「ウェンディ」の階層に入る女性かもしれません。

また会社の中においても、「インディ」の仕事はきっと、比較的単純な作業を担当する年収600万未満の「ウェンディ」たち(派遣の人とかね)によってサポートされなければ成り立たない場合が多いことでしょう。つまりこれは、「どうせもう不可逆な格差社会になっちゃってるんだから、あまっちょろいこと言わずに現状肯定で割り切って競争に参戦して周囲の『ウェンディ』たちを出し抜いて勝ち組に入りましょうよ」という、言ってみればミもフタもないお話なのだと思います。

本書で述べられている「インディ」の理想的な「自慢できる」パートナーの条件の1つが、「年収一千万以上(≒働く男性の上位10%)を余裕で稼げる男」であるあたりにも、その発想が顕著であると感じました。

 なぜ、一千万円なのか。これは、いい悪いではなくて、あくまでも経験則から出たものです。やはり、男にとっては、経済力が自信の根源になります。なので、女性が六百万円以上稼いでいる場合、一千万円以上稼いでいる男性でないと、どうも必要以上に女性をライバル視したり、あるいはかえって卑屈になったりして、うまくいかないことが多いようなのです。(p.160,太字は原文ママ)
 なぜなら、コラム2の「幸福の経済学」で触れましたが、収入と幸福感には、強い相関関係があります。それは金額そのものよりは、その金額が自己の存在の証明になっているからのようです。その点、一千万円以上稼いでいる男には自信がありますので、インディと上手にバランスをとっていけるようになります。(p.161,太字は原文ママ)

そもそも、誰にはばかることもなく自分が好きで選んだパートナーを、果たしてわざわざ「自慢」する(第三者の価値観に照らして認めてもらう)必要自体、あるんだろーかと私なんかは思ってしまったりするのですが。

自己の存在の証明が年収額な男っていうのは、あまりにも貧しくないか。いや、貧しいというのは語弊があるかもなので言い換えますが、あまりにもリスキーではないか。それこそ、人生、何が起こるか分からんのに、そんなところで自信を持たれても。私はイヤだなあ、そんな「一方向からの負荷には耐久性があるけど、ちょっと別方向から叩いたら崩れるんじゃないか」みたいに思えちゃう男。

大体、(仕事してないワタシが言うなって感じではありますが、実際がどうであれ)「もしも相手より自分のほうが稼いでいたら、相手との関係はこじれてしまうに違いない」なんてことを当たり前に思っちゃうこと自体、すっごく哀しくない? そんな脆弱な信頼性の低いパートナーシップって、何? そんな器の小さい男を、「自慢」できますか? それって、ほんとにお互い「自立」してる? また、パートナー選びに関しては、こんな文章もあります。

 最後の条件、「年齢とともに成長していく男」については、よーくチェックしましょう。(中略)
 お勧めなのは、挫折を味わって、それを乗り越えてきた人です。あるいは、仕事以外に自分で大事に思える何かを持っている人です。(p.165-166,太字は原文ママ)

うーーーーん。本書のターゲットになりそうな若い世代の場合、男女共に「今まで順風満帆で、これから苦労に直面する」可能性のほうが高いと思うのですが。「一緒に挫折を乗り越えられるかどうかやってみる」という選択肢はないのか。自分のあずかり知らぬところですでに一度「乗り越え経験済み」の人をゲットすれば、成長能力が実証されているので安心ってか。いや、たまたまそういうタイミングで出会って惹かれ合うということはあるでしょうけれど、最初からそのタイミングを狙って構築される人間関係は、あまり濃密な面白いものにはならない気がします。

また上記のような考えかたを裏返せば、女性側も自分自身の価値を計る基準の中心に「収入額」を置くことになるわけで(なんせ本書における“いい女”の条件「その一」ですからね)、やはりこれは一歩間違うとかなり危険な考えではないか。白状すると、私自身、収入の上昇がそのまま自信につながるというような価値観に染まりかけていた時期がありました。特に自営になった直後は、仕事の幅が広がっていくこと、それらの仕事の報酬額の合計が(ショボいスケールですけど)徐々に増えていくことが、なんだかゲーム攻略のようで単純に面白かったし。

しかしながら、個々のパーソナリティと資本主義経済に基づく第三者から見ての価値は、いったん切り離して考えられたほうが、長い目で見たときの生き延びる力になるような気が、今はしています。

この社会でそこそこ快適に暮らしていくためのお金は、もちろんあるに越したことはないわけですが、稼ぎの有無や多寡とは関係のないところで、今ここに存在する私自身を、私は――私だけは――誰に何を言われようと肯定していてよいのだと、そう平静な心で思えるようになる訓練のために、今こうして数年ぶりに無収入な生活を送っていることは、有意義であると感じています。まあ、こんなノーテンキなことを言っていられるのも、パートナーの有形無形のサポートと、ある程度の貯金あってのことかもしれないのですけれども(←というわけで、がむしゃらに働いていた時期があったこともまた、これはこれでよかった)。

性別を問わず、何があっても卑屈になることなく誠実に自分にできる範囲の行動をとって近しい人たちと共存し、のほほんと牧歌的に生き延びていける人間が、いちばん強いのではないか……というのが、自分が久々に無収入になってみての、実感です。私はまだちょっと、本当にはその心境まで到達できていませんが、遅々とした歩みで日々そこに向かっているつもりです。いつかまた働き始めるとしても、そのときはもう、それを自分の存在価値だと思ったりはしない……ですむといいなあ(いきなり文末気弱)。

とは言え、上述のような「インディ」の生き方に共鳴し、その素養のある若い女性が、旧来の価値観に基づく「女の子らしさ」に足を引っ張られることなくそれを目指す「自由」を獲得することは、大事なことだと思います。

そしてそういう人にとって、本書は分かりやすい目標設定がなされている、非常に具体的で有用な指南書であると思われます。全体的な論調はとても前向きで好感度が高い。きっと勝間さんご自身も、世間のボリュームゾーンにおいて好感度の高いポジティブなかたでしょう。読んでるだけで、すごいパワーを感じます。

まあでも、向き不向きだよね。勝間さんご自身も、

でも、ここで一つ勘違いしていただきたくないのが、ウェンディが悪くて、インディのような生き方が絶対にいい、といったような、二元論ではないということです。
 なぜなら、インディになるためには一定の努力が必要ですし、そのために失うものもあるからです。(p.24,太字原文ママ)

と、おっしゃっています(上述のように、そもそも「ウェンディ」が90%を占める社会だからこそ、勝間さんたち「インディ」が突出できるわけですしね)。もともとの能力の問題を脇に置いても、私は多分、その「失うもの」への未練が大きすぎるな。たとえば「毒」とか「翳」とか「無駄」とか、私にとっては人生においてかなり重要(笑)。

ちなみに、この「ウェンディ」という概念は『ピーター・パン』のヒロインから取って名付けているそうで、

ウェンディは、大人になりたくないと思い、子ども部屋から出ることを拒否し、ピーター・パンを待ち続けました。ウェンディのように、独立することを避けて子どものままでいたい、そのような気持ちをウェンディという言葉で表しています。(p.22)

ってあるんですが。えーと、ここから下は、どっちかというと余談(そして「ピーター・パン」のお話のネタバレ)だと思ってください。

あのさあ、J. M.バリーのあの作品ってさあ、そんなストーリーだったっけ? あれのラストって、ウェンディが「私は大人になったからもうネバーランドに行けない」って言い出してピーター愕然……みたいな感じじゃなかった? それで代わりにウェンディの娘を連れていくんだよねえ? そもそもその前に、最初に家に戻ったとき、ウェンディはピーターにも「ひげが生えても好きよ」って、一緒にオトナになろうって言うんだけど、ピーターは拒否してネバーランドに帰っちゃったんだよねえ?

まあここでの論旨には関係のない瑣末なことかもしれませんが。ウェンディというキャラクターがわりと、旧来のダンナさまやコドモがいてこその良妻賢母タイプであることはたしかだし。ネバーランドにいるあいだから、ガキンチョのくせに嬉々として「奥さんごっこ」、「お母さんごっこ」やっちゃうんだよな、この子は。

だけど、良妻賢母なウェンディ(勝間さんの定義ではなく、本来の『ピーター・パン』のキャラのほう)にも、ウェンディの強さがあるはずなのですよ。

ウェンディたちがネバーランドに行ってしまったあと、ウェンディのお父さんが失意のあまり犬小屋で暮らし始めて世間一般の基準では「ヘンな人」になってしまったときも、ウェンディのお母さんがそんなお父さんを馬鹿にせず、自分自身の哀しみに閉じこもらず、心情を分かち合い夫婦の絆を失わず、ともすれば諦めの境地に陥りがちなお父さんをいさめて窓を開けたまま子どもたちの帰還を待ち続けたように。

そのお母さんの娘であるウェンディもまた、永遠の少年ピーターを卒業しオトナとして自分の意志で選んだパートナーとの生活に、たとえ何らかの危機が訪れたとしても、それで即座に相手を見限ってしまうようなことはなく、凛として背筋を伸ばし心を寄り添わせ一緒に乗り越えていったのではないでしょうか。そういうのは、「依存」とはまた違うと思うのです。

ウェンディは、ネバーランドで過ごしつつも、そこにいる子どもたちのなかでは、いつかネバーランドを離れる日が来ることを、(きょうだいの最年長なだけあって)いちばん感覚的に理解していた子でした。

けれどピーターが再訪してこないあいだに、子どもの世界からはみ出していく自分を受け入れつつも、かつて自分が親の庇護を離れてネバーランドへ旅立ったという記憶、かつて自分にも空が飛べたという記憶を、ネバーランドから戻ったほかの子たちとは異なり最後までずっと持ち続け、自分が産んだ子に継承し、その子がピーターと共に旅立つのを冷静に見送ることができた人でもあったのです。第三者の目に顕著な、なんらかのアクティビティがなくたって、そういう人はちゃんとバランス感覚を持ってて、強靭であるような気が、今はするのです。

勝間さんのいう「ウェンディ」と違って、本来のウェンディは、白髪が生えるほど歳を取っても(バリーは作中で大人になったウェンディについてそういう描写をしていたはず)、充分に魅力的な人だったんじゃないかなあ。

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2008年7月30日

夏樹静子『腰痛放浪記 椅子がこわい』

読了本 | 書籍・雑誌

腰痛放浪記 椅子がこわい

新潮文庫(2008年3月/2003年8月/親本:『椅子がこわい 私の腰痛放浪記』文藝春秋,1997年6月)【Amazon.co.jp】

売れっ子作家として充実の毎日を送っていた著者が、ある時期から腰痛に苦しむようになる。しかもどんな検査をしても決定的な原因は分からず、情報を集めまくり人脈を駆使し病院を渡り歩いて多種多様な治療を試しても、症状は一向によくならず、ひたすら激化するばかり。

とうとう、お医者さんたちから「心因性」の痛みかもしれないと示唆されるに至っても、著者はどうしても納得することができません。自分はどちらかというと明るく精神的にタフなタイプだし、この痛みさえなければ仕事も順調でまだまだ書きたいことがたくさんある、やる気満々の状態だった。身体に不調が出るほどのストレスがあったとは考えにくい。そもそも心の問題だけで、ここまで激烈な痛みが出るものなのか? やはりこれは、現代医学ではまだ発見できないタイプの、未知の病なのではないか?

実際にまだ回復しておらず、先が見えない時期に書いた文章が収録されてる前半部分は、もう本当に苦しみが克明に伝わってきて、読んでるだけでも痛みと絶望がこちらに移ってきそうでした。とことん強烈な腰痛って、本当に生活が成り立たなくなるほど辛いのだということが、経験のない私にも、叩き込まれるように追体験できました。そして、納得できていないまま、心療内科の先生のもとでの治療を始め、治療の有効性に対する疑いをストレートにぶつけていくやりとりの緊迫感と言ったら。

ところが、このやりとりを続けるうちに結局、著者の腰痛は、なんと快方に向かってしまうのです。痛みの描写のインパクトが強いだけに、「そんなにはっきりと感じられる強烈な身体上の症状が、『心』によって作りだされてしまっていたなんて!」と、読んでるこちらもびっくりです。

精神的な弱さ云々じゃなくて、「この私にかぎって心因性なんてあり得ない!」と、自分の「直感」を信じ続けてしまう意志の強さこそが、危険なのかも。著名な作家である夏樹さんが、こういう本を書いて、ご自身の頑なだった頃のことをさらけ出し、こういう事例もあるのだと広く世間に知らしめてくださったのは、とても有意義なことなのではないかと思いました。ずっと売れてるみたいだものね、この本。

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Anchor Summer Beer

ビールラベル

Anchor Summer Beer

ものすごく久々に、「ビールラベル」カテゴリーの更新です。

米国サンフランシスコのアンカー社が出しているビールは、どれを飲んでも外れがないと思っていたのですが……今年初めて入手したこれは微妙かも。

たしかに暑い日に飲むとくいくい入ってしまうのですが、どうもこの手の「夏に美味しいさわやか系」を、私はアンカーに求めていないっぽい。さわやか系ビールなら、ほかにいくらでもあるし、わざわざアンカーから買わなくてもいいか、みたいな感じです。

ラベルデザインは、アンカーにしてはシンプルながら夏っぽい配色が涼しげで悪くない。

そういえば先日、大道寺零さんの「ぜろだまBlog」経由で、「livedoor ニュース - ビール飲めない若者が急増中」という記事を知りました。大道寺さんのblogエントリでは、このニュース記事に対する大手掲示板での反応をまとめたページも紹介されています。

うーん。実は私もチェーン系の居酒屋さんなどの呑み会において「とりあえず」出されるビールは、あまり美味しいと思ったことがありません。そういう席で出てくるのって、なんかこう、苦味だけじゃない、変なえぐみみたいなのを感じるビールが多いような気がして。苦味は大丈夫だけど、そのえぐみが苦手(しかし舌が肥えてるわけじゃないし知識もないから、何の成分に反応して拒否感を抱いているのか、自分でもよく分からない)。小心者なので、乾杯のときには「とりあえず」口つけるけどね。

で、口はつけますが、それを上記のニュース記事のように「社会人のたしなみ」とまで思ったことはないなあ。イヤですとはっきり言える若い人が増えてくることは、それはそれでいいんじゃないか。そういう人が増えたなら、いずれはそれでも円滑に宴会が進むようなシステムが生まれて、定着してくるのでは。

たださ、たださ。ビールって、夏にきんきんに冷やして飲まれる苦くて炭酸のきついやつばっかりじゃないのに! のどごしを楽しむものだけじゃないのに! 甘いのとか酸っぱいのとか、こってりどっしりしたのとか、フルーティーなのとかスパイシーなのとか、いろいろいろいろあるのに! ぬるい温度でじっくり味わいながらちびちび飲むと美味しいビールだって、さらに極端なのでは熱くしてふーふー吹き冷ましながら真冬に飲むべきビールだってあるのに! 日本のものに限らなければ、同じジャンルのお酒とは思えないくらい、バラエティあるのに!

上でリンクしたblogの大道寺さんを含めて、ちゃんと分かってるかたも、ちらほらいらっしゃるけど、ネット上でなされている議論の大半が、すべてを「ビール」のひとことでくくってしまって、それを美味しいか不味いかの二元論で語っているみたいなのが、まとめサイトやはてなブックマークを見ていて、非常にもどかしく感じられたことでした。

ちなみに、夏向けビールで私がいちばん好きなのは、いまだにPoperings Hommelbier。さわやかな苦味はあるけどえぐみはなく、軽やかなんだけど腰があってホップの香りが濃厚。こういうの、日本のメーカーで出ないかなー。

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2008年7月に読んだものメモ

読了本 | 書籍・雑誌

暑い暑い暑い暑い暑いよう。去年の夏はひたすら自宅の仕事部屋に引きこもっていたので、いま思えば夏が暑いということにもわりと無頓着でしたが、仕事をしてない今年はエアコンの電気代をケチり気味なのもあって、久々に夏の暑さを実感中。ついでに言うと、ヒキコモリを返上したら、去年の3倍くらいのスピードで日焼け止めやその他の化粧品が減っていくよ! 無収入なのに!

そして明日31日も、朝からずっと外出していて本は読まない予定なので、今日のうちに今月の読了本リストを出しておきましょう。



いじりめぐみ『へこジャパ 凹まぬジャパニーズ』(ユーコン社,2003年7月)
 著者のいじりさんは、マイクロソフト勤務のアメリカ人と国際結婚してシアトル在住。いろんな意味で日本人離れしているというのがウリの著者が、日本でがんがん働いていたのをリセットして渡米したものの、主婦の座に収まることなどできず、ベンチャー企業副社長を経て自ら会社を設立するまで、どんどん突き進んで行った半生記。豪快さがチャームポイントなのですごく露悪的な表現も多いのですが、とにかく欲しいものは諦めない、という姿勢がすがすがしい。【Amazon.co.jp】


上田早夕里『ショコラティエの勲章』(東京創元社ミステリ・フロンティア,2008年3月)
 連作短編集。著者は小松左京賞でデビューした人だけど、SFじゃありません。そして「ミステリ・フロンティア」の本だけど、ミステリ色もあまり強くない。「日常の謎」……というより、見落としがちな人の心の機微をほじくり出すような感じ。中心になるのが老舗和菓子屋さんの店員(親が工場長)と、謎めいたストイックなチョコレート職人のコンビ(と言う表現をするには、微妙にこの2人のあいだの距離が遠いのですが)で、甘いものに関するうんちくが面白い。ヒロインが、「つくる側の視点」に立とうとせず、あくまでも「味わう側」に徹してお菓子への思いを真摯に語るのがよかった。【Amazon.co.jp】


勝間和代『勝間和代のインディペンデントな生き方実践ガイド』(ディスカヴァー携書,2008年3月/親本『インディでいこう!』2006年1月)
 ここんとこ、あちこちでお名前を見かける、経済評論家の勝間和代さんが最初に出した単著の再リリース版。働く女性のライフスタイルを説いたもの。勝間さんが提唱する「インディ」というライフスタイルを目指す気のある人にとっては、非常に具体的かつ有用な指南書であると思われます。まあそういう方向を目指す人たちは頑張るといいと思うよ。別途、感想文を書きました。【Amazon.co.jp】


平松洋子『夜中にジャムを煮る』(新潮社,2008年2月)
 書き下ろしの1編を除いて、初出は『考える人』2003年冬号〜2007年冬号。この著者の本は初めて読みました。「フードジャーナリスト、エッセイスト」だそうです。いろんな肩書きがあるものだなあ。さまざまな国の伝統的なお料理(特に伝統的なもの)を取材しているみたいです。食べることと、基本を大切にするという観点で非常に真摯に向き合っていて、なんだか圧倒される感じ。誰かと一緒に食べる、美味しいもののお話がずっと続いたと思ったら、締めくくりの章が、何も食べたくない、お料理もしたくない日のことや、ひとりで食べるということについてのエッセイで、何かこう、こちらまで、妄想の中で飽食していたのをリセットされて身体が軽くなったような読後感。【Amazon.co.jp】


島崎今日子『この国で女であるということ』(ちくま文庫,2006年11月/親本:教育史料出版会,2001年10月)
 雑誌『アエラ』の「現代の肖像」というコーナーに掲載された文章20本。「欲望」、「表現」、「母の娘・父の娘」、「闘い」という5つのキーワードに沿って、各方面で活躍する女性を取材した記事がまとめられています。最初に「欲望」カテゴリが来ていたせいか、その後もずっと、どの記事を読んでいても、結局、人を動かすのは「欲望」なんじゃないかという気がしてきた……。人間の欲望の対象は、必ずしも自分自身の快適さにつながるものではないのだな、と。私生活をストイックに制限してでも表現し続けたいという欲望、ボロボロになっても闘い続けたいという欲望、苦しみ抜いてでも親との関係を追究したいという欲望……。突出した欲望を抱ける人だけが、突出したことを成し遂げられるのかもしれないとさえ。【Amazon.co.jp】


夏樹静子『腰痛放浪記 椅子がこわい』(新潮文庫,2003年8月/親本:『椅子がこわい 私の腰痛放浪記』文藝春秋,1997年6月)
 著者が感じていた苦痛と絶望の描写が本当にすさまじく、その原因が明らかになっていく過程での、「そんなことでこんな強烈な痛みが出るはずない!」という気持ちが、手に取るように分かってしまいました。別途、感想文を書いています。【Amazon.co.jp】


ケンタロウ、柳田理科雄『ナレッジエンタ読本5 空想キッチン!』(メディアファクトリー,2008年1月)
 アニメに出てきた食べ物について、大真面目に語る本。取り上げられてるメニューについては、Amazonの商品ページに記載されてる目次を参照のこと。料理家のケンタロウさんは知ってたけど、柳田理科雄さんって? と思ったら、そうかあの『空想科学読本』の人か! でもって、「理科雄」って、本名なのか! すばらしい。
 見たことないアニメの話題もありましたが、総じて楽しゅうございました。ハウルのベーコンエッグのシーンはたしかにすごくリアルに美味しそうで印象的でしたが、ケンタロウさんの悔しがりっぷりがおかしかった。
 【Amazon.co.jp】


ソニア・パーク『ソニアのショッピングマニュアル II』(マガジンハウス,2007年11月)
 「I」は、今年4月に読みました。大体、前と同じような感想です(笑)。やっぱり楽しい。【Amazon.co.jp】


青木祐子『ヴィクトリアン・ローズ・テーラー 恋のドレスとつぼみの淑女』(集英社コバルト文庫,2006年1月)/『ヴィクトリアン・ローズ・テーラー 恋のドレスは開幕のベルを鳴らして』(集英社コバルト文庫,2006年4月)
 「どこかでこのシリーズが面白いと書いてあったから」と、夫が図書館で借りてきました。えーーーー。たしかに私もこのシリーズ、褒めてる書評をネットで見たことありますが、主に「乙女心を直撃!」「きゅんきゅんします!」みたいな褒め方でしたよ? うちの夫は、そんなに乙女だったかしら? そんでもって案の定、受け付けないみたいなので、私が代わりに読んでメモを書いてあげることにしましたよ(←偉そう)。
 シリーズのタイトルからも明らかなように、19世紀のイギリスが舞台です。ヒロインのクリスは、仕立屋「薔薇色」の店主。「恋がかなうドレス」を作るひとと噂されていますが、実際には依頼人の「心のかたち」をドレスに仕立てているのです――と、まあファンタジックな設定ではあるのですが、実生活においても、身につけるものと自分自身がしっくりきている(と感じられる)かどうかが、精神状態に影響を及ぼすというのはすごくあるので、このお話においてドレスとそれを着る人とがフィードバックしあっている感じは、とってもイメージしやすい。それに、「ドレス」の詳細描写だけでも楽しいやね。
 あと、肝心(?)の「きゅんきゅん」方面。ええ、そうですね。なんかこう、来ますね。1巻、2巻とも、ヒロインが作ったドレスでお客さんの恋は成就するけど、ヒロインとヒーローは由緒正しい少女マンガ的じれじれ展開。ただ、このふたりの身分格差っていうのは、「萌える」要素ではあるんですが、時代を考えると、おっそろしく現実離れした無理めなカップリングになってしまうと思う……。その辺をどう料理していくのか、ちょっと気になります。そのうち自分でつづきを借りてくるかも(なんだかんだ言って、けっこうハマったらしい)。
1巻【Amazon.co.jp】2巻【Amazon.co.jp】


井上絵美『おいしい近道 インスピレーションレシピ』(講談社,2007年10月)
 いったい、何が「近道」なのかと思えば、要するに何もかもを一から手作りしなくても、家庭のお料理なら市販の良品を利用して手軽に楽しく美味しいものを作ったっていいじゃない、というコンセプトから来たタイトルなのかな? エッセイ本の形式ですが、各章で著者おすすめの食品や各種ソース、調味料、さらには半調理品が、それらを使ったオリジナル・レシピとともに紹介されています。
 市販のもののお味に依存してたっていいじゃない、とプロの料理家の人が言ってくれるのはとてもありがたいし、おすすめ製品の紹介も興味深かったし、ちょっと試してみたいと思ったレシピもあるのですが、いかにもオシャレでセレブ! な感じの生活をしている著者のエッセイ部分を読んでて感じる、どうにもこうにも「こっぱずかしい」感じは何なのかしら。私には似合わないもん読んじゃったぜ、みたいな。だいたい、このかたが主催しているお料理教室の名称が「愛されるお料理レッスン」だというあたりで突然ものすごく居心地が悪くなってしまったのは、もしかして私が自意識過剰な「モテない系女子」のなれの果てであるせいでしょうか。【Amazon.co.jp】


以下、漫画本。

ゆうきまさみ『鉄腕バーディー』1〜19巻(小学館ヤングサンデーコミックス,2003年6月〜2008年3月)
 夫の本棚から。女性アンドロイド型異星人であるバーディーの普段の格好が、なぜ地球人の感覚においてあそこまで露出度高くないといかんのかという疑問は常につきまとうのですが(笑)、思いがけない事故により主人公であるつとむくんと二心同体にならざるを得なくなったバーディーが、平凡な地球人であるつとむくんの生活と意志を一応はできるかぎり尊重しようとしている姿勢に好感を持ちました。結局、つとむくんは否応なしに振り回され、場合によっては自ら巻き込まれ、最新刊では周囲の人々まで巻き込んでしまっているのだけれど。【Amazon.co.jp】


中村光『聖☆おにいさん』第2巻(講談社モーニングKC,2008年7月)
 相変わらず、ブッダとイエスが仲良しさんで、なごみます。【Amazon.co.jp】


惣領冬実『チェーザレ 破壊の創造者』第5巻(講談社モーニングKCDX,2008年7月)
 相変わらず、ものすごく綿密な調査をして描いていることが察せられるのですが、それがちゃんと面白いし、絵がものすごくきれい。収録されている原稿を描いていたときの惣領さんご自身のサイトの記述と併読すると、さらに興味が深まりました(あと、使用されているのがつけペンではなくサインペンだってことにも驚き!)。【Amazon.co.jp】

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All texts written by NARANO, Naomi.