How I became a Guang Liang fan
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2006/12/19
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How It Rooted

私は如何にして光良ファンとなったのか (4)

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そして、これから?

 本音を言えば、私は今、光良の歌声を「生」で聴いてみたくてみたくて仕方がありません。時にはもう感情が爆発しそうな勢いです。だって、ソロになってからのライブのCDやDVDって、1枚も出ていないんだもん。どんなステージを展開する人なんだろうって。あんな曲やこんな曲を、どんな表情で歌うんだろうって。あの声が直接、自分の耳に届くのって、どんなかんじなんだろうって。けれども来日コンサートなんて、今のところ、ものすごくあり得なさそうです。そしてまた、だからと言って私がコンサートのために、台湾やマレーシアへさくっと行けるかっていうと、これも正直、今の状況ではハードルが高い。


 これまでの10年あまりのあいだに、ぬるーく中華系の芸能人や映画作品のファンをやってきて、ネットでいろんなファンサイトを(参加する気概がないので、遠巻きに)見てきましたが、なんだか中華系の芸能ファンの人たちって、フットワークの軽い方が多いんですよね。台湾だとか香港だとか、どんどん出かけて行く。たぶん、そうならざるを得ない部分はあるのでしょう。私の場合、今までメインに応援していたのが、半分は日本人で、しかもそこそこ大作の映画に出演している金城武だったために、中国語の勉強すらせず日本でぼんやりしていてもそれなりに報われていましたが、普通は日本でただただ待っていたって、決して上映されない映画、上演されない舞台、開催されないコンサート……情熱が昂じたら、満たされない想いが膨れあがったら、自分のほうから動くしかないんですよね。


 でも、それを私ができるかというと。うーーーーーん。家庭環境とか仕事の形態とか(言いたかないけど私、8年半前の新婚旅行以降、海外どころか、帰省や知人の結婚式以外の目的での国内旅行だって、皆無ですよ)、経済力とか語学力とか、いい歳した既婚女性が海外芸能人に入れあげている例が身近にないため、家人を含む周囲の反応が予想つかないとか、大体にして海外コンサートのチケットなんてどうやって買ったらいいのか分からないとか……。


 そういったものは、すべて「ふっきり」と「決断力」と「度胸」さえあればクリアできる問題に過ぎないのかもしれないのですけれど。さしあたり、「中国語の書かれた海外通販小包(中身は光良や無印良品のCD)を、同居している舅や姑に目撃された」という事実だけでビクビクおどおどしているような、その小心っぷりから、なんとかしやがれ自分! みたいな。うん、別に悪いことしてるんじゃないんだから、堂々としてていいんですよね?


 結局のところ、私を阻んでいるのは、ほかならぬ私自身なのだよな、ということをよく思います。そして同時に、これ以上の行動は起こさずこのままっていうのも、いいんじゃないか……と思うときも、あったりします。すごく揺れてる。CDで歌声を聴いているだけなら、「私にとっての光良」は、「現実には存在しない、架空の人物」と変わりありません。理性的に考えれば、そういう位置付けに留めておいたほうが、いいんじゃないか、なんて。


 だってね、そもそもは、いろんなしがらみや辛いことを避けて通れない毎日の生活のなかで、ちょっとだけ意識の逃避をさせてくれて、ヘコんだ気持ちをふくらませてくれて、呼吸を楽にしてくれていたはずの存在が、思い入れ強くなりすぎたせいでその日常生活のルーチンを脅かし、周囲との軋轢を生じる要素と化してしまったら、本末転倒ですよねえ? 実生活とファン活動を両立できているフットワークの軽い人たちに憧れないわけではないけれど、ヒトはヒト、ということは認識しておかなければ。人間、自分のキャパシティに合わせたバランス感覚が大事だよ?……と、自分に言い聞かせてみたり。


 そしてさらに言えば。こうやって葛藤していること自体を、時に私は、楽しんでいるような気がします。いや、楽しんでるってのは言いすぎかな。こういった葛藤もまた、現実からの一時的な逃避になり得るというか。いろいろ考えて悩んだり空想したりできるのも幸せと言えば幸せというか。


 いつか、今のこの感情の均衡は、崩れてしまうのかもしれません。いつか、葛藤をせず穏やかにいられるほど、気持ちが引いてしまうのかもしれないし。いつか、針が振り切れて、CDを聴くだけに留まらない何らかの行動を起こしてしまうのかもしれないし。


 でも、今は。とにかく、こんなふうに心の底から好きだなと思える歌声に出会えたという事実に感謝して、自分の身の丈に合ったかたちで現実の生活とのバランスを量りながら、私なりに精一杯、楽しんでゆくべきときなのではないかと、思うようにしています。


 これからも私は、光良に関するいろんなことが理解できていないままに、新しい情報もなかなか入手できないままに、ほかのファンの人たちと場を共有して生の歌声を直接この耳で聴いたりする機会もないままに、ひっそりと引きこもってCDに収録されたこの人の曲を聴きつづけるのでしょう。そしてこれからも、この人の声によってこっそりと精神的に救われる瞬間が、何度でも訪れることでしょう。たとえ積極的なファン活動ができなくたって、そんなふうに、「救い」となってくれるものが、この世に存在するというのは、とてもラッキーなことなのではないでしょうか。


 いつか海を渡って、この目で、この耳で。そう夢見てもどかしく思うこと自体にも、どきどきわくわくの気持ちは潜んでいます。そんなこんなで、最終的にはやはり、どんなにもどかしく物狂おしい気持ちがつのっても、わざわざ遠い国の、どんな人なのかもよく分からない誰かのファンになんて、ならなきゃよかった――なんてことは、思えないのですよね。



【ひとまず、おしまい】





背景素材 © MIYUKI PHOTO

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